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7 きっかけは突然に

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アイドルとして、星月坂として、デビューする。

そう決めてからというもの、〇〇たちの時間は、まるで加速装置を取り付けられたかのように流れていった。

デビューに向けた曲作りや楽器の練習。

プロのボイストレーニングやダンスなどの慣れていないレッスン。

さらには様々な打ち合わせや契約書の山。



気づけば一日が終わっている。



音楽は相変わらず好きだったし、楽器に触れている時間は変わらず心を落ち着かせてくれた。


それでも、夢にまで見たはずの世界は、思っていた以上に現実的で、そして忙しかった。




そんな慌ただしい日々の合間に、突然に差し込まれた一つの予定。




——乃木坂46 真夏の全国ツアー2016、静岡公演。




今野「いい勉強になるから、是非見ておくといいよ」


そう言って、今野が半ば強引に用意してくれた招待。

しかも、リハーサル見学まで含まれていると聞いたとき、〇〇は思わず言葉を失うくらい胸が躍った。


プロの音楽を間近で見れる。

こんなに心躍る体験はそうそうできない。





高速道路を走るレンタカーの中には、一定のエンジン音と、まだ朝も早く昇りきっていない朝日が差し込んでいた。


窓の外を流れていく景色は、緑が濃く、どこか牧歌的で、東京で過ごす日常とは別の時間が流れているようだった。




櫂「しっかし、楽しみだよな」


ハンドルを握る櫂が、前を見たまま言った。

声の調子はいつもと同じ軽さだが、ハンドルを持つ手がほんの少しだけ力んでいるのを、〇〇は後部座席から見逃さなかった。



慶太「だな。俺、アイドルのツアーとか初めてだわ」


助手席の慶太も、珍しく語尾が弾んでいる。

普段はクールで感情を表に出さない慶太が、こうして期待を隠さずにいるのが、少しだけ可笑しかった。


〇〇「それ言ったらさ」


〇〇はそんな二人に釣られるように、スマホの画面から目を離さずに言葉を発しようとする。

真夏の全国ツアーの特設ページ。

会場写真、セットリストの噂、ファンの書き込み。


そのどれもが見ていて高揚感をくすぐる。


その気持を抑えながら言った。



〇〇「俺、アーティストのライブ自体、ほぼ初めてかも」



一瞬の沈黙。




櫂&慶太「「マジで!?」」




櫂と慶太の声が、ほぼ同時に重なった。



櫂「え、まてまて、前にさ、ひで爺にもらったチケットでライブハウス行かなかったっけ?」


運転しながらバックミラー越しに問いかけてくる櫂。


〇〇「ライブハウスとかはあるよ。でもさ、ドームとかアリーナ規模は初って意味」

櫂「マジか…意外なんだけど」


櫂がそう言いながら、助手席の慶太も少しだけ呆れたように追い討ちをかける。


慶太「一番音楽漬けの生活してるくせに」


〇〇「くじ運が壊滅的なんだって」



慶太の言葉に返しながら〇〇は肩をすくめた。


〇〇「応募するたびに抽選外れるんだよね。お笑いのライブとかは当たるんだけど、音楽関係は全滅」


慶太「悲しい現実だな」


慶太が笑いながら言う。


櫂「まあでも、今回は行けるんだし。乃木坂のライブは別格だから覚悟しとけ」


その声には、ほんのわずかな自慢と滲み出る敬意の色が混じっていた。

慶太「櫂は行ったことあるんだっけ」


櫂「一回だけな。それこそ奇跡的に東京のツアーが当たってさ」

その言い方が、やけに誇らしげで、少しだけ懐かしそうだった。

櫂「演出もセトリも完璧だった。しかも今回は、深川麻衣さんの卒業コンサートだろ」



その名前が出た瞬間、〇〇は先ほどまで見ていたスマホに再び視線を向ける。


“聖母”と呼ばれ、乃木坂46を支え続けてきた存在。


彼女がグループを去る——それが、どれほど特別な意味を持つのか。


〇〇は、スマホを握る指に自然と力が入るのを感じた。




自分たちは、今まさに始まろうとしている側。

一方で、誰かはひとつの時代を終えようとしている。


その対比が、胸の奥に小さな波紋を広げていた。




〇〇「……そっか」



〇〇は静かに続ける。




〇〇「それは、確かにすごいライブだね」




〇〇の言葉は高速を走る音に静かにのって消えていった。






--



しばらくして、慶太がふと窓の外を見ながら言う。


慶太「しっかし、高速空いててよかったな」


櫂「リハも見せてもらえるからって朝イチで出たけど、全然余裕だったな」


櫂がそう言ってから、慶太がニヤリと笑う。


慶太「新幹線で来れたけどな」



〇〇「はいはい、絶対言うと思った」


〇〇は即座に返す。


慶太「だってさ、〇〇が“楽器持ってく”って言わなきゃ、もっと楽だったんだぜ?」


そういいながら慶太が振り向きながら指差す一番後ろの後部座席には三人の楽器が積み込まれていた。


さすがに楽器を持参するとなると新幹線では行くことができない。

圧倒的に邪魔になる。


そう思った〇〇たちは、今野が用意してくれると言った新幹線のチケットを丁重に断り、レンタカーで向かうことにしたのだ。


〇〇「だって、プロのアーティストのライブを生で聴いたら絶対楽器触りたくなるじゃん」


〇〇は思わず力説しかける。


音楽に触れれば、奏でたくなる。

それは〇〇にとっては生理現象のようなもの。



しかし、それは〇〇だけではないようで


櫂&慶太「「それな」」


櫂と慶太は、示し合わせたように声を揃えて笑った。



後部座席には〇〇のギターケースだけではない。

慶太のベース、櫂のドラムセットにアンプやらかにやら機材一式までご丁寧に積み込まれている。


なんなら、櫂と慶太が積み込んだ荷物のほうが多いくらいだった。


効率より衝動。

理屈より音。


合理性より衝動を、理屈より音楽を奏でられることを優先するところまで、三人は驚くほど似ている。



——ああ、やっぱり自分たちはバンドなんだ。


これからどんな肩書きがつこうとも、結局は音楽が好きで、音を鳴らしたくて仕方がないだけの三人なのだ。


デビューに向けて張り詰めていた胸の奥がフッと軽くなっていく気がした。




--


車はやがて、インターチェンジへと近づいていく。

静岡の空気が、フロントガラス越しにじわりと近づいてくる。



高速を降りた途端、車窓の景色は一気に人の気配を帯びはじめた。

信号の間隔は短くなり、看板の文字も、建物の輪郭も、はっきりと現実味を増していく。



〇〇は後部座席からフロントガラスの向こうを眺めながら、胸の奥で少しずつ気持ちが切り替わっていくのを感じていた。




掛川駅の前は平日の早朝だというのに、ロータリーは思いのほか賑やかだった。


スーツ姿で足早に歩く人、キャリーケースを引く旅行者らしき人々、新幹線を待つらしい人影。


地方都市特有の落ち着きと、ターミナル駅らしいせわしなさが同居している。



そんな光景を横目に〇〇たちは車のスピードを徐々に落としていく。



櫂「ここで買い出ししとくか」



櫂がそう言ってウインカーを出し、ロータリー脇に車を寄せる。


慶太「お、ローソンあるな」


慶太が窓越しに指差すと、 「オッケー」 と櫂が短く答え、エンジンを切った。



ドアを開けた瞬間、朝の空気が一気に流れ込んでくる。


少し湿り気を含んだ、夏前の匂い。




〇〇は背伸びをしながら車外に出て、凝り固まった肩をほぐした。




そのときだった。




視界の端、ロータリーのタクシー乗り場。



そこに立つ一人の少女の姿が、妙に気になった。




帽子を目深にかぶり、周囲をきょろきょろと見回している。



右へ、左へ、数歩進んでは立ち止まり、また歩き出す。



まるで居場所を探している迷子のような、不安定な動き。




〇〇は自然と彼女がキョロキョロとするタクシー乗り場のあたりに目を凝らした。


乗り場にはタクシーが一台も停まっていない。

通勤時間帯ということもあり、流しのタクシーも見当たらなかった。



少女はスマホを取り出しかけては手を止める。


そして、小さく肩を落とした。




その仕草が、妙に胸に引っかかった。



考えるより先に、足が動いていた。



〇〇「……あの」



できるだけ刺激しないよう、声量を抑えて声をかける。


〇〇「大丈夫ですか?」


少女はびくりと肩を跳ねさせ、こちらを振り返った。



近くで見ると、やはり年齢は若い。


まだ幼さが残る顔立ちに、不安と焦りがそのまま浮かんでいる。




でも


どこかで見た覚えがある顔だった。




少女「え……あ、あの……」


言葉がうまく繋がらない様子で、視線が宙をさまよう。

その様子を見て、遅れて櫂と慶太も近づいてきた。



慶太「どうした?」


慶太が小声で言いかけた、その瞬間。


櫂が、少女の顔をじっと見て、目を細めた。


櫂「え、……もしかして」


一拍置いて、確かめるように。


櫂「齋藤飛鳥さん……?」


その名前が空気に落ちた瞬間、少女の身体がわずかに強張った。

飛鳥「……は、はい」

小さく、逃げ場を探すような声だった。



〇〇の思考が、一瞬遅れて追いつく。

さきほどまでスマホでみていた乃木坂のサイト。

そこに載っていたメンバーの写真に、目の前の少女も映っていたのを思い出した。


しかし、それと同時に思わずスマホで時間を確認する。


今日は乃木坂46の真夏の全国ツアーの本番。

しかも、今野から聞いていたリハーサル開始時間まで、三十分を切っていた。



〇〇「え、どうしてこんなところに……? もうすぐリハーサルですよね?」



〇〇の言葉に飛鳥は唇を噛みしめ、一瞬目を伏せてから、ぽつぽつと話し始めた。



飛鳥「……ね、寝坊しちゃってバスに乗り遅れて……、タクシーもなくて……」



声は次第に震え、今にも泣き出しそうになる。



飛鳥「ど、どうしたらいいか分からなくて……」



その姿は、ステージの上で見る“アイドル”とはあまりにも違っていた。

ただの、不安を抱えた少女だった。



〇〇「スタッフさんには連絡した?」


〇〇がそう尋ねると、飛鳥は申し訳なさそうに首を振る。

飛鳥「スマホ……昨日、充電できてなかったみたいで電源、さっきから入らなくて……」



その言葉に、櫂と慶太が顔を見合わせる。



櫂「とりあえず今野さんに連絡したほうがいいな」


慶太「だな」 


〇〇はうなづくと、その場で今野に電話をかけた。



コール音はすぐに途切れ、代わりに今野の声がスピーカー越しに聞こえてきた。



今野『もしもし、〇〇くん? どうした? 実は今ちょっと立て込んでて……』



忙しそうな声。 


ほんの僅かな焦りの色も感じ取れた。


〇〇「お忙しいところすみません」


〇〇は一気に要点だけを伝える。


〇〇「実は、掛川駅前で齋藤飛鳥さんに会いまして……」



今野『……え?』



一瞬の沈黙。




今野『本当か!?』


思わず耳を離してしまいそうになるほどの大声と、声明らかに変わった声色。



〇〇が事情を説明し終えると、電話の向こうで大きく息を吐く気配がした。



今野『……よかった』



どうやら飛鳥と連絡がつかなくて向こうは大パニックだったらしい。


下手すりゃ警察沙汰だったと。


それを聞いて今野の安堵も頷けた。



今野『申し訳ないが、飛鳥をそのまま会場まで連れてきてくれないか?』


〇〇「もちろんです」


〇〇は即答した。


今野『ありがとう。会場のスタッフたちには言っておくから、あとで送る会場の関係者ゲートまで送り届けてくれると助かる』


〇〇『わかりました。斎藤さんに代わりますね』


スマホを飛鳥に渡すと、彼女は何度も何度も頭を下げながら謝っていた。




ほどなくして、四人は車に乗り込む。



後部座席に座った飛鳥は、膝の上で手を握りしめ、所在なさそうに俯いていた。



飛鳥「本当にありがとうございます……。今野さんと……お知り合いなんですか……?」



そこでようやく、〇〇は気づいた。



——あ、名乗ってない。



〇〇「すいません、自己紹介すらまだでしたね」



少し照れたように笑いながら改めて名乗る。



〇〇「俺は喜多川〇〇。運転してるのが齋藤櫂、助手席が小笠原慶太。いちおう……今野さんの知り合い、かな」



言葉を選び、曖昧に濁す。


デビューの話は、まだ口外しないよう秋元や今野たちから念を押されていた。


飛鳥にも言わないほうがいいのか、言ってもいいのかわからず、あいまいな言い方になってしまった。



飛鳥「……そうなんですね」



飛鳥は小さく頷いてから


飛鳥「ごめんなさい……迷惑かけちゃって」


その声には、強い自己嫌悪が滲んでいた。


〇〇「気にしないで」


〇〇はできるだけ明るく言う。 

しかし、飛鳥は顔を上げようとはしない。



少し間を置いて、続ける。

〇〇「今日は深川麻衣さんの卒業コンサートでしょ? 齋藤さんがそんな顔してたら、深川さんを笑顔で送り出せないですよ」



その言葉に、飛鳥の目が揺れた。



飛鳥「……私」


ぽつりと漏らす。


飛鳥「自信、ないんです」


声は小さいが、はっきりとしていた。


飛鳥「まいまいは……すごく優しくて、乃木坂にとって、すごく大事な人で……」



一度言葉を切り、息を吸う。



飛鳥「でも私は、そんな存在じゃないから……そう思ったら、昨日も眠れなくて……」



視線が落ちる。



飛鳥「それで寝坊なんてして……ほんと、ダメダメで……」



自分を責める言葉ばかりが、静かに積み重なっていく。


〇〇はその横顔を見つめながら思った。



全部自分で背負い込んじゃうんだ。



それは、彼女にとってはいいことではないきがして、思わず口が開いていた。


〇〇「そんなことない」


〇〇ははっきりと言った。



〇〇「少なくとも、俺はそう思わない」



飛鳥が顔を上げる。



〇〇「ステージに立つ人はさ、自分じゃ気づかないところで、誰かの支えになってる」



少し照れくさくて、視線を前に戻す。


〇〇「偉そうな言い方かもしれないけど、斎藤さんはアイドルで、だれかを、たくさんの人を幸せにできる。もちろん1人じゃできないこともある。だからこそのメンバーなんじゃないかな」


飛鳥「1人じゃない…」


〇〇「うん。それに、斎藤さんがメンバーの力になっていることだってきっとあると思うよ」


飛鳥「そう……かな…?」


〇〇「きっとね。だからこそ、そんなメンバーが卒業するのを笑顔で送り出さないと。メンバーのためにも。それを見に来てくれるファンのためにも」


飛鳥「……」


〇〇の言葉に、飛鳥は再び黙り込んだ。

けれど、それは落ち込んだ表情ではなく、明らかに心に灯のともった表情だった。



それをみて、〇〇はもう心配ないと思えた。





車は会場であるエコパアリーナへと滑り込む。




関係者ゲートの前で停まると、飛鳥は深く一礼した。




飛鳥「……本当に、ありがとうございました。私、頑張ります!」



そう言って、今度はしっかりとした足取りで走っていく。




その背中を見送りながら、櫂が息を吐いた。



櫂「やれやれ……間に合ってよかったな」


慶太「ああ、あれなら大丈夫そうだ」



〇〇は無言で、遠ざかる飛鳥の背中を見つめてから、静かに答えた。



〇〇「……だな」



その胸の奥には、ライブが始まる前から、確かな余韻が残っていた。




〇〇「さてと、俺らも行きますか!」

櫂「おう!」

慶太「ああ!」



三人も会場へと歩みを進める。





乃木坂46の真夏の全国ツアー。


これから始まるリハーサルと本番。



それが、あらたなきっかけになることは、〇〇たちはまだ知らない。







つづく
※この物語はフィクションです。
※実在する人物などとは一切関係ございません。






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