変わる時代、変わらない心
テレビドラマ「ホットスポット」を楽しく見ている。
日常と非日常が混在するあたりをきわめて日常的に描いているこの物語。
あるとは思えないが、ないとも言い切れないところが、視聴者の心をくすぐるのかもしれない。
登場人物たちのどうでもいいようなモノローグや、友達や職場仲間とのどうでもいいような会話が、本筋やエピソードより好きなのは、たぶん私だけではないと思う。
だが。
前回序盤のどうでもいいような日常描写に、すこし気になったことがある。
主人公清美はシングルマザーで、中学生の娘と二人で暮らしている。
職場はホテルなので勤務はシフト制。
ときに、娘より先に家を出る。
「鍵、締めてね」と、出がけにも念を押す。
言われた娘は、母がドアの外に出た瞬間、秒で鍵を締める。
そのことに、ちょっとモヤッとする母。
自分ならすこし時間をおいてから締めるのに、という感じで。
即、締められたことに、なんだか追い出されたような、いなくなってホッとされているような気がするのだろう。
そして、いつか大人になったら、そういうこともわかるようになってほしいと、心の中で思う。
もちろん、娘は、母の心をかすめたようなネガティブな気持ちはさらさらない。
実は、私も家人を見送ったらすぐに鍵を締める。
ドラマで清美が感じた淋しさはわかっている。
わかっているけれど、私ならそうして欲しい。
まあ、もうそういう機会はないんだけど。
昭和の頃は、鍵は家が無人になるときと家族全員が寝るときにかけるものだった。
うちの場合は。
幼児期はド田舎で過ごした。
鍵はなく、中から「心張棒」を斜めにかませる。
だから外からはかけられない。
江戸時代の長屋みたいなやつ。
空き巣が侵入したとて、盗るものもなく同情してくれそう。
上京してから大学に入るまで都内でも下町のほうで暮らした。
最初の住まいにも鍵はなかった。
そもそもドア自体が歪んでいてきちんと閉まらないというありさま。
次の住まいには、いまトイレにあるようなノブの真ん中のポッチを押すと締まる鍵がついていた。
でも、鍵のない暮らしが長かった両親も祖母も、なかなかかけない。
誰もいないのに開けっ放しで出かける。
私が学校に行っていて、みんな仕事に出ているとき、急な雨が降ってくると、隣のおばさんが上がり込んで洗濯物を取り込んでおいてくれたりした。
そんな塩梅だから、母は「家に人がいるのになんで鍵をかけるの?」という感覚。
時代が平成になってもそうだった。
老いた父がデイサービスに行き、兄は出勤し、実家から自宅に戻る私は母一人残して玄関を出る。
「鍵、かけてね」と念を押すが、母は「はぁい」とだけ言って、その場ではかけない。
駅に着いて、私は母に電話する。
「鍵かけた?」
案の定、かけてない。
そして母は言うのだ。
どこにも出かけんから。
いやいや、家にいてもかけるのよ。
昔の泥棒は、誰もいない家に入った。
かつ、金のありそうな家。
しかし、いまは、人がいても入る。
むしろ、脅してキャッシュカードの暗証番号を聞き出したほうが手っ取り早い。
そしてたぶん、そんなに金持ちじゃなくても、入りやすそうな家に入るのだ。
一昨年、うちのマンションには業者を装った押し込みがあった。
家にいても鍵はかけなきゃいけないし、ちょっとしたゴミ出しのときも必ずかける。
そして、知らない人からの電話やインターホンにも応答しない。
共同住宅や地域の申し合わせのようになっている。
共同住宅では、泥棒は無施錠の1号室から入ってベランダの仕切り板を壊して施錠してある2号室にも入るからだ。
もう個人の問題ではない。
私は、自分が玄関を出てすぐに中にいる人がカシャリと鍵をかける音を聞くとホッとする。
聞こえないと、ほんとにかけたか?と不安になる。
だから、その場で即時に締めてほしい。
元夫も、私がすぐに鍵をかけることを非難した。
私は、見送った後、玄関で5秒数えることにしたが、ときどき忘れてすぐに締めてしまう。
でも、私が先に出るとき、夫が締める鍵の音が聞こえないと、母のときと同様すごく不安になるのだ。
私が清美なら、娘が即響かせた鍵の音に安堵することだろう。
私は、元夫に淋しさを与えた。
でも、夫は、私に不安を与えていることは知らなかったのではないか。
優しさか、安全か。
私は現実的(妄想癖があるくせに)だから、別れの余韻よりも、物理的な安全を優先する。
自分は出かけてしまい、留守のあいだ、相手を守ってやることはできないのだから。
人の感情には普遍的なものが多い。
でも、それをよそに時代背景はどんどん変わっていく。
いまより安全だった頃の優しさを、そういう性善説が通用しにくくなった危険な現代にそのまま求めるのはどうなのか。
そんなところにちょっと違和感を持った。
私だけかな。
たぶん。
夫と私も、ドラマの清美と娘も、こういう感覚の差を伝え合えれば良かったかもしれない。
いずれわかるよとかじゃなくて。
わかってほしいと思っているだけじゃなくて。
時代だけじゃなく、私も変わっていく。
見送らない私になったもんな。
