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3 きっかけは突然に

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〇〇が秋元と今野と対面を果たしてから数日が過ぎ、すっかり日常を取り戻していたある日。


〇〇の姿は朝早くから表参道にあった。




五月の陽射しが、表参道の道に沿って並ぶ並木の影を、舗道に淡く落としている。



街路樹の新緑の葉たちが風にゆれ、ガラス張りのブティックに陽が反射してきらめく。




平日の朝だと言うのに、表参道は仕事人だけではない人々でも賑わいを見せていた。




その喧噪のなかを、〇〇は姉から頼まれた紙袋を手に、少しばかり気の抜けた顔で歩いていた。


昨日の夜に急遽姉から頼まれたのは、姉が友人の結婚式に着ていくドレスの受け取りだった。

なんでもわざわざ親友の結婚式のために買って、裾直しとかで受け取るのが今日の予定だったらしく、仕事終わりに受け取りに行く予定だったのだとか。


しかし、急遽仕事で残業が確定し、お店の営業時間内に行けそうになく〇〇に白羽の矢が立ったというわけだ。


〇〇「まったく、姉ちゃんも人使いが荒いよな」


そんな不満をこぼしつつも、結局は言われた通り表参道までやって来てしまうあたり、〇〇の“人の良さ”は相変わらずだった。




目的の服も無事に受け取り、少しだけ寄り道でもしようかと、〇〇は表通りを外れ、裏道へと入った。


人通りは少なく、ブティックのショーウィンドウも落ち着いた色味に変わる。


華やかな表通りより、こうした静かな路地裏の方が性に合っている――〇〇はそんなことを思いながら、肩の力を抜いて歩いていた。




めったに来ない表参道の街並みを眺めながら、ふと、角を曲がった瞬間。




??「――っと」



軽い衝突と共に、誰かと肩がぶつかった。


紙袋がゆれる。


〇〇は慌てて体勢を整えた。




男「ああ、申し訳ない」



柔らかく、それでいてどこか凛とした男の声がした。


顔を上げると、そこには小綺麗なカジュアルスーツに身を包んだ男性が立っていた。


白シャツにグレージャケット、ノーネクタイ。

洒脱でありながら嫌味のないその風貌は、普通のサラリーマンというふうにはいささか見えなかった。



〇〇「いえ、こちらこそすみません」


〇〇がそう言うと、男は不意に眉を上げた。


そして、まるで何かを見極めようとするかのように、じっと〇〇の顔を見つめてきた。


なんか、少し前にもこんな感じの視線を受けたような…


そんなことを感じていると不意に男が口を開いた。



男「……ちょっと、このあと時間あるかい?」



〇〇「はい?」



あまりにも唐突な問いに、〇〇は目を瞬かせた。


え、新手のナンパ…?


いやいや、まさか



状況が飲み込めずに返事に詰まっていると、男は「ああ、失礼。名乗ってなかったね」と微笑みながら胸ポケットから名刺を取り出す。



《株式会社小学館 メディア事業本部 CanCam編集部 編集長 藤元康成》



その肩書を見て、〇〇は一瞬、言葉を失った。


そういったことに疎い〇〇でさえ、小学館やCanCamという名前は見聞きしたことがあった。


それよりなにより、「CanCam編集長」とあるだけで、この人が只者ではないことが直感でわかった。



藤元「藤元と申します。少しだけ、力を貸してもらえたらと思ってね」



藤元はにこやかにそう言って、今度は軽く〇〇の腕を取った。


「すぐそこの通りだから」と。



〇〇「え、あ、ちょー」


戸惑いながらも、断りきれずに歩き出す〇〇。


手を引かれ、ものの数分もたたずに少し開けた場所に出た。



二人が道を抜けた先で、突然、怒声が空気を裂いた。




「すいませんじゃねぇだろ!!」



その声の迫力に、〇〇の背筋が思わずぴんと伸びた。


見ると、なにやら大人たちが集まっている場所の中心で、一人の男がスタッフらしき人たちに向かって怒鳴っていた。


無精髭を生やし、鋭い眼光。


いかにも職人肌のその男は、藤元とはまた違う、明らかにただ者ではない雰囲気をまとっていた。



重苦しい雰囲気を意にも返さずに、藤元はひょいひょいと輪の中心に入っていき、怒鳴っていた男に声を掛ける。



藤元「ああ、鬼頭、やっぱり厳しそうかい?」



藤元が声をかけると、怒りの矛先を一瞬切り替えたようにその男――鬼頭玄司が、じろりとこちらを見た。



鬼頭「あぁ、主演のモデルが寝坊したうえに、代役手配するのも2時間はかかるとかほざきやがる。それぞれの撮影場所が使える時間が限られて、スケジュールパツパツなの知らねぇとは言わせねぇぞ!」


鬼頭はそう言いながら、おそらく寝坊したモデルの関係者であろうスーツ姿の男たちを叱責した。


どうやら、雑誌の撮影のためにいろいろ準備をしていざ本番というところに、主役のモデルが寝坊してしまい撮影ができない状況となったようだ。


それは、怒るのも無理はないよな、と〇〇が思っていると、鬼頭の鋭い眼光がこちらを向いた。



鬼頭「おい、藤元。なんだ、そいつは?」



藤元「うん、この状況を打開するちょっとした可能性だと思って、連れてきたんだ」


鬼頭「…あん?」



藤元「モデルの代役、彼にお願いするっていうのはどうかな?」


「「「ええっーーー!?」」」


その場にいた他のスタッフたちからどよめきが走る。


そして、誰よりも驚いたのは他ならぬ〇〇だった。



〇〇「いや、ちょー」


思わず、きいてませんよ、と遮ろうとしたが、鬼頭が、じり、と足を踏み出したので、思わず居直るしか無かった。



砂利がかすかに軋む音が、空気の緊張を深める。



鬼頭「こいつが“可能性”ねぇ……」


低く唸るような声。


その目が、射抜くように〇〇をとらえる。



ごつごつとした無精髭に覆われた顎。

年季の入った黒のワークジャケットの襟元からは、使い古されたカメラのストラップがのぞいている。



藤元「あぁ、こいつは鬼頭玄司。こんな風体だが、いちおうれっきとしたカメラマンでね。今回の撮影の撮影監督をしてもらっているんだ」



鬼頭に睨まれていた〇〇に、藤元が説明をする。


鬼頭は撮影現場では誰もが一目置くベテランのカメラマンにして、撮影監督なのだという。



そんなことは知ったことかと、鬼頭は〇〇に視線を向けたまま、「へぇ……」と鼻を鳴らした。



睨まれているというより、試されている――〇〇はそんな感覚を覚えた。


つい先日、秋元と出会った時にも感じたような感覚。


視線が、髪の毛先から靴のつま先までをじわじわとなぞってくる。



まるでカメラのファインダー越しにフレームを定めるような、そんな眼差しだった。


一通り観察を終えた鬼頭は、ふんっと鼻を再び鳴らしてから立ち直って言い放つ。



鬼頭「まぁ……素材としては悪くねぇ」



ようやく口を開いた鬼頭の言葉に、周囲の空気が一瞬安堵の色を見せた。


藤元は鬼頭の言葉に口元をゆるめると、「じゃあ、決まりだ」と手を打った。


続けて藤元は「えーっと……」と、ふと気づいたように〇〇を見やる。



藤元「そういえば、名前をまだ聞いていなかったね」


〇〇「あ、はい、喜多川〇〇と申します」



〇〇は軽く頭を下げながら名乗った。



藤元はその名をひとつ反芻し、「〇〇くんか」と繰り返した後、真っ直ぐに目を合わせてきた。


その目には冗談めかしさも押しつけがましさもない。

現場をどうにか立て直したいという、静かな切実さだけが宿っていた。



藤元「この通り、急きょモデルの代役が必要なんだ。お願いできないかな?」



不意に差し出された選択肢に、〇〇の胸がすこし騒いだ。


こんな場違いな場所で、自分が役に立てるのだろうか。

だけど、誰もが困っていて、藤元も、鬼頭も、何かを賭けようとしている。




ほんの一瞬、姉に頼まれたドレスの袋が風に揺れた。




次の瞬間、〇〇は静かに頷いた。



〇〇「自分に何ができるかわかりませんが……精一杯、頑張ります」



そう言い切ると、藤元はふっと目を細め、うれしそうに頭を下げた。



藤元「ありがとう、〇〇くん。きっと、いいものになるよ」



鬼頭「……ったく、名前も知らねぇまま、連れてきたのかよ」



横から、鬼頭が呆れ声を漏らす。


だがその舌打ちの奥には、わずかながらも、〇〇への期待が滲んでいた。



鬼頭「ま、礼儀作法はしっかりしてるみてぇだし、素材は申し分ねぇ。チャラチャラしてるだけのボンクラ俳優なんかよりはずっとマシかもな」


そう言って、先ほど怒鳴りつけていたスタッフの方へ鋭い視線を向けると、居心地が悪そうに身を縮こまらせていた。



鬼頭「よし、時間がねぇ! さっさと取り掛かるぞ!」



鬼頭はスタッフたちに号令をかけるかのように、声を張り上げた。


その瞬間、空気が切り替わる。


現場にいたスタッフたちが一斉に動き出した。



台車が押され、機材が運ばれ、ライトが再調整されていく。



そんな光景をあっけにとられながら見ていると、〇〇の肩を鬼頭がバシッと叩いた。



思わず身をすくめると、「腰引けてんじゃねえぞ。気合い入れろ」と、鋭い目つきで言われた。



藤元「アイツなりに〇〇くんに期待してハッパかけてるんだよ」


藤元はそういうと、〇〇の準備をするために、〇〇をメイク車へと向かわせた。


メイク車へと案内される途中、〇〇はふと、自分の頬が熱を帯びていることに気づく。


現実味を帯びた非日常が、じわじわと体温に溶け込んでいく。

――こんな一日になるなんて、誰が想像しただろう。




そして、メイクが終わり、撮影衣装に着替えた〇〇は、藤元から今日の撮影の説明をされながら、今度はロケ車へとやってきた。



藤元「というわけで、今日の撮影は恋人同士の特集だから、これから〇〇くんの相手役のモデルさんとも顔合わせしてもらうからね」


〇〇「は、はい、わかりました」



ロケ車の前までやってくると、藤元はノックを3回してから扉を開ける。


藤元に促され、〇〇は一歩、車内へと足を踏み入れた。



閉ざされた空間の中には、冷房の静かな音と、わずかな香水の匂いが香った。


奥の席。


そこに、ひとりの女性が静かに座っていた。



藤元「今回、相手役を務めてもらう乃木坂46の橋本奈々未さんだよ」




彼女は、何をするでもなくただそこにいるだけで、ひとつの絵のようだった。


白いブラウスに揺れる髪、窓から差し込む自然光がその輪郭をやわらかく縁取っている。



無駄な装飾もないのに、視線が吸い寄せられていく。




――美しい、と純粋に思った。



藤元が今度は奈々未に声をかける。


藤元「橋本さん、こちらが今回、急遽代役を務めてくれる〇〇くんです」



奈々未は、ふと目を上げた。


その瞳と目が合った瞬間、〇〇の胸に軽い緊張が走る。


彼女の視線は柔らかかったが、その奥には透明な水面のような静けさがあった。



〇〇は少し身をかがめ、できるだけ丁寧に挨拶をした。


〇〇「はじめまして、喜多川〇〇といいます。今日はよろしくお願いします」



奈々未は微笑んで軽く会釈を返した。

その所作もまた、どこか舞台の上のように整っていた。


藤元は二人の様子を見届けると、にこやかに言った。



藤元「早速で申し訳ないんだけど、撮影が始まるまでもう少し時間があるから、二人で少し話していてくれるかい? 今日の設定は恋人同士のデートだからね。少しでも打ち解けておいてくれると助かるな」



そう言って、藤元はロケ車の扉を閉め、静かに去っていった。




残されたのは、〇〇と奈々未。

しばしの沈黙が、二人の間に漂う。




いきなり話をしろと言われても、なにを話せばいいんだろう。


〇〇が迷っていると、先に口を開いたのは奈々未だった。



奈々未「……と言われても、ちょっと困っちゃいますよね」



柔らかい笑みがこぼれる。

先ほどまでの静けさが、少しだけほどけたようだった。


奈々未「…〇〇さんって、モデルさんとかなんですか?」


〇〇「いえ、全然……。実は、通りすがりというか……」



〇〇は、ことの経緯をかいつまんで説明した。


姉に頼まれて表参道を歩いていたこと、偶然藤元とぶつかったこと、そしてこの場に至るまでを。


話を聞き終えた奈々未は、少し驚いたような顔をして、それから、声を漏らして笑った。



奈々未「そんなこと、あるんですね」


そう言って小さく肩を揺らす。


笑った顔は、どこか素顔の彼女に近づいたような気がした。



奈々未「ちなみに、〇〇さんって、おいくつですか?」


不意に聞かれて、〇〇は一拍置いて答える。


〇〇「今年で二十歳の歳です」



その瞬間、奈々未の瞳がぱっと輝いた。


奈々未「えっ、同い年かも。1992年生まれですか?」


〇〇「そうです。1992年の、12月生まれです」


奈々未「やっぱり! 私、1993年の2月生まれなんです。早生まれだから、学年も一緒」



思わぬ共通点に、奈々未は目を丸くした。


さっきまでの控えめな印象が嘘のように、表情がぱあっと明るくなる。


奈々未「よし、決めた」


奈々未は、なにかを思いついたように声を上げた。

そして、まっすぐに〇〇を見つめた。


奈々未「せっかくだし、敬語やめよ。さん付けもなし。私も〇〇って呼ぶから、〇〇も奈々未って呼んで」


〇〇「えっ……」


驚きに言葉を失いかけた〇〇に、奈々未はからかうような笑みを浮かべる。


奈々未「これから恋人同士の撮影でしょ? 今から役作り、ってことで」



そう言われたら、否とは言えない。


〇〇は少し照れながらも、努めてにこやかに答えた。



〇〇「……わかったよ、奈々未」



その瞬間、奈々未の笑みがほんの少しだけ深くなった。


外では、スタッフたちの声がにぎやかに響いている。


ロケ車の中では、小さな偶然が少しずつ、確かな何かに変わろうとしていた。





――そして、いよいよ撮影が始まるのだった。








つづく
※この物語はフィクションです。
※実在する人物などとは一切関係ございません。








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