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なぜ『支援』が支援にならないのか?B型作業所の内側から伝えたいこと

あるnote記事が、静かに、でも確かに、私の心を揺らしました。
つむぎさんの「“支援”じゃなかった――私が見たB型就労支援の現実」という記事です。

記事では、B型作業所を利用していた方の体験が綴られています。
けれど、そこに書かれていたのは、あたたかな“支援”とはとても呼べないような、冷たく、切ない現実でした。

泣いている利用者に声すらかけない。
怒鳴り声のなかで、ただただ作業をこなす毎日。

読みながら、胸の奥がぎゅっと重たくなりました。

私もまた、B型作業所を利用しています。そこは、記事に書かれていた場所とは違い、安心して通えるところです。でも、それでも、共感する部分もありました。

今回は、その気持ちを書き残しておきたいと思います。

こんにちは、たけちくりんです!はじめましての方はよろしければこちらもご覧ください。

「自由」と「責任」が並んでいる場所

私が通っているのは、IT系のB型作業所です。とはいえ、ここは仕事ばかりではありません。

パズルやゲームをしている方やドローンを飛ばしている方、食事用の野菜を育てている方もいます。

しかしそれは「やることをやっている人が、自分のペースで過ごしている時間」です。

もちろん、日によってはとても忙しい日もあります。
「え、これ本当にB型……?」って思うくらい集中して、しっかりパソコンに向かう日もあります。

でも、いつも根っこには「無理をさせない」という前提があります。

その“自由と責任のバランス”が、今の私にとってすごく心地いい。
「ちゃんと向き合ってもらえているな」と思えるから、通い続けられているんだと思います。

見過ごされた涙と、届かなかった支援

とはいえ、どこにでも理想ばかりではない現実もあります。

ある日、泣きながら外に飛び出した利用者さんがいました。
その姿を見て、支援者のひとりは「甘えてるだけ」と言って、何もしませんでした(もちろん、他の支援者さんがすぐに対応していました)。

その言葉を聞いたとき、正直ショックでした。
たとえ“甘え”だったとしても、涙を流して飛び出すほどの気持ちに、誰かが寄り添うこと。それこそが“支援”なのではないでしょうか。

「最悪のケースを想定して動く」
それは支援者にとって、きっと大切な視点です。

そしてなにより、「甘えられる場所があること」が、どれほど人の心を支えるのか。
その意味を、どうか見失わないでほしいと願っています。

「支援」のかたちは、ひとつじゃない

つむぎさんの記事を読んで、強く感じたことがあります。
それは、「同じB型作業所でも、支援のあり方には大きな差がある」ということ。

たとえば、箱折りや内職のような作業も、人によっては支援になります。
けれど、それがすべての人にとって適しているとは限りません。

身体に障害がある方、知的にサポートが必要な方にとっての「支援」と、
心に傷を抱えている人や、精神的なケアを必要とする人にとっての「支援」は、違っていて当然です。

また、作業所として収益が必要なことも、納期が大切なことも理解しています。
でも、それだけを優先して「数をこなすこと」が目的になってしまったら、本質的な支援から遠ざかってしまうような気がします。

「この人が、どんなふうに安心して過ごせるか」
「どんなかたちで社会とつながっていけるか」

そんな問いを、一緒に考えられることが、私は“本当の支援”だと思います。

「変えたい」じゃなくて、「知ってほしい」

私もつむぎさん同様に、制度そのものを責めたいわけじゃありません。

支援の現場には、心から寄り添おうとしてくれる支援者さんも、たくさんいます。

素晴らしい取り組みをしている作業所もたくさんあります。

でも、見落とされがちな“現実”があることも、たしかです。

つむぎさんは、今、行政に向けたオンライン署名を呼びかけています。
私も、その声に賛同したいと考えています。

「就労継続支援B型事業所を、より安心できる場所にしてほしい」

ほんの少しでも、「苦しんでいる人がいる」という事実を、知ってもらえたら。

ただ、それだけを願ってのアクションです。

「声を上げるのは、こわいこと」

私自身そう思っています。
でも、誰かの声にふれて、自分もそっと声をのせてみたくなることって、ありますよね。

安心できる居場所は、そうやって少しずつ広がっていく。
そう信じて、私も小さな一歩を踏み出します。

コチラ、よろしかったらみなさんも読まれてみてください。


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