6 きっかけは突然に
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スタジオの空間は、静まりかえっていた。
わずかに軋む床と、機材の電子音だけが、時間の流れを知らせている。
秋元は、ソファに深く腰を下ろしたまま、黙って〇〇たちの準備を見つめていた。
櫂がスティックを手に、ドラムセットへ。
慶太がケーブルを差し込み、ベースのボリュームを確認する。
そして〇〇が、自身のギターを抱え、そっと弦を鳴らしたとき――その場の空気が、微かに震えた。
Crews Maniac Sound。
深く、美しいネイビーの光沢を放つ、彼の愛器。
そして、〇〇の“相棒”だった。
「いくよ」と、〇〇が短く告げる。
カウントを取ることもなく、彼のギターの音とともに演奏が始まった。
最初の音が放たれた瞬間だった。
秋元の身体に、鋭い電流が走ったような衝撃が訪れた。
――なんだ、これは
何百、何千というアーティストの演奏を聴いてきた男の耳にさえ、それは異質だった。
スタジオで鳴らされる音が、ただ「音楽」ではなく、まるで血肉を伴った“存在”としているかのような存在感を放ちながら空気を震わせる。
思わず鳥肌が立った。
前にソニーのスタジオで聴いた彼らの音は、確かに印象深かった。
だが、今はまるで別物。
弦の振動ひとつに魂が宿り、リズムは心臓の鼓動と同調するかのようだった。
秋元「……こんなにも、変わるものなのか」
そう呟いた秋元の隣で、ひで爺がふっと笑った。
ひで爺「当たり前さ。あいつら、今日は“相棒”で演奏してるからな」
秋元「相棒?」
ひで爺「前にお前が聴いたときは、全部借り物の楽器だったろ。けど今日は違う。あれはな、〇〇に託した俺の子供たちだ」
ひで爺はそう言いながらどこか誇らしげに〇〇の弾き鳴らすギターを見つめる。
秋元が眉をひそめて振り向くと、ひで爺は遠くを見つめるように語り出す。
ひで爺「アイツらはな、音楽をただの表現手段だなんて思っちゃいない。音に対して、敬意がある。楽器一つひとつに、まるで家族みたいに接してる。だからこそ、あんなにも自然に、あんなにも必然的に音が鳴るんだ」
ひで爺の声には、微かな嫉妬の混じった、しかし確かな誇りが滲んでいた。
秋元は、それを聞きながらうなずく。
秋元「なるほど。……音楽に、愛されてるというわけですね、彼らは」
ひで爺「嫉妬しちまうだろ?」
秋元「先生もですか?」
ひで爺「ああ、ながく音楽に携わってきたがあんな奴ら見たことない。あんなに楽しそうに、しかも心に語りかけてきやがる演奏されたら、誰だって嫉妬しちまうさ」
ひで爺はフーっと息をつきながら腕組みをして〇〇たちの演奏を聴く。
それをみて、秋元もフッと笑みを蓄えながら言葉を漏らす。
秋元「かつて、日本の音楽シーンを席巻した伝説の作曲家であり音楽プロデューサーである泉宮秀信にそこまで言わしめるとは。いやはや、〇〇くんたちの将来が楽しみですね」
ひで爺「ああ、久しぶりに心が疼きやがった。まだまだ儂も捨てたもんじゃないなと思ったよ」
秋元「〇〇くんたちのオリジナル曲は先生が?」
ひで爺「いや。アドバイスは少ししたがね。儂が手直しする必要なんてなかったよ。〇〇の作曲センスは儂なんかよりよっぽど光るもんがある」
秋元「……」
秋元は目の前のかつての師匠がそこまでいうことに驚きながらも、再び〇〇たちの演奏に耳を傾けるのだった。
しばらくして演奏が終わる。
スタジオに、熱を孕んだ沈黙が広がった。
〇〇たちがブースから出てくると、ひで爺が無愛想な顔のまま言った。
ひで爺「……まぁまぁだな」
だがその口元には、明らかに満足げな笑みが浮かんでいた。
〇〇は苦笑しながら「ありがと、ひで爺」と返し、仲間たちと顔を見合わせた。
そのときだった。
スタジオの空気が、再び張り詰める。
秋元が、立ち上がっていた。
その眼差しは、どこか祈るような、あるいは決意を固めた人間のものだった。
秋元「君たちに、頼みがある」
〇〇、櫂、慶太の三人は、一斉に秋元を見つめた。
その姿にはただならぬ気配が宿っており、三人の表情にわずかな緊張が走る。
秋元「……君たちに、坂道グループとしてデビューしてほしい」
その一言が、スタジオの空気を揺らした。
慶太「……は?」
最初に声を上げたのは、慶太だった。
櫂も目を丸くして「アイドル……?」と呟き、〇〇は言葉を失って秋元を見つめていた。
沈黙が流れる。
音楽スタジオには、ついさっきまで音が鳴っていたというのに、まるで真空にでも放り込まれたような静けさが広がっていた。
秋元は、ゆっくりと口を開いた。
秋元「驚かせてしまったね。無理もない。でもね、君たちの音楽を聴いて、私は心の底から思ったんだ。……もっと多くの人に、君たちの音楽を届けたいと。純粋に、そう思ってしまった」
言葉に一片の濁りもなかった。
飾らないその声に、真剣な眼差しが重なる。
秋元「そして——もし許されるなら、それを坂道グループの一つとして実現したいと思った」
秋元は、〇〇たちに一歩、近づいた。
〇〇は、言葉を探すように口を開いた。
〇〇「……坂道グループって……乃木坂とか、欅坂とかの、あの?」
秋元「ああ、そうだよ。つまり、君たちにとっては“アイドルグループ”としてのデビューということになる」
〇〇、櫂、慶太は、それぞれ顔を見合わせた。
思考が追いつかない。
目の前で何かとてつもないことが語られているのに、現実味がまるでなかった。
〇〇「……でも、なんで僕たちなんですか」
〇〇が、まっすぐに問いかける。
その声には、困惑とほんの少しの戸惑いが滲んでいた。
秋元は微笑を浮かべながら答えた。
秋元「君たちの音楽が、坂道グループにとって新しい化学反応をもたらすと思ったんだよ。……今の坂道グループは、まだまだ上り坂の途中だ。きっとこれから、壁にぶつかるメンバーもたくさん出てくる。夢と現実の狭間で、自分の歌や表現に悩む子たちも出てくる。……そんなとき、君たちの音楽が彼女たちの道しるべになれるかもしれない。そう、私は本気で思っている」
その言葉は、〇〇の胸にじわりと染み込んでいった。
秋元の表情は、確かに本物だった。
作り手としての目で、〇〇たちを見ている——そう確信できた。
しかし、〇〇は思わず言っていた。
〇〇「そこまで言っていただけるのは、本当に嬉しいです。でも……俺たちはバンドです。仲間と、好きな音を鳴らしていただけで、デビューなんて考えたこともなかったし、そもそもアイドルって……」
そのとき、秋元は軽く手を上げて制した。
秋元「わかってる。もちろんその点は配慮する。君たちはあくまでも“バンド”としてデビューしてもらうつもりだ。形としては坂道グループの一員になるけど、君たち三人で構成される独立したグループとして活動してもらう。多少、ダンスやそれに合ったステージ演出も取り入れてもらえると嬉しいが……それも相談しながらで構わない。基本的には、今のままの君たちで活動してもらう」
〇〇は目を伏せた。
思考が、胸の内で渦を巻いていた。
天下の秋元康が、まっすぐに「君たちに」と言ってくれている。
こんな機会、そうそう巡ってくるものではない。
夢にさえ描いたことのない、まさに“現実離れ”したチャンスだ。
隣で櫂が腕を組んで唸っている。
慶太はぽかんと口を開けたままだ。
そして、〇〇は、深く息を吸って言った。
〇〇「……すいません。少し、考えさせてください」
その言葉に、秋元は静かにうなずいた。
秋元「もちろんだ。焦らなくていい。ゆっくりで構わない。だけど——期待はしてるよ」
〇〇は、その言葉の重みを、背中で受け止めたような気がした。
--
秋元やひで爺と別れ、〇〇たちはスタジオを後にした。
夜の風が、木々の枝葉をゆらりと撫でていった。
スタジオからの帰り道、〇〇たち三人は言葉もなく、大きな公園の歩道を歩く。
街灯が点々と照らす舗道には、細かい木漏れ日のように月の光が落ちている。
喉までこみ上げてくる言葉はあるのに、誰もそれを声にしなかった。
それはたぶん、まだ現実として受け止め切れていなかったからだ。
“デビュー”——それも“坂道グループ”として。
耳にした瞬間から、夢と現実の境界線が曖昧になっているような感覚だった。
足取りが徐々に遅くなっていく。
ふと、〇〇が立ち止まり、ベンチに腰を下ろした。
その動きに導かれるように、慶太と櫂も無言で隣に腰を下ろした。
肩から下ろしたギターケースが、ごつりと身体に寄りかかる。
それでも無言の〇〇に、櫂がゆっくりと切り出した。
櫂「……ビックリだよな、デビューだぜ?」
櫂がふっと息をつきながら、夜空を見上げるように言った。
慶太「しかも、アイドルだって。笑っちゃうよな」
慶太も続けて空を見上げた。
街の灯りに負けじと瞬く星が、木々の隙間から顔を覗かせている。
〇〇だけが黙っていた。
視線は足元でもなく、遠くでもない、ギターケースの上にただ落ちていた。
考えていた——秋元康という名の重み、チャンスの大きさ、自分たちの存在意義……。
やがて、〇〇はぽつりと尋ねた。
〇〇「……櫂と慶太は、どう思った? 今回の話」
櫂は少し考えてから、短く答えた。
櫂「正直、悪くはないと思った」
そして、隣の慶太も笑いながら言った。
慶太「だな。こんな話、二度と来ないとも思うし。……すごいことだよ」
二人の答えは、意外とシンプルだった。
打算でも野心でもなく、ただ“音楽”を続ける場が広がる可能性に対する素直な感情。
櫂「〇〇はどう思うんだよ?」
櫂が隣に視線を向けながら聞くと、〇〇は地面に視線を落としながら答えた。
〇〇「……わかんない」
声には、少しの迷いと疲れが滲んでいた。
〇〇「……光栄だし、デビューできるなんて夢にも思ってなかった。正直驚きすぎて追いつかない。でも……本当に俺たちにできるのかなって、自信がないんだ。……プロなんて、あまりに遠い世界すぎて……」
言葉にした瞬間、それが〇〇自身の本音だったことに気づいた。
高すぎる舞台、知らない世界、不確かな未来——そのすべてに、今はただ呑まれそうだった。
そんな〇〇の肩を、櫂ががしっと組む。
櫂「わかるぜ。プレッシャー感じるのは。でもさ、〇〇らしくないじゃん」
〇〇「え……?」
櫂「いつも、良い意味で無鉄砲で、先に動いてから考えるやつだったろ。お前が迷ってたら、俺らの方が不安になるわ」
続けて、慶太も笑いながら肩を組んできた。
慶太「難しいことは考えなくていいんじゃね? 俺たちはさ、今まで通り、音楽を楽しむだけでいいだろ。秋元さんもそう言ってたし」
二人の言葉が、〇〇の胸にじんわりと沁みこんでいった。
そうだ——音楽を始めたときも、初めて動画をアップしたときも、全部“楽しい”から始まっていた。
“楽しむ”ことを忘れたら、それはもう自分たちの音楽じゃない。
そう思えたとき、〇〇の心のなかに、一本の光が差し込んだ。
顔を上げると、夜空が視界いっぱいに広がった。
淡く光る月と、そこに寄り添うように輝く星たち。
何も言わずとも、それだけで未来に導かれるような気がした。
〇〇「なぁ——俺たちのグループ名、“星月坂”なんてどうかな?」
そう言った〇〇の声は、いつになく柔らかかった。
櫂と慶太も、空を見上げる。
夜空には月と星々が瞬いている。
その明かりはしっかりと〇〇たちを導く道標のように3人の目にはうつっていた。
誰かが迷った時に道しるべになれるように。
そんな音楽ができるように。
そう願いを込めた星と月の名前。
櫂「いいじゃんか」
慶太「……ああ、悪くない」
二人の言葉に〇〇はゆっくりと立ち上がり、再び夜空を見上げる。
瞬く星々と月の煌めきに向かって、ゆっくりと手を伸ばす。

決して届かない。
けれど目指すべき道しるべとして輝き続ける存在。
それはまるで、星と月に導かれるような夜だった。
こうして——〇〇たちは、“星月坂”としてデビューすることを、心に決めた。
つづく
※この物語はフィクションです。
※実在する人物などとは一切関係ございません。
