【姫神・星吉昭さんの音楽】東北への憧憬②~星吉昭さんのゆかりの地を訪ねた岩手への旅~
前回の記事(『【姫神・星吉昭さんの音楽】東北への憧憬①~東北の魂をシンセサイザーで奏で続けた音楽家~』)では、姫神・星吉昭さんの音楽との出会いのことや、彼の音楽に親しんだ青春時代のことなどについて記しました。
今回はその続きとして、2008年春に岩手を旅した時のことを、かつて書いたホームページの記事をまとめ直し、『星吉昭さんのゆかりの地を訪ねた岩手への旅』として紹介したいと思います。
2008年春・星吉昭さんの足跡をたずねて~岩手への旅へ~
星吉昭さんが2004年10月にお亡くなりになり、その後僕は、姫神オリジナル・アルバム全作品を揃えました。
…ですが、2005年~2007年頃にかけては、ニューエイジ音楽からは少し離れ、どちらかというと映画音楽に魅了され、邦画中心に映画音楽畑のアーティストをメインに聴いたりして学んでいました。
曲も、シンセサイザーよりも生オーケストラの音楽を好み、管弦楽曲を中心に聴いていました。
映画音楽も手がけておられる、久石譲さんや喜多郎さんは変わらず聴いていましたが、宗次郎さんや姫神・星吉昭さんの音楽は、あまり聴かなくなっていました。
そんな中、むかえた2008年。
2月から約2か月間、思い切って東京に滞在してみることにしました。
日本の映画産業の中心地であり、当時、聴いて学んでいた映画音楽・映像音楽は、ほとんど東京で生み出された作品ばかりでした。
東京へは、何度か旅で訪れたことはありましたが、大阪府の奈良寄りの田舎の方で生まれ育った自分にとっては、住むとなると未知の世界です。
一度、日本の中心である東京の姿・空気を知ってみたいと思ったのが、きっかけかもしれません。
自分自身の人生勉強のつもりで、東京に行きました。
(今思えば、あの頃は若かったなあ…と)
最小限の家具のついた部屋を借り、2か月間の滞在をスタートさせました。最初は新鮮でした。
まさに、日本のエンターテイメント産業・音楽産業の最先端、中心地であることを実感できました。
…しかし、数週間ほど経つと、東京の空気に疲れてきている自分がいました。
「これが、コンクリート・ジャングルというやつか…。」
僕をそう思わせた理由の一つが、広い関東平野まっただ中の東京では、山が見えないことでした。
「東京でも、晴れていたらビルの屋上とかから富士山くらい見えるだろう?」と、反論がかえって来そうですが、ここでいう“山”というのは、緑の“山並み”のことです。
関西以外の方からは意外に思われるかもしれませんが、大阪では山並みがよく見えます。
大阪府周縁部、北から北摂山系、東を生駒・金剛山地、南を和泉山脈と、三方が山に囲まれており、都心からでも、電車で20~30分程度乗れば、山のそばの所へ行けます。
まして、山がよく見える田舎の方で生まれ育った身としては、山並みが見えない場所というのが、こんなにも息苦しく感じるものなのか…と思ったわけです。
また、大阪でも電車通学・通勤をしていたので、ラッシュには慣れているつもりでしたが、東京の電車の混み具合は、大阪の比ではありませんでした。(ラッシュ時だと、大阪の数倍は凄まじいような体感がありました)
いろんな意味で、東京の姿・空気を味わいました。
そして、前述のような、大阪府周縁部や奈良・京都の緑の山並みが恋しくなっていきました。
(※とはいえ、大阪府でも、大阪市の中心部・都心部はたしかに緑は少ないです。大きな公園は大阪城と靭公園くらいですし、街路樹が多い通りも御堂筋くらいです。都心部に関しては、大きな公園や街路樹が豊富な東京の方が、緑の木々が多い印象があります。その代わりに、大阪には山並みが見えるという利点があるのかもしれませんね。また、東京都でも、郊外の奥多摩や高尾山などでは、山々や自然が多いことは知っていますが、ここで言う東京とは、いわゆる23区特別区を中心としたエリアのことを指して言っています)
東京に滞在している内に、自分の目指すものが、映画音楽など東京で生み出されたような音楽ではなく、もっと土地に根ざしたような音楽であるのではないだろうか。それは、自分にとっては、生まれ育った近畿地方の、美しい風物や歴史遺産にもとづいた自然の風景などからインスパイアされ、しっかりとそれらに根ざした音楽の中にこそ、あるべきではないだろうか。と考えるようになって行きました。
2005年以降、すっかり眠っていた、自分の中のニューエイジ・ミュージシャン魂が、甦って来ました。
ふと、「…あれ?今の自分に似たような境遇を、どこかで聞いたことがあるような…。」と思いました。
答えはすぐに見つかりました。
“姫神の星吉昭さん!”
僕は自分のCDコレクションも持って来ていたので、箱の中から、姫神作品を引っ張り出してきて聴きました。
数年間、あまり聴いていなかった姫神作品に耳を傾けている内、涙が出るくらい感動している自分がいました。
自分にとって最高のお手本、偉大な先達のお姿が、こんな身近なところに存在していたんだ…。
目からウロコが落ちる思いでした。
星さんの作品を次々に聴きました。
まるで、今までの分を取り戻すかのように…。
そして、高校時代に、喜多郎さんや宗次郎さん、そして姫神・星吉昭さんの作品に心酔し、ニューエイジ音楽を志した、自分の原点を思い出してきました。
「よし、東京から大阪に帰ったら、近畿の歴史や自然に根ざした作品を創ってみよう!…かつて、星さんが東京から岩手に戻り、東北に根ざしたように」
そう決意しました。
(その後、近畿に加え、もう一つの自らのルーツ・北陸も大きなテーマとなりました。現在では、さらに様々なテーマで音楽作りをしています)
星さんと自分を重ね合わせて比べるのは、大変おこがましいことですが、東京滞在を経て、自分自身を見つめ直すことができました。
(この時は2か月間滞在しましたが、今だと3日くらいが限界だと思います。根が田舎者ですので…。とは言え、東京には東京の素晴らしさがあることは重々承知しております。田舎者の自分にとっては、時々旅行で訪れたりするには、とても刺激的で面白い場所だとは思います)
こうして、ニューエイジ・ミュージシャン魂が復活した僕は、残された東京滞在期間中に、尊敬する喜多郎さん、宗次郎さん、そして姫神・星吉昭さんの足跡をたずねる旅に出ることにしました。
喜多郎さんは、鎌倉と富士山。
(これらは、喜多郎さんが若いかけ出しの頃に、拠点とされた場所です)
宗次郎さんは、栃木県の茂木町。
(茂木町は、デビュー当初、宗次郎さんが拠点とされていた場所です)
そして、星吉昭さんは岩手でした。
まず先陣を切って、星さんの岩手に向かうことにしました。
高校時代に姫神作品を聴いて、心のどこかで、一度行ってみたいと憧憬の念を抱いていた東北。そして、岩手。
ついに、その地を訪れる時がやって来ました。
星さんが、その生涯をかけて描き続けた“東北”。その姿・景色を見たい!
熱い期待を胸に、僕は、上野駅から東北新幹線に乗りこみました。
それは、2008年3月29日土曜日の朝のことでした。
東京ではすでに、満開の桜が咲きほこっていました。
花巻~遠野~盛岡へ
2008年3月29日土曜日の午前、僕は東北新幹線に乗り、岩手へ向かっていました。
姫神作品を通して、憧憬の念を抱いた“東北”、そして“岩手”へ。
自身初となる東北地方への旅です。
出発した東京は桜が咲いており、ポカポカ陽気でした。
でも、おそらく東北は寒いだろうと予想して、冬用のコートを着込んで出かけました。
岩手への旅を計画し、行先を考える上で参考になったのが、1997年放映の『報道特集』での“姫神が紡ぐ東北大陸”でした。
番組に登場していた場所を中心に、行程を練りました。
まずは、新幹線で新花巻を目指します。
向かう道中、車窓から、北関東~南東北の景色を楽しみました。
埼玉県を通り抜け、筑波山が見えてきました。
久々に見る“山”の姿に、ホッと安堵する思いがしました。
「やっぱり、山が見えるのはいいなあ…。」と思いました。
さらに栃木県に入ると、美しく連なる山並みも見えてきました。
“山”の姿に飢えていたので、嬉しく思い、車窓の眺めに見入っていました。
そして、いよいよ新白河へ。ついに東北地方に入りました。
福島県では、遠くの山は雪をかぶり、白くなっていました。
「やはり、東北は寒そうだな…。」と思いました。
列車は宮城県に入り、仙台に到着。
「さすが、“杜の都”と言われるだけあって、きれいな街だな。」と思いました。
仙台を発ち、ついに岩手県へ。
「ついにやって来た!」
星吉昭さんが、魂を込めて描き続けた、あの岩手へ。
気持ちがワクワクしてきました。
乗って来た新幹線が、いよいよ新花巻駅に到着しました。
ホームに出た瞬間、「寒っ!!」と思いました。空気が全然違います。
駅の改札を出て、外に出ました。
大阪の2月・真冬くらいの気温だと体感しました。そして、空気がとても澄んでいるのが分かりました。
生まれて初めて踏みしめた、東北の大地。
岩手の澄んだ空気をいっぱい吸い込んでから、星さんの足跡をたどる、岩手旅の第一歩目を踏み出しました。
駅では観光マップを入手しました。
まずは新花巻から釜石線に乗ります。そして、星さんの本拠地・田瀬湖のすぐそばを通り、遠野を目指します。
電車の発車時刻まで少し時間があったので、駅の周りを散策してみました。
マップには、近くに宮澤賢治童話村などがあることを紹介していました。
さすが、宮沢賢治のふるさと・花巻だなと思いましたが、そこまで周っている時間は無さそうでした。(なにしろ、電車の本数がかなり少なかったので…)
新花巻駅から、ごく近い辺りを軽く歩いた程度で、釜石行の電車の発車時刻になりました。
釜石線は、賢治にちなんで「銀河ドリームライン」という愛称が付けられているようでした。
また、駅名標には、エスペラント語による愛称が付けられていて、とてもおしゃれだなと思ったのを覚えています。
新花巻駅を発車して、2駅目。駅名が“土沢”となっていました。
「見覚えがある!」と思いました。
そう、姫神のアルバム『炎・HOMURA』や『東日流』のCDの帯に書かれていた地名です。
それは、姫神後援会・北天壮の住所でした。
岩手県和賀郡東和町土沢と、書かれてあったのを思い出しました。
(ちなみに、この旅の時点では、、東和町は市町村合併で花巻市となっていました)
姫神ゆかりの地名を見付けて、嬉しくなりました。
さらに電車は進んで行き、山間部を走っていました。
“岩根橋”、“宮森”、“柏木平”…。
あらかじめ、田瀬湖の場所を地図で調べておいたので、ちょうど今、星さんの拠点・田瀬湖のすぐ近くを通っているな…と分かりました。
生前の星さんが見たであろう風景と、まったく同じ景色を今、自分は見ている…。
深い感慨を覚えました。
(実際の田瀬湖は、それらの駅から2~3kmほど離れているので、湖畔の景色は見えませんでしたが、星さんの生活圏を、今通っているという実感がありました)
電車の車窓から、山の木々が3月の陽光を受け、キラキラと輝いている様が見えました。
まさに、姫神のアルバム『風土記』の世界の中に、今、入っているような感覚でした。どこかからか、星さんのメロディーが聴こえてきそうな光景でした。
電車は進み、“綾織”という駅に止まりました。
「あっ!アルバム『遠野』の曲名だ!」と思いました。
いよいよ次の駅が、最初の目的地“遠野”でした。
新花巻を出発して以来、山間部をずっと通って来た釜石線でしたが、遠野は、なかなか開けた町でした。
ちょうど盆地のようになっており、落ち着いた雰囲気の町でした。
ちょうど、自分にゆかりのある近鉄沿線で言うと、三重県の名張の雰囲気に似ていると感じました。
駅でマップを入手し、カッパ淵と伝承園を目指すことにしました。
以前にTVで見た『報道特集』の姫神特集で紹介されていた、カッパ淵や常堅寺。
ところが、路線バスの本数はかなり少ないようでした。
「よし、歩いて行こう!」
目的地まで、5~6kmほどありましたが、歩いて散策しながら行くことにしました。
遠野駅から北東の方角へ歩き始めました。
川を渡り、しばらく行くと、“遠野郷八幡宮”という案内が目に入りました。
この神社も、先述の報道特集で映っていたのを思い出し、寄ってみることにしました。
美しいお宮さんで、まさに、姫神ワールドに入りこんだかのよう…。
お参りを済ませて、遠野の旅を続けることにしました。
八幡宮を後にして、しばらく行くと、一面の田園地帯に入りました。
まわりは山々に囲まれています。
…日本の原風景だ、と感じました。
遠野駅周辺を近鉄の名張に例えましたが、この辺りの田園地帯を歩いている時は、同じく近鉄の赤目口の辺りを訪れ、歩いた時のことを思い出していました。
「赤目の辺りと、何となく似ているかも…。」
山々と田畑の風景=日本の原風景というものは、東北であれ、近鉄沿線であれ、何かしら共通するものがあるのだと思います。
遠野駅を出発し、歩いて約1時間。
目的地のカッパ淵や伝承園の近くまで到着しました。
この辺りの農家には、酪農小屋と思われる建物がよく建っているのが、印象的でした。そして周辺は、“土淵”という地名のようでした。
まずは、カッパ淵へ。
姫神作品で言うと、2作目のアルバム『遠野』に「河童淵」という曲があります。
いよいよ、星さんの作品世界に入っていく…そんな気がしました。
カッパ淵は、常堅寺のすぐ隣にあります。
周りには、誰一人いませんでした。林の中に、せせらぎが見えてきました。
すると、そこに人影が…。
「あっ!かっぱ!?」
そう、かっぱがいました。
河童ではなく、合羽を着たおじさんが…。
合羽を着たおじさんが、カッパ淵で釣りをしていました。
(後で知ったのですが、カッパ淵では、カッパ釣り体験ができるそうです。ちなみに、エサはキュウリだそうです…)
もっとこう…、妖気が漂っていそうなイメージだったのですが、こんな、ひょうきんな場所だったとは…。
ちょっと、可笑しくなってしまいました。
(今思えば、姫神作品の「河童淵」も、ひょうきんな感じの曲ですね。星さんの表現力、ほんとに凄いです)
しかし、せせらぎと周りの林は雰囲気満点。
しばし、民話の光景を楽しみました。
カッパ淵を後にして、すぐそばの常堅寺へ。
こちらのお寺では、TV番組『報道特集』で紹介されていた、河童頭の狛犬を見に行きました。
狛犬の頭に、河童の皿を思わせるようなくぼみがあり、雨が降ると水がたまるようにできています。(ちなみに、カッパ狛犬は全国で唯一だそうです)
常堅寺の境内は、誰一人いなくて、ひっそりと静まりかえっていました。
そっとお参りをして、常堅寺を後にしました。
続いて、カッパ淵・常堅寺からほど近い、遠野・伝承園へ。
この伝承園は、遠野の古い民家・曲り家が移築され、水車小屋や井戸など、昔の生活を今に伝える、野外博物館でした。
元々、合掌造りなど古い民家を見るのが大好きで、高校時代にも、図書室で南部の曲り家の写真を本で見ていたりしたので、伝承園の展示は興味深いものでした。
実物の曲り家も良かったのですが、何と言っても圧巻は、オシラ堂でした。
東北の民間伝承の神さま“オシラサマ”の御神体の人形が、千体もぎっしりと並んでいました。
遠野の伝承園は、郷土の伝承を肌で感じられる、素晴らしい施設でした。
まさに、姫神作品で言うと、アルバム『遠野』や『風土記』、そして『マヨヒガ』の世界でした。星さんの作品の源泉を、かいま見ることができた気がしました。
民話の世界観を満喫し、遠野駅へ戻ることにしました。
帰りは、さすがにバスに乗ることにしました。
バス停で待っていると、現地のおじいさんがやって来て、一緒にバスに乗りこみました。
バスの乗客は、僕とそのおじいさんの2人だけでした。
気立ての良さそうなおじいさんで、フレンドリーに僕に話しかけて来て下さいました。
僕が、駅からここまで歩いたことを話すと驚かれました。そして、カッパ淵に行ってきた話をすると、あそこは子供の頃はおっかなくて、絶対に近寄らなかったと教えて下さいました。
短い時間でしたが、現地の方と会話ができて良かったです。
バスなので、あっという間に遠野駅に到着しました。
ここから、再び釜石線に乗り花巻へ戻り、東北本線に乗り換えて、宿のある盛岡へと向かいます。遠野駅から、花巻行きの各駅停車に乗りこみました。
座席に座ると、どこからともなく、スルメイカの匂いが…。
見ると、通路を挟んだ席に座っていた4人の若い娘さんたちが、おそらく釜石で買ってきたお土産品でしょうか。スルメイカを食べながらビールを飲んでいました。
別にうるさくするわけではなく、和気あいあいと、なごみながら飲食している様子でした。
大阪の電車の中では、絶対にありえないような光景でしたので、ある種、新鮮味を感じてしまいました。
再び田瀬湖から程近い駅を通る時には、車窓からじっくりと外の景色を眺めました。
やがて、新幹線の停車駅である新花巻を過ぎ、電車は花巻駅に到着しました。この駅で、釜石線から東北本線に乗り換えました。
そして、今回の岩手旅の宿泊地、盛岡へ。
盛岡に到着した時には、夕刻となっていました。
盛岡駅は横に長い駅ビルで、とてもきれいな駅だと思いました。
宿泊するホテルは、駅から少し歩いたところです。
盛岡駅前から歩き、北上川に出ました。
川にかかる橋から北の方角を見た時、岩手山のあまりの美しさに、息をのみました。
白い雪をいただいた雄大な山容が、夕日の中で輝いているように見えました。その美しい山の姿に、しばらく見とれていました。
「なんと美しい、神々しい山だろう…」
その後、ホテルにチェックインし荷物を置いてから、夕食をとりに盛岡駅前に戻りました。
名物の盛岡冷麺などを食べた後、現地のCD屋さんをチェックしてみることにしました。
「姫神作品は置いているかな…?」
たしか、盛岡の駅ビルか近辺の商業施設の中だったかと思います。
CD店を見つけ、店内に入りました。
すると、大きなポスターが貼ってあり、“4月2日 姫神ニューアルバム発売!!”と告知されていました。
ポスターには、星吉昭さんの遺志を引き継いだ、ご長男の2代目姫神・星吉紀さんのお写真と、ニューアルバム『天∴日高見乃國』のジャケット写真や曲目が載っていました。
チラシも置いてあり、一部いただきました。
そのポスターは何か所も多く貼ってあり、地元岩手で大きな期待が、2代目姫神の星吉紀さんに寄せられていることを強く感じました。
(ちなみに、『天∴日高見乃國』のCDは、発売後に大阪のCD店で購入しました)
初代・星吉昭さんが描いた遠野の空気と、2代目・星吉紀さんの新たな活動を感じることができた、岩手旅の1日目でした。
姫神山~小岩井農場へ
岩手旅の2日目、2008年3月30日・日曜日の朝を迎えました。
この日の予定は、午前中は宿泊地の盛岡から電車で北へ向かい、“姫神”の名前の由来となった姫神山へ。午後は、星さんも野外コンサートをしたことがある、小岩井へ行く行程をたてました。
天気は快晴。岩手山の美しい姿がよく見えていました。
盛岡駅からは、“IGRいわて銀河鉄道”という電車に乗りました。
JRから運営を引き継いだ第3セクター鉄道のようでしたが、賢治ゆかりの岩手らしい、素敵なネーミングだなと思いました。
電車に乗り、目的地の好摩(こうま)という駅を目指します。
車窓からは、穏やかな日差しと、のどかな田園風景が見えていました。
行程としては、好摩駅で下車して東の方へ歩き、姫神山の山麓を歩きながら、一駅手前の渋民駅へ向かい、そこから再び盛岡へ戻るという予定を立てました。
好摩駅で降りると、駅の周りはちょっとした住宅地でした。
そこから少し歩いて、県道に出てみました。
方角で言うと東の方角に、美しい三角の稜線が見えました。
「あれが、姫神山だ!」
すぐにわかりました。
そう、星吉昭さんが、自身の音楽にその名をとった山、姫神山とついに対面しました。
左右がきれいに対象となった三角形の山、実に優美な姿でした。
太古の人々が、女神が住む山と考えたのも納得できます。
逆に反対の方角、西の方には、雪をいただいた雄大な岩手山の姿が見えました。
僕は県道に沿って、姫神山の方へ歩き始めました。
“姫神せんせいしょん”として活動を始めた頃の星さんも、もしかしたら、この辺りを歩いていたかも…と想像しながら歩くのは、楽しかったです。
(デビュー当初の、星さんが駆け出しの頃。アルバム『奥の細道』などの頃は、実際に姫神山麓のプレハブ小屋で創作活動をされておられたそうです)
好摩口というT字路で右折した僕は、姫神山麓を南に向けて歩き続けました。
辺りは、のどかな田園風景が広がっています。
右手には雪の岩手山が、さっきよりもよく見え、その美しい見事な山容を拝むことができました。
時折、道(奥州街道)を離れ、田園の畦道の方へ下りては、しばらくたたずみ、周りの風景を楽しみました。
姫神山麓の広大な田園地帯の中でたたずみながら、自然と姫神作品のメロディーを口ずさんでいました。
この時、ふっと湧いてきたのは、アルバム『風土記』の曲「翼」のメロディーでした。
雄大な景色を眺め、姫神ワールド発祥の地を味わうことができました。
田園地帯をさらに南へ歩いて行くと、とても興味深い名前の建物に出くわしました。
その名も、“姫神ホール”。
中に入ってみると、よくある、公共図書館と文化ホールが一体となった、公共の文化施設のようでした。
星吉昭さんの“姫神”と、なにか関連があるのかな?と一瞬思ったのですが、特にそういうわけでもなく、こちらも“姫神山”の名から取った建物のようでした。
姫神ホールの中の、渋民図書館で少し休憩することにしました。
ずっと歩いてきたので、館内の椅子に腰かけて足を休ませながら、新聞や本を読んだりしました。
館内に入った際、カウンターの司書の女性職員の方が「こんにちは」と挨拶してくれましたので、挨拶を返しました。
「まさか、挨拶した来館者が大阪の人だとは、きっと思ってはいないだろうな…」と心の中で思いつつ。
渋民図書館は、さすが石川啄木の地元なだけあって、落ち着いた良い図書館でした。
図書館で足を休ませた後、再び姫神山麓の散策を始めました。
道をさらに進み、野山の風景を楽しんだ後、いわて銀河鉄道線の渋民駅を目指しました。
しばらく歩き、マップでは、もうそろそろ線路が見えてもおかしくはない辺りに来ていました。
それらしき駅や線路が見えなかったので、自転車で通りかかったご婦人にたずねてみました。
「あぁ、駅だったら、そごの道さ、左に曲がって~…」
バリバリの東北訛りでしたが、駅の場所が理解でき、お礼を言って駅の方へ向かいました。
やはり、方言を耳にすると、今自分はそこの地方にいるんだという実感を強く得られますね。
生のネイティブの東北弁を聞けて、なんだか嬉しく思いました。
(逆に、関西以外の地方の方が大阪環状線に乗って、乗客がみんな大阪弁をしゃべっているのを聞いて、新鮮に感じたという話も聞いたことがあります…)
渋民駅から電車に乗って盛岡駅に戻った僕は、駅前のバス停から、小岩井農場行きのバスに乗りました。
この日の旅の後半の目的地が、岩手山麓にある有名な小岩井農場でした。
小岩井農場では、1996年に、宮沢賢治生誕100年を記念した、姫神コンサートが開催されたそうです。
その時の映像が、1997年放映の『報道特集』の“姫神特集”で少し紹介され、印象に残っていました。
雨が降る小岩井農場の野外ステージ。
アルバム『イーハトーヴォ日高見』より、「つめ草のあかり~あのイーハトーヴォのすきとほった風」の生演奏をバックに、役者さんが扮する宮沢賢治が東北訛りで「雨ニモ負ケズ」を朗読していました。
そんな、星吉昭さんと宮沢賢治ゆかりの地であり、姫神コンサートの舞台となった小岩井農場を、この目で見てみたいと思いました。
小岩井農場は、盛岡駅からは北西の方角、岩手山の麓にあります。
盛岡駅からバスに乗り、市街地をぬけて、のどかな田園地帯を走り30分ほどで到着しました。
小岩井農場に着くと、その広大さと、目の前の岩手山の雄大な光景に感銘を受けました。
本当に素晴らしいところでした。宮沢賢治のお気に入りの場所だったというのも、うなずけます。
園内マップを見ながら、ゆっくりと散策することにしました。
広大な農場を歩きながら、資料館や牛舎などを見学し、草原に囲まれた農道を歩いて、“小岩井農場の一本桜”の方まで足を延ばしました。
季節的に桜はまだ咲いておらず、草原も緑というわけではありませんでしたが、所々、白い雪が残っており牧歌的な風景と雰囲気を堪能できました。
桜が咲く頃や新緑が芽吹く頃には、さぞかし、美しい光景だろうなと思いました。
星さんもきっと愛しておられたであろう、小岩井の自然。
姫神ゆかりの地を、またひとつ味わうことができました。
結局、小岩井農場には夕方近くまで滞在し、その後再びバスに乗って盛岡駅に戻り、ホテルへと帰りました。
“平泉”へ
岩手旅の最終日・3日目、2008年3月31日月曜日の朝を迎えました。
花巻~遠野~盛岡~姫神山~小岩井と、星吉昭さんの足跡をたどってきた岩手旅。
最終日のこの日の目的地は、姫神作品を語る上で絶対に外せない場所、そして、今回の旅のハイライトとなる“平泉”でした。
星吉昭さんは、平泉をテーマとした曲やアルバムを多く残しておられ、また、野外コンサートも開催されました。
代表的なアルバムとして、『まほろば』『北天幻想』『炎・HOMURA』の平泉追想3部作。
そして、コンサートでは、姫神唯一のライブDVD『姫神 浄土曼陀羅+MORE PICTURES』の舞台でもある、平泉・毛越寺の浄土庭園でのコンサートが挙げられます。
そんな、星さんが曲のテーマとして描き、また、入魂のコンサートを行ったゆかりの地・平泉の姿を、この目で見たいと思いました。
この日は朝早く目が覚めましたので、出発する前に、盛岡の街並みをよく見ておこうと、朝食前に散歩することにしました。
盛岡城跡公園の方へ向かい、石割桜や岩手銀行のレンガ建築を見て、そこから引き返し、盛岡の商店街の辺りを抜けて、ホテルに戻りました。
朝食をとり、2泊お世話になった客室とホテルに別れを告げ、平泉へ向けて出発しました。
盛岡から平泉へは、東北本線の各駅停車で、のんびりとローカルの車窓風景を楽しみながら行くことにしました。
盛岡から平泉までは、同じ岩手県内ながらも、約1時間20分程もかかります。
何と言っても、日本で北海道に次ぐ面積の岩手県。電車でかかる時間からも、その大きさを実感できます。
北上川に沿って、北上盆地を走る東北本線。
やがて、憧れの地・平泉駅に到着しました。
平泉駅を降りると、空はどんよりと曇っていました。
あいにく快晴というわけにはいきませんでしたが、かえって、曇天の方が平泉の歴史の重みが感じられました。
数々の歴史の舞台となった平泉。
特に、この旅の数年前には、大河ドラマ『義経』(滝沢秀明主演)を観ていたので、義経最期の地のイメージが強かったからかもしれません。
曇り空の下、平泉散策を開始しました。
平泉駅の周辺では、世界遺産への登録を目指す、ポスターや横断幕があちこちに貼ってありました。
(この旅の当時・2008年は、まだ世界遺産にはなっておらず、その後2011年に登録されました)
散策マップを入手し、まず、中尊寺を目指すことにしました。
その道中、柳之御所遺跡と高館義経堂に寄りました。
奥州藤原氏の館跡の柳之御所遺跡。
建物などは復元されておらず、居館跡を示す説明の他、原っぱや少々の木々がはえた史跡となっていました。
その雰囲気から、奈良の平城宮跡や飛鳥といった史跡を思い出していました。
時代は違えど、それらと同じく、“夢の跡”という感じでした。
姫神作品で言うと、アルバム『炎・HOMURA』に「蒼い夢」という曲がありますが、まさに、この曲のようなイメージの光景でした。
次に、柳之御所遺跡から北へ向かい、高館義経堂を訪れました。
小高い丘の上に位置する高館義経堂。
この地こそ、源義経が居をかまえ、また最期を迎えた場所でした。
丘の上からは、北上川の美しい光景が一望できました。
“夏草や つわものどもが 夢の跡”
尊敬する松尾芭蕉が、この地で詠んだ有名な句です。
3月なので、夏草はありませんでしたが、静かな森に包まれた義経堂で、しばし古に思いを馳せました。
その物悲しい雰囲気は、アルバム『北天幻想』の名曲「白鳥伝説」のイメージでした。
星さんも、芭蕉と同じく、この地に立って義経に思いを馳せたのかもしれませんね。
その後、平泉観光の中心地である、中尊寺に向かいました。
月見坂と呼ばれる、杉木立の巨木が並ぶ坂を登って行きます。美しい木立の合間に、中尊寺のお堂が姿を見せます。
散策しながら、同じく巨木に包まれた高野山を歩いた時のことを回想していました。
中尊寺は、実に美しいお寺だと感じました。
中尊寺の伽藍の奥の方へ進むと、最も有名な金色堂に着きました。
よく写真などで写っているのは、金色堂そのものではなくて、それを覆う覆堂で、実際の金色堂はその中の巨大なガラスケースに入っています。
黄金に輝く金色堂は、藤原三代のミイラが納められていることでも知られています。
まさに、中尊寺最大の見どころ。
金色堂は、姫神作品の名曲「大地炎ゆ」のイメージにぴったりですね。
東北に輝いた古の黄金文化を感じられました。
実際に平泉を歩くと、星さんが平泉文化の重み、香りを見事に音楽化されているのが、よくわかります。
中尊寺拝観を終えた僕は、平泉の旅、そして今回の星吉昭さんの足跡をたずねる岩手旅の、最終目的地・毛越寺へと向かいました。
アルバム『北天幻想』の組曲“北天幻想”に「毛越寺」という曲もあり、さらに、姫神唯一のライブDVDの舞台となった寺院です。
このDVDは2004年に発売されたのですが、コンサート自体は1995年の夏に行われたライブの模様が、収録されています。
それは、毛越寺の浄土庭園というところで開催されました。
DVDを見て、その場所をぜひ訪れてみたいと考えました。
毛越寺に入る前に、隣接している観自在王院跡を見学しました。
池と、その周りの緑がとても美しいところでしたが、毛越寺の浄土庭園は、それをさらに上回る美しさでした。
毛越寺の門をくぐった僕は、そのあまりの広大さに驚きました。
坂の上にあった中尊寺とは異なり、平らな地にある境内は広々として解放感があり、空が広がって見えました。
美しい木々と、水をたたえた広大な池…。まさに、その名の通り“浄土”の美しさでした。
「ここで…この地で…、星吉昭さんがコンサートを開いたんだ…。」
とても深い感慨を覚えました。
この時はまだ世界遺産にはなっておらず、観光客もまばらで、とても静かにゆったりと見て回れました。
この旅では、岩手の美しい風景を数多く見ましたが、中でも、この毛越寺・浄土庭園は、特に印象に残りました。
姫神・星吉昭さんの作品の中でも、中期のニューエイジ・テイストな作風を最も好んで聴いていた自分にとって、とりわけ“平泉追想三部作”(『まほろば』『北天幻想』『炎・HOMURA』)は、特に愛聴してきた作品でした。
「まほろば」「大地炎ゆ」「風の祈り」…数々の名曲のモチーフとなった“平泉”。
特に、毛越寺・浄土庭園の光景は、その源泉を見た感がありました。まさに、星さんの脳内を旅したかのような感覚です。
こうして、星吉昭さんの足跡をたずねる岩手旅は、幕を閉じました。
星さんが愛し、音として紡いだ岩手の風景・こころを、肌で感じとることができました。
僕は残念なことに、生前の星吉昭さんにお会いすることはできず、またコンサートで生演奏に触れる機会は得られませんでした。
しかし、岩手の、星さんゆかりの地を旅したことで、とても大きな大きなものを、星さんから頂けたような気がしました。
人生の指針・アドバイスのようなものも感じとることができました。
この旅で感じたことや得たものは、その後の自分自身の人生、そして音楽活動に大いに役立ったと思います。
それはその後に制作した、近畿や北陸の歴史や自然をテーマにした音楽の創作活動にと結びついたと思います。
平泉を後にした僕は、予定を変更し、もう一日、東北にとどまることにしました。
仙台に宿をとり、翌日は仙台市内と松島を観光しました。
そして、東京へ戻り、星さんと同じく尊敬する音楽家のゆかりの地、宗次郎さんの栃木県茂木町や、かけ出しの頃の若き喜多郎さんが過ごされた、鎌倉と富士山を旅しました。
旅を通して、自分自身、成長することができたと思います。
そして、2か月間の東京滞在を終え、近畿に根ざした音楽を作ろうと決意を心に秘め、大阪へと戻りました。
現在でも、姫神・星吉昭さんの音楽を聴くと、偉大な先達として、曲を通して多くのことを語りかけて来て下さる感じがします。
また、岩手旅に行ってから3年後には、東日本大震災が発生しました。
東北地方の復興を、心から願っております。
震災後、岩手ではありませんが、同じ東北地方の山形を旅しました。
今までに東北地方に行ったのは、この2回だけですが、もし次に行く機会があれば、青森・津軽にも行ってみたいと思います。
再びの星吉昭さんの足跡をたずねる旅として、アルバム『風の縄文』シリーズや、縄文浪漫コンサートの舞台となった、三内丸山遺跡。
名曲「十三の砂山」など、何度も曲のテーマとなった十三湖・十三湊も訪ねてみたい場所です。
いつの日にか、行けたらいいなと思っています。
コラム「姫神・星吉昭さんの音楽~東北への憧憬」、最後までお読み下さり、ありがとうございました。
