【小説】湖畔の信号|第一記録
最初は、ただの素材確認だと思っていた。
送られてきた映像を確認して、必要なら補正する。
依頼内容はそれだけだった。
映像は三本。
短い音声ファイルが一つ。
どれも同じ水辺を記録したものに見えた。
目立った手ぶれはない。
露出も、補正できないほど崩れてはいない。
問題があるとすれば、音だった。
音声ファイルは短かった。
再生すると、風のような低い音が入っていた。
雑音として処理することもできる程度の音だった。
一度目は、そのまま聞き流した。
二度目に波形を開いた。
似た形が並んでいる。
拡大する。
位置をずらして重ねる。
同じだった。
完全に一致しているわけではない。
けれど、偶然で片づけるには形が揃いすぎていた。
一定の間隔で、同じ波形が何度も現れている。
風ではない。
風なら、ここまで同じ形を繰り返さない。
機材の駆動音も考えた。
それなら、映像ごとに位置が変わるはずだった。
変わっていない。
三本の映像すべてに、同じ波形が残っていた。
音だけではなかった。
映像の一部に、圧縮ノイズのような乱れがある。
最初の一本だけなら、保存時に壊れたのだと思えた。
二本目にもあった。
三本目にも。
同じ場所だった。
フレームを止める。
水辺の奥に、細い線がある。
次の映像では少し太い。
別の映像では、途中から折れている。
カメラの位置はほとんど変わっていない。
水面の位置も、岸の形も同じだった。
違っているのは、その奥だけだった。
一本目では影に見える。
二本目では、通路のように見える。
三本目では、その先に何かが立っていた。
建物なのかは分からない。
映像が乱れているから、そう見えるだけかもしれない。
ただの変な素材。
その時点では、まだそう考えられた。
場所を調べた。
共有されていた位置情報を地図に重ねる。
湖がある。
周囲には道路がある。
該当する施設は出てこなかった。
駅もない。
使われていない倉庫もない。
地図にも記録にも、映像にあるような建物は存在しない。
ただ、映像に残っていた水辺だけは、妙に見覚えがあった。
理由は分からなかった。
何度も映像を見たせいかもしれない。
地図と見比べ続けたせいかもしれない。
それ以上の根拠はなかった。
確認だけなら、行く理由にはなった。
指定された場所には、何もなかった。
湖と、草と、風の音。
映像と同じ位置に立つ。
岸の形は一致していた。
対岸までの距離も、大きく違ってはいない。
ただ、映像にあった建物はどこにも見えなかった。
通路もない。
地面が湖の奥へ延びている場所もない。
カメラを構える。
映像を撮る。
画面には、目の前にあるものだけが映った。
湖。
草。
曇った空。
少なくとも、映像に残っていたものは再現されなかった。
それで終わるはずだった。
現地に施設は存在しない。
映像の乱れは、撮影場所とは別の原因で発生した。
そう報告できる。
カメラを下ろした。
あとは機材を片づけて戻るだけだった。
そのとき、脇に置いていた録音機の表示が動いた。
手が止まった。
風で振れたような動きではない。
一定の間隔で、入力レベルが跳ねている。
一度消えた。
すぐに、同じ形でもう一度振れた。
最初に反応したのは、カメラではなかった。
録音機だった。
風の音に混じって、低い音が入っている。
一度、録音を止めた。
もう一度始める。
消えない。
向きを変えても、場所を数歩移動しても残っていた。
イヤホンを外す。
耳では聞こえない。
録音機の中にだけ、その音がある。
送られてきた音声と並べる。
波形の形が同じだった。
偶然ではない。
そう判断できる材料は揃っていた。
ただ、何の音なのかは分からない。
音源もない。
方向も特定できない。
画面の波形だけが、一定の間隔で繰り返されていた。
霧が出始めたのは、そのすぐ後だった。
湖面の上に、薄い白が広がった。
天気予報にはなかった。
霧そのものは珍しくない。
湖の近くなら、起きても不思議ではない。
そう考えた。
けれど、広がる速度が速かった。
さっきまで見えていた対岸が消える。
岸に沿っていた草の輪郭も薄くなる。
視界が白く閉じていく。
その奥に、何かが見えた。
最初は影だった。
霧の濃淡が、そう見せているだけだと思った。
形が残っている。
霧が動いても消えない。
屋根のような線。
柱のようなもの。
そこから、細い通路が続いていた。
駅のようにも見えた。
ただ、人が使う場所には見えなかった。
看板はない。
時刻表もない。
人が立つための場所も見当たらない。
あるのは、何かを運ぶために作られたような通路だけだった。
湖の上にあるはずのない通路が、霧の奥へ続いている。
進むつもりはなかった。
撮影はできた。
波形も記録した。
依頼された素材に何が起きていたのか。
少なくとも、現地と無関係ではないことは確認できた。
これ以上は、仕事の範囲ではない。
戻るべきだった。
録音機を見る。
波形が変わっていた。
一定の間隔で繰り返されていた形が、通路へ近づくほど大きくなる。
右へ向けると弱くなる。
左へ戻すと強くなる。
波形だけが、通路の奥を指していた。
怖くなかったわけじゃない。
説明できないものに近づく理由はない。
通路が本当に存在する保証もない。
霧が晴れた瞬間に、足元まで消えるかもしれない。
それでも、確かめたいという気持ちの方が強かった。
一歩進む。
足元には、固い感触があった。
もう一歩。
通路は消えない。
録音機の波形が、少し大きくなった。
そこに、端末のようなものはなかった。
少なくとも、さっきまでは。
通路の先を確認したとき、壁のような平面が見えた。
目を離した。
録音機を確認し、もう一度顔を上げる。
黒い面が立っていた。
機械なのか、構造物の一部なのかは分からない。
配線は見えない。
ボタンもない。
電源は入っていないはずだった。
それなのに、画面だけが反応していた。
薄い光が浮かぶ。
文字のようなものが並んでいく。
知っている言語ではない。
記号にも見える。
規則はある。
同じ形が繰り返され、別の形に置き換わる。
読めなかった。
何が書かれているのかも分からない。
ただ一つだけ分かった。
これは、偶然できた模様ではない。
ノイズでもない。
誰かが残したものだ。
画面の表示が切り替わる。
同時に、録音機の波形が動いた。
見覚えのある形だった。
送られてきた音声。
三本の映像。
湖畔で記録された低い音。
端末が反応するたび、同じ波形が現れていた。
俺が見つけたのではない。
最初から、すべて同じ場所を示していた。
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