神社散歩#40(軍刀利神社)
軍刀利神社(ぐんだりじんじゃ)
所在地
山梨県上野原市棡原4134
御祭神
日本武尊(やまとたけるのみこと)
私の例大祭である猫の日。
SNSでは津々浦々の猫神社が、まるで招き猫が如く「おいでおいで」と私を誘う。
その前日2月21日。
2月に私が動ける日はこの日しかなかった。
猫の日当日は用事があって神社に行けるかどうか雲行きはかなり怪しい。
どうしても行きたい神社が山梨の山中にあった。
その神社は猫神社ではない。
だが、迷いはなかった。
そうだ、山梨に行こう。
ちゃんと決まったのは1月の終わり。
何度も候補に挙がっては他の用事や熊出没情報などで二の足を踏んでいた。
山の神社自体、行くのはずいぶんご無沙汰だった。
初めて知ったのも行くと決意したのも、私の心の師匠である倫恵さんの記事がきっかけだった。
倫恵さんも記事中で登りを心配されているとおり、そこそこ山の中にある。
そりゃあ熊だって出ますわ。
行きたいけど行けない。
私の本拠地からは距離もある。
倫恵さんの記事を読み返してはヨダレを垂らしていたが、1月も中盤に差し掛かる頃になるとニュースから熊情報が消えた。
今しかない。
私の中の神社センサーは「猫の日に替えても行く価値がある」と言っていた。
私は悲壮感にも似た想いと共に、粛々と山梨へ向かったのだった。
経由地である東京都唯一の村、檜原村に入る頃にはすっかり山の懐に包まれ、私は気持ちが静かに高揚していくのを感じていた。
木々の間を縫うように右に左に何度も何度も道を折り重ねる。
それはさながら一枚の織物のように、私と言う杼が空の青と樹木の緑の間を繋ぎ、織りなしていくようで、自然と一体になったようなそんな錯覚さえしてくる。
窓を全開にして山の空気を吸い込むと肺の奥の澱んだ空気が入れ替わっていくように感じた。
——私はつい最近までまるで鬱かのように気持ちが沈み、絶望していた。
全てが無気力、色のない世界、周りの音が遠いどこかから聞こえるような隔世感。
時間をかけて少しずつ本来の自分を取り戻しつつあったが、それでもまだ完全に立ち直ってはいなかった。
そんな気持ちが嘘のように代謝されていく。
これは倫恵さんに感謝しかない。
猫の存在で私は生きる活力を得られるし猫は私を慰めてくれるが、違ったアプローチで山は私を生き返らせてくれた。
喝でも叱るでも労わるでもない、ただそこに山が在るだけ。
それなのに呼吸のたびに頭も心も刷新されたようにスッキリしてくる。

鳥居の前で二度三度と深呼吸をする。
血が巡り、細胞がしゃんと目を覚ますような感覚だ。
鳥居で一礼して参道を進む。
名草厳島神社を髣髴とさせる長い坂の参道が、あの時の感動をフラッシュバックさせる。
そうだ、あの時も「自分自身を騙さなくていい」「自分を卑下するな」「在りのままを認めろ」と教わったはずだ。
私は再び教えられた気がした。




階段を登り切った先

巨大な木刀が幾振りも納められている




私は祝詞やらお経やらは詳しくないので、出会いと巡り合わせに感謝の言葉を心の中で唱えた。
どんなに辛かろうと苦しかろうと、結局最後は自分の意思で立ち上がらなければならない。
だがその過程において、意識・無意識に関わらず様々な人たちから手を差し伸べてもらえた。
その中には、私のただのこじつけだってあったかも知れない。
でも私がここまでやって来られたのは、周りの人たちのおかげなのだと素直に思えた。


拝殿までの道に比べたらだいぶ楽だがそれでも結構登る。
なんと言ってもご神木の存在感。
すぐ脇の奥の院が霞むくらい立派。

県指定天然記念物

奥の院の後ろからさらに山を登って元社へ行けるが、かなりの急登で山登り装備があった方がいいらしいのでさすがに諦めた。



まるで盆栽が表す宇宙のよう


鳥居を出て、ふと上を見上げると桜が咲き始めていた。
少しだけ感じた春の香りが、傷の癒えきらない私を優しく包んでくれたような気がした。
1334年、軍荼利夜叉明王を祀るお堂が建てられた。
200余年後の1500年代に現在の場所に移された。
軍神・武神としての信仰が篤く、武田信玄などが崇敬していた事で知られる。
山岳信仰を元とする修験道とも関連が深い。
明治の廃仏毀釈などで御祭神は同じ武神である日本武尊に変わった。
なお、神社のある棡原地区はかつて日本有数の長寿村として知られた。
軍荼利夜叉明王
密教における五大明王の一つに数えられる仏尊。
一面二眼八臂、蛇を巻き付けた姿で南方を守護する。
害人、災難、煩悩など様々な障害を除くとされる。
日本武尊(やまとたけるのみこと)
第12代景行天皇の子。西暦70年頃の生まれ。
古事記では倭建命と書く。
八幡様こと応神天皇のおじいさんにあたる。
様々な伝説的逸話を持つ日本古代史のスーパーヒーロー。
書物によって活躍の内容は多少異なる。
若干十代にして九州にて熊襲を討つ。
なおその際、女装した模様(古事記)。
日本や中国の英雄は何かと女装しがち。
古事記では熊襲の前に兄を殺している。
次に土蜘蛛を殲滅した。
日本書紀では吉備や難波で悪神を成敗した。
連戦に次ぐ連戦だったが、いよいよ東征に出る。
その際、叔母の倭比売命から剣(草薙剣)と袋を一つ持たされた。
この時、古事記では悲壮感のある出発だが日本書紀では意気揚々と出発している。
相模(古事記)あるいは駿河(日本書紀)で炎に囲まれて絶対絶命のところ、叔母から託された剣と袋によって難を逃れる。
草薙剣の名称はこの逸話からだと思われるが、初登場のヤマタノオロチ討伐時から既に草薙剣と書かれている。
日本書紀の注釈には異伝として天叢雲剣が雨を降らせて助けたとあり、このエピソードから草薙剣に呼称が変わったとある。
話が長すぎるので今回はここまで。
続きはいつかまた。
