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【姫神・星吉昭さんの音楽】東北への憧憬①~東北の魂をシンセサイザーで奏で続けた音楽家~

2026年6月24日に『姫神 45th Anniversary ULTIMATE BEST』がリリースされました。
星吉昭さん没後22年になりますが、令和時代にも再び、あの姫神サウンドに触れることができるのは、大きな喜びです。

そこで今回は、尊敬する音楽家、姫神・星吉昭さんの音楽との出会いのことや、彼の音楽に親しんだ青春時代のことについてのコラムを掲載しようと思います。


①出会い編

僕が尊敬する、ヒーリング・癒し系音楽の音楽家のお一人で、シンセサイザー奏者・作曲家の姫神・星吉昭さん。

姫神こと星吉昭さんは、1946年に宮城県若柳町にお生まれになり、20代の若い頃は、ジャズ・ピアニストを志して東京で演奏活動。その後、電子オルガン奏者として活動後、東京から岩手に移り、講師として岩手県の音楽教室に勤務。

この岩手の地で、東北の伝統文化や郷土の素晴らしさを感じ、シンセサイザーで東北のこころ“北人霊歌”を奏でていく活動を展開されました。

1981年のメジャー・デビュー当初は、4人組バンド“姫神せんせいしょん”として活動。

アルバム4枚を発表した後、1984年にバンドを解散。星吉昭さんのソロ・ユニット“姫神”として、さらなる活動を展開され、2004年に58歳の若さで、惜しまれつつお亡くなりになりました。

“姫神”は現在、星吉昭さんのご子息・星吉紀さんが跡を継ぎ、活動をされています。

星吉昭さんは東北の、とりわけ、岩手や青森の風物をテーマとして取り上げられ、“平泉”や“縄文”、あるいは東北民謡などをモチーフとして、作曲をされました。

(※星吉昭さんに関する、より詳細な情報は、こちらをご参照ください→ Wikipedia

僕が尊敬する、喜多郎さんや宗次郎さんと同じく、ニューエイジ音楽の代表的アーティストとして知られ、また、シンセサイザー奏者として非常に著名な方でした。

そんな姫神・星吉昭さんの音楽と出会い、大きな影響を受けることとなったのは、僕が高校生の頃でした。


先に掲載した、宗次郎さんや久石譲さんに関するコラム記事でも書きましたが、高校時代に音楽家を志した僕は、音楽の勉強に励んでいました。その過程で、様々な音楽家、特に自分の専門ジャンルとして研究していた、ニューエイジ・ミュージックのCDを聴きまくっていました。

宗次郎さんや喜多郎さんの音楽から、やがて久石譲さんや姫神・星吉昭さんのCDへと、広がって行きました。

喜多郎さんの音楽を聴いたきっかけは、エレクトーン講師をしていた母親が所有していたテープがきっかけでした。

一方、喜多郎さんと同じく、ニューエイジのシンセサイザーである“姫神”の音楽は、母親はあまり好みではなかったらしく、特に所有はしていませんでした。

とは言え、喜多郎さんをよく聴くようになった僕に対し、「喜多郎さんと同じようなシンセサイザー奏者で、“姫神”という人もいるよ。」と、名前だけ紹介はしてくれました。
(もっともその時は、“ひめかみ”ではなく、“きしん”と読み間違えて教えてくれましたが…)

そんなわけで、“姫神”の存在を知った僕は、CD店やレンタル店で、宗次郎さんや喜多郎さんのCDを探すと同時に、同じジャンルの棚に並んでいた姫神のCDにも手を伸ばしてみることにしました。

その頃に初めて聴いた姫神作品は、レンタルで借りた『MOONWATER』というCDでした。

これは、姫神のアルバム3作目『姫神』から10作目『風土記』の中より、選曲された10曲で構成されたベスト盤でした。

北米でのリリース用に作られたベストアルバムで、その日本発売版だったため、曲名はすべて英語(英訳)表記となっていました。

聴いてみて、その素晴らしい音楽に、心打たれました。

CDの1曲目「夕凪の賦」(MOONWATERでの表記は「Evening Poem」)の透明感のあるリード音と、郷愁ただようメロディー。

3曲目「空の遠くの白い火」(同「White Fire」)のあたたかなパンフルート系の音色と優しい旋律。

6曲目「十三の砂山」(同「Tosa Dunes」)や7曲目「大地炎ゆ」(同「Earthflame」)の、哀愁を感じさせつつも力強く心に迫ってくるようなメロディーとサウンド。そして、10分以上の長さに及ぶ大作、9曲目の「まほろば」…。

どの曲も、日本的な詩情を感じさせる傑作でした。

何より、温かくて懐かしい…そんな音楽だなと思いました。

当時の僕は、どちらかというと、静かでメロディアスなニューエイジ曲が好みで、そういう音楽を志向していましたので、姫神の『MOONWATER』は、自分の感性に、どんぴしゃりな作品でした。

ベスト盤『MOONWATER』をレンタルで借りて、大変気に入った僕は、テープにダビングして何度も何度も繰り返し聴きました。

また、『MOONWATER』がきっかけで、“姫神”は“ひめかみ”と読むのだと知った僕は、“きしん”と教えた母親に、正しい読みは“ひめかみ”であることを教えておきました。

ほぼ同じ頃にCD店で、姫神アルバム2作目『遠野』を購入しました。(『MOONWATER』はレンタルでしたので、初めて購入した姫神CDは『遠野』ということになります)

『遠野』を選んだのは、特に大きな理由はなく、姫神作品を買おうと思って、店に並んでいてたまたま手にとったのが『遠野』だったというだけです。

聴いてみて、これまた美しい日本の風景を感じさせる音楽でした。

1曲目「春風祭」・3曲目「峠」・5曲目「早池峰」の3曲はとても気に入りましたが、『MOONWATER』に比べて、全体的に作風が違う感じがしたので、『MOONWATER』ほどには、愛聴作品になるという感じではありませんでした。

(それもそのはず、『遠野』は、初期のバンドスタイル“姫神せんせいしょん”時代の作品なので、ジャズ・フュージョン色があったりする作風です。中期の静かな作品を中心に集めた『MOONWATER』とは、少々毛色が違うというわけです)

ただ次第に、姫神が東北を拠点に活動していることや、東北・岩手の風物をテーマにして作曲していることが、だんだんと分かって来ました。

姫神の特集記事が新聞に載っているのを見付けると、切り抜いて大切に保管し、熟読したりしました。

ちょうどこの頃(1993年)、NHKの大河ドラマで『炎立つ』という作品を放映していて、この番組のエンディング・コーナーの音楽が、姫神の「風の祈り」という曲でした。

毎週この曲を聴くようになり、また、この曲を収録したCDアルバム『炎・HOMURA』が発売中であることを知らせる新聞記事を読み、CD店に行き購入することにしました。

②炎・HOMURA~マヨヒガ

当時(1993~94年)の姫神最新作『炎・HOMURA』。

新聞記事で、“姫神”は岩手を拠点に、東北をテーマとしたシンセサイザー音楽を発表していること。さらに、本名は星吉昭さんということ。そして、NHK大河ドラマ『炎立つ』エンドコーナーの曲「風の祈り」を収録した、アルバム『炎・HOMURA』が発売中であることが、紹介されていました。

ちょうど何気なく、『炎立つ』のエンドコーナーを見ていて、姫神の音楽がすごくいいな!と思っていたので、期待して、CD『炎・HOMURA』を買いました。

聴いてみて、すごく感動し気に入りました。

高校生だった当時の僕は、静かでメロディアスだったり、シンフォニックな感じのニューエイジ曲を好んで聴いていたので、『MOONWATER』とともに『炎・HOMURA』も、自らの嗜好にどんぴしゃりなCDでした。

1曲目の「風の祈り」は言うまでもなく、2~4曲目「真秀にたかく月天」「炎の柵」「天地礼讃」の、歴史絵巻を見ているかのような、まるで交響組曲のようなスケール感のあるサウンド。そして、5曲目「蒼い夢」の幻想的なサウンド。さらに、『MOONWATER』で聴いて感動し、お気に入りの曲だった「大地炎ゆ」の新バージョンまでが収録されており、大満足な内容でした。

(※姫神作品は、年代によって作風が異なり、<バンド・スタイルでジャズ・フュージョン色もある初期>、<日本的で抒情性のある、メロディアスなニューエイジ音楽の中期>、<ダンス・ビートやヴォイス・歌を導入して、リズミカルでポップな後期>の3つに、大まかに分けられます。その中で、人気と知名度が高いと思われるのは、「神々の詩」に代表されるような後期の作風かと思われますが、自分自身は一番好きなのは中期。それも、中期の後半の作品『炎・HOMURA』と『東日流』を最も愛聴しています。この2作が最も好きというのは、もしかすると姫神ファンの中ではかなり少数派になるかもしれません。とは言え、初期の中でも好きな作品は多くありますし、後期の中でも『風の縄文』と『風の縄文Ⅱ久遠の空』は大好きで、何度も何度も聴いています。)

そんなわけで、『MOONWATER』と『炎・HOMURA』は、高校生時代に最も愛聴する姫神作品となりました。

さて、姫神・星吉昭さんの作品とともに、喜多郎さん、宗次郎さん、久石譲さんなど、、様々なアーティストの作品を聴いて、ニューエイジ・ミュージックを学んでいた高校時代ですが、ちょうど、1994~1995年頃にかけて、それらの方々の作風に大きな変化が生じてきていました。

1994年、喜多郎さんはアルバム『マンダラ』を発表。

代表作の「シルクロード」のような、静かでゆったりとした幻想的な作風とは一線を画し、喜多郎さんが若い頃に傾倒したプログレッシブ・ロックに近いスタンスで、ヘヴィーなエレキ・ギター(ディストーション・ギター)サウンドを使い、喜多郎さん自らがギターをド派手に弾いた作品を発表されました。

『マンダラ・コンサートツアー』も聴きに行きましたが、胸の骨にまでガンガンと響いてくるような大音響の、終始ロック風味のコンサートでした。いつもCDで聴いていたような、静かな曲調を期待していたわけですが、個人的にがっかりしたのを覚えています。(もっとも、その後のアルバムでは、喜多郎さんは元の静かな作風に戻られました)

一方、久石譲さんは、1994年にアルバム『地上の楽園』を発表。

宮崎アニメのような優しい曲調をかなぐり捨てて、リズムを派手に入れた、ロック・ポップ志向の作品をリリースされました。

コンサートでは、頭にバンダナを巻き、ショルダー・キーボードを使い、マイクの前で踊るように熱唱するライブ・パフォーマンス。これまた、客席でドン引きしたのを覚えています。(久石さん、ごめんなさい…。でも、今の指揮棒を振るクラシックな久石さんのお姿からは、想像できないかもしれませんね)

そして、宗次郎さんは1995年に、アルバム『光の国・木かげの花』をリリース。

それまでのオカリナのイメージを覆すような、ポップな曲調やダンス・ビートを取り入れた、ダンサブルな曲を発表されました。(この作品も、宗次郎さんの異色作と言えます。この作品以外では、基本的には一般にイメージされる通りの、癒しのオカリナ音楽となっています)

このように、それまで親しんでいたアーティストの方々が、路線変更していた時期でした。

作風が変わる前の、静かな曲調を好んでいた自分としては、それらを聴いて残念な思いを抱いたりしました。

もっとも、3人ともその後すぐに、次なる作品・アルバムにおいては、元のニューエイジな路線に戻ったので、ホッとしましたし、今では、アーティストとして違うスタイル・作風に、一度挑戦してみたいと考える気持ちを理解できるようになりました。

が、当時のニューエイジ音楽志向の高校生の僕は、正直なところ、そういう思いを抱いていました。

(今では、ダンサブルな曲調も含めて、色んなジャンルの音楽を楽しめるようになりました)


そんな1995年のある日、新聞記事で姫神特集の記事が掲載されていました。

“実態不明のミュージシャン「姫神」に迫る”という見出しで、見開き2面に渡る、かなり大きな特集記事でした。その記事では、星吉昭さんの詳しいプロフィールなどが、写真付きで紹介されていました。

ジャズ・ピアニストを目指し上京。東京で最先端のアメリカ音楽を取り入れようと努力したのち、電子オルガンの奏者兼講師となったこと。その後、岩手県盛岡市のオルガン教室に講師として赴任し、岩手の早池峰山で聴いた神楽など、岩手の伝統芸能や民謡に“ブルース”を感じ、自分の希望する音楽の源がここにあると確信。岩手に根ざした音楽活動に入ったこと。そして、シンセサイザーで作曲を始めたことや、神社仏閣で民俗芸能とジョイントした独自のライブ活動を展開していること。などが紹介されていました。

星吉昭さんが拠点としている、岩手への深い思いなども紹介され、とても詳しい興味深い内容でした。

さらにその記事では、姫神の最新アルバム・通算15作目『マヨヒガ』が宣伝されていました。

こんなにすごい記事を読むと、「欲しい!」と思ってしまうのは自然なこと…。

当然すぐに、CD店へ行き『マヨヒガ』を購入しました。

その新聞記事では、『マヨヒガ』については、こう紹介されていました。

“マヨヒガ”とは、柳田国男の「遠野物語」に出てくる山中のあやしげな家のこと。横尾忠則氏によるジャケット・イラストが、そのイメージを増幅させる。

また、音楽的な内容については、星さんの談として、「『マヨヒガ』では、高校生の息子から情報提供を受け、ハウス音楽のリズム形態も取り入れた」とありました。

今思えば、この息子というのは、現2代目姫神・星吉紀さんのことだと分かります。

一方、当時、ニューエイジ・ミュージックやクラシックを専門的に学んでいた自分にとっては、“ハウス音楽”というものがどのようなものか、よく分からない状態でCDを買いにお店へ向かったのでした。

先述のように、喜多郎さん、宗次郎さん、久石譲さんが、作風が大きく変化していた時期なので、『炎・HOMURA』が素晴らしかった星さんのことを信じて(?)、『マヨヒガ』を買いました。きっと、こころ落ち着ける、ニューエイジ路線の作品なんだろうな…と思って。

買ってきたばかりの『マヨヒガ』を開封し、CDプレイヤーにセットして、再生ボタンを押しました。

“ウオォ~~ッ!! ズン、チャッ!ズッカ ズッチャズン チャッ ズン、チャッ!ズッカ ズッチャズン チャッ!(ウォッ!) ッアケノホーカッラ フックダイゴーグゥー マーイーコーンッダナー!!”

……さて…、静かで穏やかな曲調を好んでいた、当時の僕は、『マヨヒガ』を聴いてどうなったと思われますか?

あまりの、想像の斜め上を行く内容に、まさに、目が点になって開いた口が塞がらないという感じでした。

ビートの効いた1曲目の「明けの方から」で、「……へ!?」となり、3曲目「雪」では、「…な、なんじゃこりゃ!?」となり、4曲目「花鳥巡礼」でようやく、求めていたような穏やかな曲でホッとしたのも束の間、「日高見国」や「風のうた」など、それまでの姫神作品とは大きく異なる、激しくダンサブルな、リズムとビートの作品群に、何とも言えない感情を抱きました。

『マヨヒガ』を聴き終えた時の感想は、

「…姫神さん、あんたもか………。」でした。

(※ちなみに、この、姫神作品の一大転機となったアルバム『マヨヒガ』。今ではとても愛聴しております)

③マヨヒガ~風の縄文~神々の詩

ベスト盤『MOONWATER』やアルバム『炎・HOMURA』といった、静かでメロディアスな、ニューエイジ系の姫神作品を愛聴していた、高校時代の僕。

そんな僕が、1995年に手にした、姫神ニューアルバム『マヨヒガ』は、それまでの姫神作品のイメージを覆す、ダンス・ビートやハウス音楽の要素を取り入れた、リズミカルでダンサブルな作品でした。

静かで穏やかな曲を好んでいた当時の僕は、『マヨヒガ』に対し、最初は強い拒絶感を抱きました。

自分自身が姫神作品に求めていた好きな作風とは、正反対なものだったからです。

とは言え、この『マヨヒガ』というアルバム。

何とも不思議な魔力を持ったアルバムで、しばらく経つと、無性に聴きたくなってしまう…という力を宿していました。

最初は、気に入った3曲だけ(美しいメロディー・ラインの2曲目「琥珀伝説」、穏やかな4曲目「花鳥巡礼」、日本の祭囃子を思わせる5曲目「白鳥招来」)を聴くために、CD『マヨヒガ』をかけることが多かったのですが、やがて、「明けの方から」や「山の神」も聴くようになりました。

あれだけ、拒絶反応を持った、クラブ・テイストなダンス・ビートにも次第に慣れてきたのか、気が付くと、全10曲を通して聴くことが多くなっていました。

『マヨヒガ』の5曲目「白鳥招来」は、NHK教育テレビ(現Eテレ)の番組『ふるさとの伝承』のテーマ曲だったのですが、このアルバムを聴いたのがきっかけで、その『ふるさとの伝承』を視聴するようになりました。

『ふるさとの伝承』は、日本各地の里や村に伝わる文化や、民間伝承などを、映像として後世に残そうとする教養番組でしたが、姫神のテーマ曲がまさにピッタリな内容で、毎週見るようになりました。そして、番組を通して、日本の伝統文化の素晴らしさ、大切さを知ることができました。

また、これも『マヨヒガ』を聴いたのがきっかけかと思われますが、それまではあまり聴いてこなかった、日本の民謡をたくさん聴くようになりました。

『マヨヒガ』発売を知らせる新聞記事に、星さんの談として、次のような言葉がありました。

「若い人に、民俗芸能とのジョイントがカッコいい!と思ってもらいたい。」

その星さんの思いが、『マヨヒガ』のCDを通して、高校生だった僕の心に伝わってきたのかもしれません。

このように、最初は、そのあまりの作風の変化について行けなかった『マヨヒガ』ですが、やがて、僕の音楽的思考にも、大きな変化をもたらす重要な作品となりました。

『マヨヒガ』を通して、日本の文化や日本の民謡への興味が開かれ、次第に、星さんがテーマとし、拠点とする“東北”への関心や憧れが湧いてきました。

母親が雪国の福井出身とは言え、関西で生まれ育った自分にとって、東北地方や岩手は、縁もゆかりもない所でした。

東北の風物というと、昔話の絵本とかで見たような、雪深い風景や方言のイメージでした。

でも、姫神作品を通して、東北に興味を持った僕は、学校の図書室で“東北”に関する本を見たりしました。
(“南部の曲り家”の写真集とかを見ていて、友人からは不思議がられたりしたものです)

「いつの日にか、東北・岩手に行ってみたい!」

いつしか、まだ見ぬ東北・岩手は、旅で訪れてみたい憧れの場所となっていました。


高校を卒業し、音楽系大学に進学した僕は、学校での音楽の勉強の傍ら、姫神作品も変わらず愛聴し続けていました。

そんな1996年のある日。

作曲家の服部克久さんがDJをつとめるNHK・FMの番組で、姫神特集がオンエアされました。

その番組では、当時リリースされたばかりのニューアルバム『風の縄文』の曲や、デビュー曲「奥の細道」など数曲が紹介されました。

実は、星さんのデビュー曲「奥の細道」を聴いたのは、この時が初めてだったのですが、聴いてみて驚きました。

『マヨヒガ』のようなビートではありませんが、ジャズ・フュージョン・テイストの、なかなかノリの良いリズミックな曲でした。

この時、分かりました。

『マヨヒガ』は、新境地を開いたというよりも、原点回帰をされたのだ、ということを。

また、ニューアルバム『風の縄文』からは、「草原伝説」と「風の大地」の2曲が紹介されました。

前作『マヨヒガ』のダンス・ビート路線を引き継ぎつつ、さらに発展させた曲調でした。

喜多郎さん、宗次郎さん、久石譲さんは、一時期、アルバムの作風が激しい曲調に変わったものの、その後すぐ、元の静かで穏やかな路線に戻りましたが、星吉昭さんはこのダンス・ビートの路線のままで、今後も行くつもりなんだな!と感じました。

ラジオで聴いてすぐに、CD店に『風の縄文』を買いに行きました。

前作『マヨヒガ』のおかげで、多少なりともダンス・ビートに馴染んだこともあり、『風の縄文』は何度も繰り返し愛聴する、お気に入りの作品となりました。

通っていた大学(大阪芸術大学)が、南河内の古墳群に立地し、考古学系の博物館が近くにあったこともあり、古代史や考古学に強く興味を抱いていたので、縄文世界をテーマにした『風の縄文』は本当に素晴らしく、とても親しみの持てるアルバムでした。

(※ちなみに、南河内の太子町に“竹内街道歴史資料館”という、歴史系の資料館があるのですが、そこを訪れた際、館内のBGMが姫神作品でした。「まほろば」などが流れていましたが、雰囲気がピッタリでした。姫神作品は、“歴史”と親和性が高い音楽だと思います。)

この頃を境に、学生時代から20代にかけて、少しずつ姫神作品を集めて行き、やがて全てのアルバムを揃えました。


学生時代の1997年の1月。

星さんが出演し、また、姫神作品と東北文化を紹介するテレビ番組が放映されました。

TBS系の番組『報道特集』で、“姫神が紡ぐ東北大陸”と題してオンエアされました。

星さんが、東北各地(十三湊や恐山、三内丸山遺跡など)を旅し、また、姫神の作品を紹介するとともに、平泉や遠野、安東一族といった東北の文化を、映像を交えて紹介されていました。

それまでCDで、“音”のみを聴いていた姫神ワールドが、実際の東北の映像や星さんのお姿を見ることで、より深く理解する助けとなりました。また、この番組は、のちに東北・岩手を旅する際の参考に大変役立ちました。

また、この時ビデオに録画したのですが、その後DVDにダビングし直して、今でも時々見返しています。

生前の星さんのお姿や、スタジオの様子、星さんが愛した東北の風景を知ることができる、いい番組でした。


この『報道特集』はTBS系の番組でしたが、今思えば、のちの同じくTBS系番組の『神々の詩』の曲を担当する布石だったのかもしれませんね。『報道特集』の“姫神特集”からほどなくして、1997年10月から、ドキュメンタリー番組『神々の詩』が放映開始となりました。

姫神がテーマ曲担当ということで、日曜の夜、テレビをつけて視聴しました。

アルバム『風の縄文』の路線を引き継ぐ作風で、独自の女声コーラス(歌詞は縄文語)と、ダイナミックなサウンドとビートが印象的なテーマソングでした。

『マヨヒガ』『風の縄文』からのサウンドの発展形だな、という第一印象を抱きましたが、オープニング映像ともよくマッチしており、とても力強い曲だと感じました。

番組放送開始より、テーマ曲「神々の詩」は話題となり、シングルは姫神作品史上最大のヒットを記録。オリコン・チャートにもランクインし、それまでは知る人ぞ知る存在だった“姫神”が、一躍、時の人となってしまいました。

また、1998年には、「神々の詩」のフル・バージョンである、「神々の詩 海流バージョン」を収録したアルバム『縄文海流 風の縄文Ⅲ』が、日本レコード大賞企画賞を受賞。一気にメジャーなアーティストとなりました。

ただ、その弊害もあり、“姫神=女性コーラス+ダンスビート”というイメージが根付いてしまい、“姫神”というのは、星吉昭さんのことではなく、縄文語で歌っている女声シンガーの名前(アーティスト名)だと勘違いしている人や、日本版アディエマスと呼んだりする人が現れるようになりました。

(この頃の姫神の作風からすると、アディエマスよりもむしろ、ディープ・フォレストの方が近いような気がします)

でも、「神々の詩」やレコード大賞をきっかけに、多くの人が姫神作品に触れ、過去のニューエイジ路線の頃の作品なども聴いてもらうことにつながれば、「神々の詩」のヒットは、大成功だったと言えます。

新聞やマスコミなどの露出も、日本人ニューエイジ・アーティストの中では、喜多郎さんや宗次郎さんに次ぐ存在だった姫神・星吉昭さんが、一番手に名前が挙がるようになり、、特集記事も以前にも増して多く見られるようになりました。

アルバム『SEED』や『千年回廊』の発売特集や、日本人アーティストとしては初の、エジプト・ピラミッドでのコンサートなどが盛んに、記事で報道されていました。

星さん、すっかりメジャーな存在になったなあ…と、妙な感慨を覚えたものです。

しかし、その大活躍も長くは続かず、やがて2004年の秋がやって来ます…。

④未来の瞳~千年の祈り~風の伝説、そして2004年…

「神々の詩」の大ヒットで、一躍メジャーな存在となった、姫神・星吉昭さん。

その後も、同じTBS系ドキュメンタリー番組の『未来の瞳』のテーマ曲を担当されました。

2000年に放送された番組でしたが、そのテーマ曲「未来の瞳」は、「神々の詩」とはうって変わって、笛系の音色が印象的な、静かで温かい感じの曲調でした。

どちらかというと、中期のニューエイジ路線の頃の作風に近い曲調で、とても気に入りました。

「未来の瞳」は、同年11月に発売されたアルバム20作目『千年回廊』に収録されていましたので、早速購入。このアルバムも、よく聴く愛聴盤となりました。

『マヨヒガ』~『SEED』の頃ほどには、激しいリズムやダンスビートもなく、どちらかというと、ゆったりめの曲が多い印象を受けました。また、オーケストラやギター、チェロなどアコースティックなサウンドを多用しているのが印象的でした。

3曲目の「未来の瞳」が良かったのは言うまでもありませんが、1曲目の「千年の祈り」が圧巻でした。

姫神作品の中では唯一、管弦楽を用いている曲で、フル・オーケストラのサウンドとシンセ、そして姫神ヴォイス(女声コーラス)が一体となった、スケール感のある大作でした。

アルバム『千年回廊』で、星さんは新たな作風を切り開いたな…と感じました。

(ただ、『千年回廊』の作風は、その後の『青い花』『風の伝説』に引き継がれることはありませんでしたが…)

そんな名曲「千年の祈り」を、TVで、星さんの生演奏で聴くチャンスがやって来ました。

それが、アルバム発売の翌年2001年の春に、ニュースステーションで放送された、“夜桜中継”でした。

ニュースステーションでは、それまでにも様々な音楽家の生演奏を中継することがあり、羽田健太郎さんや宗次郎さんの生演奏中継を見たことがありました。
(ちなみに、宗次郎さんは、雨が降る法隆寺で、アルバム『風人』より「いにしへの風」をオカリナ・ソロで演奏されました)

その日、新聞のテレビ欄で姫神の生演奏があることを知り、ビデオ録画の用意もして、放映を待ちました。

キャスターの久米宏さんが、「生演奏にのせて、桜を愛でてみようと思います。…場所は民話のふるさと、岩手県の遠野です。姫神の星さん!」と呼びかけました。

テレビ画面が切り替わり、遠野の夜桜並木と、星さんの姿が映りました。テロップには、“シンセサイザー奏者『姫神』星吉昭”と書かれていました。


星さん「あ、どうも、こんばんは。」

久米さん「(遠野の夜桜を見て)あぁ~、きれいだな~。それは、何分咲き、満開でしょうか?」

星さん「ええ、ちょうど満開というとこですね。」

久米さん「桜のそばにいると、人間の気分というのは、高揚するものでしょうか?落ち着くものでしょうか?」

星さん「(ちょっと首をかしげてから、少しおどけた表情で)え~、何かこう…、花咲かじいさんになったような感じです。」

久米さん&報道スタジオ「(大爆笑)」

久米さん「星さんは、今お住まいなのは、岩手県和賀郡東和町、田瀬湖という湖のほとりで、山荘風のお住まい兼スタジオがあるとお伺いしているのですが…。やはり、東京よりは、岩手の方がいいですか?」

星さん「そうですね。何かこう…のんびりしているところが、自分の気性に会っていて、そういう所がいいです。」

久米さん「東京にも、しばらくお住まいになったことがあると聞いています
が、やっぱり、駄目でした?」

星さん「(力強くうなずいて)はい!」

~報道スタジオで軽く笑いが起こる~

星さん「そうですね…。何かこう、いっぱい人間がいるとですね、何かこう、気持ちがせわしくなって…。田舎の方が、僕の気分には合ってるなあって感じがします。」

久米さん「あの、生演奏をお願いするのですが、ちょっと気温が低すぎませんか?生演奏には。」

星さん「ええ、ほんとに冷えてしまいまして…。でも、大丈夫です!(となりにいる、姫神ヴォイスの3人と、パーカッション担当のご子息・星吉紀さんの方を見て)さっきからみんな、がんばってスタンバイしております!」

久米さん「よろしくお願いします。今、気温は0度くらいだそうです。それでは、「千年の祈り」です。」


演奏が始まりました。

アルバム収録版とは違い、イントロをごく短く切り上げて、主旋律が奏でられました。

生オーケストラではなくシンセによる音源で、この日の演奏のために、特別に用意されたバージョンのようでした。

重厚なストリングス・サウンドがシンセで奏でられ、Bメロでは、星さんのシンセ・リードの音がメロディーを奏でます。

よく考えたら、姫神・星さんの生演奏を丸々一曲聴く(見る)のは、今回が初めてでした。

実は姫神コンサートには行ったことがなく、星さんの生演奏をじっくりと聴くのは、この時が初めてということになりました。

(姫神コンサートは東北で開催されることが多いので、関西在住の自分は、なかなか行くチャンスはなかったのでした。また、大阪でコンサートをされたこともありましたが、都合がつかず行けなかったりして、生前の星さんの生演奏をコンサートで聴く機会を結局得られませんでした)

姫神ヴォイスによるコーラスも入り、曲は盛り上がって行きます。

そして、いよいよエンディング…というところで、いきなりCMが入りました。

「ええぇ~!そこで切る!?」と思いましたが、どうやら、放送のタイムスケジュールから時間切れになったようでした。

演奏前に長々と、久米宏さんがしゃべっていたせいだと思いました…。

そんなわけで、演奏の途中で切られてしまいましたが、星さんの生演奏を堪能するという意味では満足できました。

この時の録画も、1997年の『報道特集』と同じく、DVDに録り直して今でも時々見返しています。


さて、この“ニュース・ステーション”での生演奏があった2001年頃と言いますと、僕は大阪芸大卒業後、音楽とは無関係の仕事で生計を立てつつ、仕事以外の時間をフルに使い、音楽活動を続けていました。

学生時代から引き続き、ヒーリング・ニューエイジ音楽の創作や演奏、そして探求に取り組み、喜多郎さんや久石譲さん、そして姫神・星吉昭さんなど、様々なアーティストの作品を聴いては楽曲分析をし、偉大な先達として様々なことを学び取ろうと努力していました。

姫神作品のCDも少しずつ揃えて行っており、星さんの音楽から学ぶことは多々ありました。


そして、2004年…。

この年の4月に発売されたニュー・アルバム、通算22作目『風の伝説』のプロモーションで、星吉昭さんは大阪を訪れ、ラジオ出演をされました。

たしか、発売されて間もない頃だったと記憶しています。

関西の人にはおなじみのタレント、浜村淳さんがパーソナリティをつとめるラジオ番組で、星さんは出演されました。

(たぶん、MBSラジオの「ありがとう浜村淳です」)

浜村さんと星さんで会話をしながら、新作『風の伝説』から数曲、紹介されました。

この時の星さんの、穏やかな語り口を覚えています。

アルバム『風の伝説』より、「砂山・十三夜」がオンエアされた後の会話が、記憶に残っています。


浜村淳さん「いや~、この曲も素晴らしくて、とても癒されます。“十三”というのは“とさ”と読むそうですね?」

星さん「ええ、そうなんです。」

星さんは、十三が青森・津軽の地名であることを紹介し、説明されました。

浜村淳さん「そうなんですか。…しかし、これ…わたしら、“じゅうそう”と読んでしまいそうですなあ。」

星さん「……?」


いやいや、浜村淳さん、東北人の星さんに、そんな大阪の鉄道ネタ言うても、通じへんやん!…と思わずラジオにツッコミを入れてしまいました。

何はともあれ、印象に残った、星さんの大阪でのラジオ出演でした。

この時に聴いた星さんの声が、生前に聴いた最後の肉声となってしまいました。
(ちなみに、“十三=じゅうそう”というのは、阪急電車の駅の名前です)


このラジオ出演から、わずか数か月後。
星吉昭さんは、帰らぬ人となってしまいました。

2004年10月2日の朝刊。

新聞を眺めていて、訃報欄に、顔写真入りで星吉昭さんが載っているのが、目に入って来ました。

最初、自分の眼を疑いました。

しかし、そこには、“シンセサイザー奏者「姫神」として活躍された星吉昭氏。10月1日盛岡市内の病院で心不全のため死去。58歳”と、間違いなく記載されていました。

あまりのショックで、しばらく身動きができませんでした。

ついこの前、ラジオで浜村淳さんと、あんなに和やかに話しておられたのに…。

それに、58歳なんて、逝くには早すぎる…。

残念でなりませんでした。

その後、僕は、星吉昭さんの生前の偉大な功績を偲びつつ、姫神のオリジナル・アルバム全22作品を買い揃え、また、姫神の唯一のライブDVD『姫神 浄土曼陀羅+MORE PICTURES』を購入しました。

姫神・星吉昭さんの魅力あふれる作品とその功績は、永遠に不滅です。


<※星吉昭さんの死因に関して>
その後、星吉昭さんの病が、食道がんであったことを別の新聞記事で知りました。

その記事では、星さんは2003年3月に初期の食道がんと診断されたこと。そして、東京都三鷹市で新免疫療法という医療を行うクリニックで治療を受けたこと。しかし、回復せず2004年に亡くなったこと。そして、そのクリニックの経営者の医師による説明が不十分で、星さんが適切な治療を受けられなかったとして、星さんの遺族が損害賠償を求める訴訟を起こしていることを報じていました。

東京地裁での判決は、「新免疫療法だけでは癌を根治できないことの説明が不十分で、患者(星さん)が治療法を選ぶ権利を侵害した」と認め、賠償を命じる判決が出て、遺族側の勝訴となったことも報じていました。


さて、ここまで、僕が姫神・星吉昭さんの音楽に出会ってから、星さんがお亡くなりになるまでを振り返りました。

星吉昭さんがお亡くなりになってから、4年後の2008年に、僕は星さん所縁の地を訪ねる、岩手への旅に出ました。
その旅の時の話は、次回の記事で書こうと思います。


『姫神 45th Anniversary ULTIMATE BEST』の紹介

最初に紹介しました『姫神 45th Anniversary ULTIMATE BEST』。
姫神活動45周年を記念してリリースされた姫神の究極のベストアルバムとのことで、代表曲が網羅されている32曲収録の豪華ベスト盤となっています。

今回の記事を読んで、久しぶりに姫神の音楽を聴いてみたくなったオールド・ファンの方にも、あるいは若い世代の方で、姫神の音楽に興味を持った・今まで知らなかったけど聴いてみたくなったという方にも、オススメできる内容になっています。

https://www.amazon.co.jp/%E5%A7%AB%E7%A5%9E-45th-Anniversary-ULTIMATE-BEST/dp/B0H1HCKD6Q/ref=tmm_acd_swatch_0

CDのほかにも、YouTube Musicなどサブスクでも配信されていますので、聴いてみてはいかがでしょうか。


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