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ジュラシック・ワールド 復活の大地 考察|ラストの意味と、"復活"したのは恐竜じゃないという話

この映画、恐竜が主役じゃないと思うんです。

※この記事にはアフィリエイトリンク(楽天)を含みます。

観終わってからずっと引っかかっているのは、腕が二対もあるあの怪物でも、船ごと丸のみにしにくる巨大なアレでもなくて。

冒頭の、道路にぐったり横たわっている、大きな生き物のほうでした。

こんにちは、あとよみです。

今日は『ジュラシック・ワールド/復活の大地』を、ラストの意味とタイトルの「復活」が何を指していたのかを中心に読んでいきます。


前提をひとつだけ。

この映画は前作『新たなる支配者』から5年後の世界です。恐竜は現代の気候に適応できず、赤道近くの熱帯でしか生きられなくなっている。つまり、もう一回、絶滅に向かっている。 そして人間のほうは、彼らにすっかり飽きています。テーマパークは儲からず、恐竜の博物館は閉館寸前。

この設定、私はちょっと変な汗が出ました。シリーズが7作目にして自分から言っちゃってるようなものじゃないですか。「みんな、もう飽きてるよね?」って。

🦕 「復活」って、いったい何が復活したんでしょう

原題は『Jurassic World Rebirth』。復活、再生。

でも作中で恐竜は復活していません。むしろ静かに消えかけている。人類が救われるわけでもない。

じゃあ何が「復活」したのか。読み方は3つあると思っています。

シリーズの復活:キャストを全員入れ替え、監督にギャレス・エドワーズを迎えた。彼にとって初の35mmフィルム撮影で、レンズもわざわざ古いものを選んでいます。全部「1993年の質感」に寄せるため。監督はこの映画を「スピルバーグへのラブレター」と呼んでいます

人類の復活:任務は恐竜のDNAから心臓病の治療薬を作ること。復活するのは恐竜ではなく、死ぬはずだった人間のほう

畏れの復活:ルーミス博士がティタノサウルスの脚に手を触れる場面。私には、ここが映画全体でいちばん1993年に近い数分に見えました

私が取るのは3つめです。理由は、この映画が同じような生き物を、わざわざ二回描いているから。

現在パートの冒頭。ニューヨークの路上で、首の長い巨大な草食恐竜が衰弱して倒れている。誰も車から降りません。ただクラクションを鳴らして、迂回していく。渋滞の原因として処理されている。

そして中盤。同じような首長の巨体を前に、ルーミスとゾーラは言葉を失って、ただ見上げる。

見下ろされる竜脚類と、見上げられる竜脚類。

脚本がわざわざ対にして置いている以上、この映画が「復活」させたかったのは恐竜そのものじゃなくて、恐竜を見たときの、人間の顔のほうなんじゃないか。1993年の『ジュラシック・パーク』で、グラント博士が帽子を落とした、あの顔です。

そして私がいちばん正直だと思ったのは、その顔が数分しか持たないことでした。ルーミスが手を離したら、映画はすぐ採血の作業に戻ります。畏れは、あっさり業務に押し戻される。

——この「すぐ仕事に戻ってしまう」感じこそ、実はこの映画が描いている世界そのものなんです。

🎪 30年かけて、奇跡は「渋滞の原因」になった

私がこの映画でいちばん残酷だと思った画は、怪物じゃありません。ルーミスが働く、あの閑散とした博物館です。

天井から「When Dinosaurs Ruled the Earth(恐竜が地球を支配していた頃)」という垂れ幕が下がっている。1993年を観た人なら反射的にわかるはずです。あの映画のクライマックス、T-レックスが吠えたその頭上に、ひらりと落ちてきたあの垂れ幕。

あれは、神殿の完成図でした。

今作では、同じ垂れ幕の下に立つT-レックスの骨格に、頭がありません。

神殿の首が落ちている。しかも落としたのは、隕石でも恐竜でもなくて、人間の無関心と、収支です。

この世界の恐竜って、絶滅しかけているというより、投資を打ち切られているんですよね。博物館は感動が足りなくて閉まるんじゃない。採算が合わないから閉まる。

……で、ここからが本題です。これ、恐竜の話じゃないと思うんです。

初めて給料が振り込まれた日のこと、覚えていますか。私は明細をしばらく眺めていました。付き合いはじめの頃、相手の何気ない一言がうれしくて眠れなかった夜も。

いま同じことが起きても、たぶん、そんなに心は動かない。

飽きるって、対象が劣化したわけじゃないんですよね。こっちの解像度が下がっただけで。

恐竜は1993年から一ミリも変わっていません。変わったのは見る側です。だからこの映画で本当に絶滅しかけているのは、恐竜のほうじゃない。

30年前、あの1本が"大人"のほうを救っていた、という話は別の記事に書きました。


🧬 あの怪物、「最強」じゃなくて「失敗作」なんです

今作のボスは、ディストータス・レックス。通称D-レックスです。

T-レックスをもっと強くしようとして、他の生き物の遺伝子まで掛け合わせた個体。腕が二対、つまり手足あわせて6本ある。頭は異常に大きく膨らんでいて、自分でも支えきれていない。 この膨らみ、わざわざ「痛みと不自由さ」が伝わるように設計されているそうです(Empire誌ほかのインタビューより)。

つまりこの怪物、強そうに作られていない。つらそうに作られている。

シリーズの捕食者は、これまで完璧でした。T-レックスもラプターも「自然はお前より上手にできてるぞ」という怖さだった。でもD-レックスは生き物として破綻している。彼が体現しているのは自然の完璧さじゃなくて、人間の設計ミスのほうだと私は読みました。

脚本のデヴィッド・コープは、着想をこう説明しています。

過去の『ジュラシック・ワールド』では、実験によって恐竜をより大きく、より凶暴に、より恐ろしくしてきた。それが全部うまくいったはずがない——スピルバーグと私はそう思ったんだ

(デヴィッド・コープ インタビュー/趣旨を要約)

しびれませんか。「もっと歯を」の裏側には、必ず失敗作の山が積み上がっていたはずだという発想。D-レックスは新発明じゃなくて、シリーズの負債なんです。

しかも彼、強すぎて隔離されたようには見えないんですよね。気持ち悪くて売り物にならなかったから隠された——そう読めてしまう。設計上は26番目の試作。そのまま17年、誰も来ない島で、誰にも見られないまま生きていました。

そしてこの映画、人類はこの怪物に何もしません。 サンプルを手に入れた一行は、倒しに行かない。始末もしない。発煙筒で気をそらして、船で逃げるだけ。責任を取らないまま、島に置いて帰る。「怪物を倒したら世界が元通り」というお約束を、静かに切っているんですよね。

ちなみに17年前の事故の引き金はお菓子の包み紙です。1993年の惨事には、ある男の裏切りと欲がありました。今回は、ただの不注意。誰も悪くないのに、全部壊れる。

D-レックスをこう読むと、他人事じゃなくなります。

会社で握りつぶした企画。言えなかった一言。見て見ぬふりをした違和感。私たちはそれを「片づけた」と思っているけど、たぶん閉じ込めただけなんですよね。 そして何年も経って扉を開けると、いちばん大きくなって出てくる。

「映さなかったもの」がいちばん雄弁になる話は、別の作品でも書きました。


💊 ラストの意味|なぜ彼らは、薬を「無料で配る」と決めたのか

ここが今回のいちばんの本題です。

まず、シリーズの動機の変化を並べてみます。

・1993年『ジュラシック・パーク』:子どもたちに見せたい(=驚きの商品化)

・2015年『ジュラシック・ワールド』:もっとスリルを(=娯楽の商品化)

・2025年『復活の大地』:心臓病を治したい(=生命そのものの商品化)

今回、誰も恐竜を見に行きません。血を採りに行くんです。 ティタノサウルスも、モササウルスも、ケツァルコアトルスも、鑑賞の対象じゃなくて「採取ポイント」。

見上げるのをやめた相手を、人はいつのまにか「素材」と呼びはじめる。 飽きの、次の段階です。

そしてこの動機がいちばん怖い理由は、反対しにくいからなんですよね。

ハモンドの夢はエゴでした。だから断罪できた。でも今回は「人が死なずに済む薬」です。正面から否定しづらい。

しかもゾーラ自身、母親を心臓病で亡くしています。そのとき彼女は任務で国外にいて、葬儀に間に合わなかった。この仕事は、お金の話であると同時に、個人的な埋め合わせでもある。善意で人は一線を越える。いちばん現実的な形だと思いました。

「人が死なずに済むのなら、何をしてもいいのか」——ここで私は手が止まりました。臓器の話も、遺伝子の話も、この瞬間に地続きです。恐竜という荒唐無稽な入れ物を使っているだけで、中身は完全に現代の話をしている。

さて、ラストです。

ゾーラとルーミスは、持ち帰ったものから作られる薬を、特許で囲い込まず、世界に無償で公開すると決めます。製薬会社の独占を、拒否する。

これをどう読むか。私の中では、感情が二つに割れました。

ひとつは、素直に美しいという読み。恐竜を私有化しようとして7作にわたって失敗し続けてきたシリーズが、ここで初めて「独占しない」という答えを出した。所有を手放すことでしか終われなかった物語が、やっと手を離した。正直、ちょっと泣きそうになりました。

もうひとつは、ちょっと都合がよくないかという読み。だって彼らは、精算していないんですよ。3頭から奪ってきたDNA。島に置き去りにした怪物。そして、亡くなった仲間たち。「みんなに配るから許してほしい」は、善行であると同時に、話題を変える技でもある。

そのうえ——恐竜の遺伝情報を全世界に無料で公開したら、何が起きるんでしょうね。このシリーズが7作かけて描いてきたのは「技術は広まると必ず誰かが悪用する」ことだったはずなんですが。

だから私は、この結末を「答え」ではなく「答えを出した気持ちよさ」だと読みました。

でも、それが悪いとは思っていません。むしろ人間くさくていい。私たちも、だいたいそうやって折り合いをつけて生きているので。

🛟 血を「採る」大人と、名前を「つける」子ども

もうひとつ、書いておきたい対比があります。

この映画、任務と関係のない漂流中の一家が途中から合流してきます。最後の家族旅行のつもりで大西洋を船で渡っていたら、海の怪物に襲われて遭難してしまった人たちです。

正直、最初は「なんでこの人たちがいるんだろう」と思いました。プロの傭兵チームの話に、素人の一家を混ぜる必要ある?と。

でも観終わってみると、この映画で恐竜を見て素直に驚いているのは、この家族だけなんですよね。

プロたちは恐竜を見て、採取の段取りを考えます。家族は恐竜を見て、悲鳴を上げて、隠れて、そして——赤ちゃん恐竜を拾って「ドロレス」と名前をつけて、リュックに入れて連れて歩くんです。

採取と、名づけ。

サンプルを採るというのは、相手を「量」に変える行為です。名前をつけるというのは、相手を「誰か」に変える行為です。同じ島で、大人は血を抜き、子どもは名前をつけている。ここ、私はこの映画でいちばん鋭い場面だと思っています。

(名前を呼ぶことが、そのまま救いになる映画についても書きました)

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そしてもう一点、ダンカンの話を。

発煙筒を掲げて怪物を引きつけ、みんなを逃がした彼。本作でいちばん美しい背中だと思います。

じつは彼、当初の脚本では死ぬ予定でした。

スタジオ側の要請で生存する場面をタイでの撮影中に追加で撮り、監督がそれを最終版に採用したそうです。ニューヨークでの試写ではこの場面に拍手が起き、監督自身「その夜で唯一、涙ぐんだ場面だった」と語っています(Varietyのインタビューより)。

自己犠牲を取り消した瞬間、映画は「安全」になった。でも一方で、幼い息子を亡くし、人の命がいちばんだという信条を掲げてきた男が、生きて帰ってくる。取り返しがつかないと思っていたことに、二度目がある。 これ以上「Rebirth」らしい着地もない気がするんです。

……そしてここまで書いて気づいたんですが、この映画、何ひとつ終わらせないんですよね。

恐竜は絶滅しきらない。怪物は倒されない。犠牲は取り消される。シリーズも終わらない。終わらせないことが、この作品のかたちそのものになっている。

🍿 この映画、おすすめしたい人・しない人

評価はきれいに割れました。ロッテン・トマトでは批評家が約50%、観客は70%台。批判側で多いのは「これは恐竜映画じゃなくて怪獣映画だ」という趣旨の声です(映画.com/Filmarksのユーザーレビューに多数)。逆に、映画.comのレビュアー・ななやお氏はダンカンの生存についてこう書いています。

ダンカン生存で本当に大正解‼️こっちのラストでありがとう😭

(映画.com ユーザーレビューより)

同じ映画を観て、こんなに違う場所に立てるのが面白いですよね。

おすすめしたい人

・子どもの頃、テレビで1993年の『ジュラシック・パーク』を観て震えた人(たぶん、あなたのための映画です

・最近、何を観ても心が動かなくなってきたな、と自分でうすうす気づいている人

・会社や家庭で「見なかったことにした問題」を抱えている人

おすすめしない人

・新しい神話や大きな謎解きを期待している人。むしろ引き算の映画です

・恐竜が科学的に正確に描かれることを重視する人(後半はほぼモンスター映画です)

・登場人物の痛みが最後まで残る、重い結末が好きな人。この映画は、いちばん重かったはずの犠牲を取り消します

🌊 さいごに|あなたが最後に何かを見上げたのは、いつですか

ラストは、船と並んで泳ぐイルカの群れで終わります。1993年のラストに飛んでいた、あのペリカンの群れと同じ形です。

でも観終わって私の頭に残っていたのは、やっぱり冒頭の、道路に横たわっていたあの大きな生き物でした。

30年前、人類はこの生き物を見て泣いたんです。いまは、通勤の邪魔だと思っている。恐竜の側は何も変えていません。変わったのは、こちらの目だけです。

飽きるというのは、相手が色あせることじゃなくて、自分が見上げるのをやめることなんだと思います。

いちばん怖かったのは、あの歪んだ怪物じゃなくて、誰も見上げなくなった街の風景のほうでした。

ルーミス博士が、あの巨大な脚にそっと手を触れる数分。

私はあそこだけのために、この映画をもう一度観てもいいと思っています。あそこにはまだ、1993年が生きている。

『ジュラシック・ワールド/復活の大地』は、Amazonプライムビデオでレンタル・購入して観られます(2026年7月時点。見放題の対象ではありません)。

さいごに、聞かせてください。

あなたは、この映画のラストをどう読みましたか。薬を無料で公開した選択を、美しいと思いましたか。それとも、ちょっと都合がいいと思いましたか。

そして——あなたが最後に何かを見上げたのは、いつでしたか。

コメントで教えてもらえたら嬉しいです。

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