ローアングルな1LDK

天井が、昨日より少し低い。
「ガツン」と乾いた音がして目が覚めた。
枕から上半身を起こした瞬間、額の中央がコンクリートに激突したのだ。
一昨日もぶつけたし、その前日は前髪の生え際をこすった。
なぜなら、私の部屋の天井が、物理的に降りてきているからだ。
賃貸の1LDK。
昨日までは背伸びをすれば届くくらいの高さだったはずの天井が、今は私の座高より少し上にのしかかっている。
まっすぐ立とうものなら、確実に首の骨がいかれる。
29歳と364日目の朝、世の中はこれを「お肌の曲がり角」と呼ぶけれど、私に訪れたのは物理的な圧迫骨折の危機だった。
「それ、何のプレイ?」
夕方、遊びにきた友人のハルカが部屋に入るなりフリーズした。
私が四つん這いでスマホを充電していたからだ。
「生存戦略。気づいたら天井が下がっていたのよ」
ハルカは上を仰ぎ、「なんか……ミニマリズムの極致って感じでエモいよ」
と笑いながら缶ビールをあけ、床にペタンと座り込んだ。
「ねえ、それミツコ自身のせいなんじゃないの?」
「私の?」
「うん。ずっと『私、このままでいいのかな』とか『結婚ラッシュについていけない』って、自分で自分にかけてた見えないプレッシャーが実体化したんでしょ」
図星だ。
図星すぎて冷蔵庫の角を蹴り飛ばしたくなった。
そうだ。私はずっと、見えない天井を気にして生きてきた。
「30歳」という数字が頭を押さえつけて、もっとちゃんとした大人にならなきゃって背伸びして、でも実際には一歩も進めなくて。
夜が更けて、日付が変わる。
いよいよ30歳の誕生日がやってくるその瞬間、天井はさらに下がり、ついに私の座高の高さまで降りてきた。
もはや床に伏せって這うしかない。
ただ、息苦しい。
でも、世界が私を拒絶しているんじゃなくて、「私のキャパシティはここで打ち止めですよ」とサイズを合わせてくれたみたいな、妙な納得感があった。
絶望なんてしない。
私は床に転がっていた油性ペンを拾い上げ、寝そべったまま低い天井に手を伸ばした。
お気に入りの映画のセリフ、昨日食べたパスタの名前、どうしようもなく情けなかった自分への愚痴。
どうせ立てないなら、この天井に好きなものをびっしりと書き殴ってやる。
すうっ、と息を吸う。
天井は相変わらず低い。
だけど不思議と圧迫感は消えていた。
30歳。
それは、青空に向かってどこまでも背伸びしていく年齢じゃなくて、自分だけの低い天井に、すっぽりと身体を収める年齢だったらしい。
頭さえぶつけなければ、ここは世界で一番、安全で静かな秘密基地だ。
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あとがき
あの頃は、30歳という数字がまるで頭上に迫る天井のように感じられて、何かにならなきゃいけない、ちゃんとしなきゃいけないと、ずっと背伸びをしていたように思います。
今振り返ると、あのとき無理をして頭をぶつけていた自分も、小さくまとまることに怯えていた時間も、なんだか愛おしい通過点だったのかなぁと、人生の天井は思っていたよりずっと低かったけれど、その下で自分だけの秘密基地をつくるように肩の力を抜いていいんだと気づけたあの瞬間から、本当の自由が始まった気がします。
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