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日本政治は中生代から新生代へ入った――国民の選択が、見えないシェルターを作った

地球の歴史を見れば、環境が大きく変わったときに生き残るのは、最も大きな種ではない。
最も声の大きな種でもない。
最も古くから存在していた種でもない。

生き残るのは、変化に適応できる種である。

どれほど巨大であっても、どれほど長くその環境で繁栄していても、環境が変わったときに進化できなければ、その種は滅びる。
自然界では、それが何度も起きてきた。
巨大な生物が地上を支配していた時代も、ある環境変化によって終わった。
そして、その後に新しい生態系が広がった。

政治の世界も、これと同じではないか。

前回の衆議院選挙で起きたことは、単なる議席の増減ではなかった。
単なる政権選択でもなかった。
あれは、日本政治の生態系における大きな環境変化であり、昭和型野党にとっての大量絶滅だったのではないか。

そして同時に、国民が結果的にかなり正しい選択をした選挙でもあったと思う。

もちろん、すべての有権者が、ホルムズ海峡、中東情勢、日米関係、石油価格、ナフサ、円安、財政出動、エネルギー安全保障までを構造的に考えて投票したわけではないだろう。
選挙には、生活実感もある。
政党への好き嫌いもある。
候補者への信頼もある。
その時々の空気もある。

しかし、民主主義において重要なのは、結果としてどのような選択がなされたかである。
そして前回の衆院選で国民が選んだ政治は、今の危機局面において、日本をかなり大きく守っているように見える。

国民は、いま見えないシェルターの中にいる。

ホルムズ海峡が緊迫し、米国とイランの関係が揺れ、中東情勢が不安定化している。
その影響は、原油価格、石油製品、ナフサ、物流、物価、為替、企業収益、財政にまで広がり得る。

これは、遠い国の外交ニュースではない。
日本のガソリン価格、軽油価格、灯油価格、物流費、食品価格、日用品価格、中小企業の経営、地方経済、家計に直結する問題である。

それにもかかわらず、多くの国民は、今の状況を本当の危機としては認識していないかもしれない。

もちろん、生活が楽だと言っているのではない。
ガソリンは高い。
灯油も高い。
物価も高い。
家計は苦しい。
中小企業も楽ではない。

それは事実である。

しかし、それでもなお、物流が止まっているわけではない。
店頭から商品が消えているわけではない。
燃料が一気に暴騰し、産業活動が急停止しているわけでもない。
農業、漁業、建設、製造、小売、航空、物流が連鎖的に崩れているわけでもない。

だから多くの人は、こう感じる。

「たしかに高いけれど、そこまで危機なのか」
「補助金を出し続ける必要があるのか」
「財政は大丈夫なのか」
「政府は人気取りをしているだけではないのか」

その感覚は、一般国民としてはある意味で仕方がない。
普通の人は、日々の生活で忙しい。
国際エネルギー市場、ホルムズ海峡、日米交渉、備蓄政策、ナフサ、LNG、原油調達、為替、財政出動まで、すべてを追いかけることはできない。

しかし、ここに大きな落とし穴がある。

危機管理がうまくいくと、危機は見えなくなる。
危機が見えないからといって、危機が存在しなかったわけではない。
政策によって、危機の衝撃が吸収されている可能性がある。

いま国民が平常に近い生活を続けられているのは、危機が小さいからではない。
危機の衝撃が政策によって和らげられているからかもしれない。

つまり国民はいま、外の嵐を直接浴びているのではない。
見えないシェルターの中にいる。

この認識が必要である。

シェルターの中にいれば、不満がなくなるわけではない。
暑い。
狭い。
不便だ。
費用がかかる。
いつまで入っているのか分からない。
そういう不満は出る。

だが、そこで忘れてはいけない。
シェルターは、外が平穏だから存在しているのではない。
外に危険があるから存在しているのである。

いまの燃料価格対策、備蓄活用、日米連携、円安の速度管理、財政出動も同じである。
それらは、平常時の人気取り政策ではない。
外部ショックから国内経済と国民生活を守るためのシェルターである。

しかも、今回の政策対応は、世界的に見ても相当うまくできている部類ではないかと思う。

ホルムズ海峡が緊迫し、米国とイランの関係が揺れ、原油、ナフサ、燃料価格、物流、物価に波及しかねない局面で、日本は燃料価格を一定程度抑え、備蓄を活用し、日米連携を維持し、円安の痛みをならしながら、経済のエンジンを止めない道を選んでいる。

もちろん、完璧ではない。
財政負担はある。
出口戦略も問われる。
円安の副作用もある。
補助の効果検証も必要である。
末端価格にきちんと反映されているかも見なければならない。

しかし、それでも、危機の中で国民生活と経済活動をここまで平常に近い形で維持していることは、決して当たり前ではない。

世界の多くの国から見れば、これはむしろ羨ましがられる対応ではないか。
エネルギー価格の急騰に苦しみ、物価高に悩み、政治が分断され、外交と国内経済をうまく接続できない国は少なくない。
その中で、日本は少なくとも、外部ショックを国内に直接浴びせないためのシェルターを作っている。

そして、そのシェルターを可能にしたのは、政府だけではない。
前回の衆議院選挙で、国民が結果的に正しい選択をしたからでもある。

国民は、古い昭和型野党のスローガン政治ではなく、危機の時代に国家運営を担える政治を選んだ。
安保と9条で喚く政治ではなく、エネルギー、安全保障、財政、経済、外交を一体で動かせる政治を選んだ。
その結果として、今、日本はこの危機を比較的安定した形で乗り切れている。

このことを、メディアはもっと認識すべきである。
そして、与党内にまだ生き残っている昭和型政治家も、同じように認識すべきである。

昭和型政治は、野党だけの問題ではない。
与党の中にも残っている。

前例主義。
派閥的な調整。
財政規律だけを唱える古い感覚。
官僚答弁に隠れる政治。
国民に説明せず、空気を見て動く政治。
危機を構造で見ず、党内力学や省庁調整で処理しようとする政治。

こうしたものもまた、昭和型政治である。

国民は、野党の昭和型政治だけを拒否したのではない。
与党内の昭和型政治にも、もう我慢しなくなっている。

高市政権が今回の危機管理で一定の評価を得るとすれば、それは単に自民党だからではない。
昭和型の調整政治ではなく、危機を安全保障、エネルギー、財政、経済、外交として一体で見ているからである。

与党内の古い政治家は、そこを勘違いしてはいけない。

国民は、自民党だから無条件に支持しているのではない。
危機の時代に、国を守り、経済を回し、生活を守る政治を支持しているのである。
もし与党内の昭和型政治家が、また古い派閥政治、財政規律だけの硬直論、調整優先の鈍い政治に戻そうとするなら、次に淘汰されるのは彼らである。

前回の衆院選で大量絶滅が起きたのは、主に昭和型野党だったかもしれない。
しかし、次の環境変化で淘汰されるのは、与党内に残る昭和型政治家かもしれない。

国民はすでに変わっている。
政治の側が、それに適応できるかどうかである。

昭和型野党は、長い間、同じ言葉で生きてきた。

「戦争反対」
「軍拡反対」
「9条を守れ」
「大企業優遇反対」
「弱者に寄り添え」
「庶民の生活を守れ」
「権力を監視せよ」

もちろん、これらの言葉の中には大切なものもある。
戦争に反対するのは当然である。
弱者を見捨ててよいはずもない。
権力を監視することも、民主主義には必要である。
国民生活を守ることも、政治の大切な役割である。

しかし、問題は、その言葉が進化しなかったことである。

時代は変わった。
国際環境は変わった。
経済の構造も変わった。
安全保障の意味も変わった。
エネルギーの重要性も変わった。
国民の生活実感も変わった。

にもかかわらず、昭和型野党は、いつまでも古い反射神経で政治をしてきた。

安保と言えば反対。
防衛費と言えば軍拡。
9条と言えば守れ。
日米同盟と言えば対米従属。
企業支援と言えば大企業優遇。
財政出動と言えばばらまき。
経済政策と言えば庶民の生活。
物価高と言えば政府批判。

この型が、もう通用しなくなったのである。

今の危機は、昭和の政治言語では処理できない。

ホルムズ海峡が揺れれば、日本の石油、LNG、ナフサ、物流、物価に影響する。
台湾海峡が揺れれば、半導体、海上交通、沖縄・九州の防衛、日米同盟、日本の産業基盤に直結する。
中国、ロシア、北朝鮮、イランの動きを見れば、「話し合いが大事です」と国内向けに言っているだけでは、抑止は成立しない。
ウクライナ戦争を見れば、力による現状変更を行う国は、平和を願う言葉だけで止まるわけではないことが分かる。

安全保障とは、もはや防衛省だけの問題ではない。
エネルギー、海上交通、半導体、食料、サプライチェーン、為替、技術、同盟、備蓄、財政、国民生活まで含む総合的な国家運営の問題である。

それなのに、昭和型野党は、いまだに安保と9条を批判材料として喚いているだけに見える。

もちろん、憲法や安全保障を議論するなという話ではない。
むしろ今ほど、安全保障を真剣に議論しなければならない時代はない。

しかし、真剣に議論するということは、現実を見るということである。

どうやって石油の海上交通を守るのか。
どうやって台湾有事の波及を防ぐのか。
どうやって北朝鮮のミサイルを抑止するのか。
どうやって中国やロシアの力による現状変更を止めるのか。
どうやって米国との同盟を維持しながら、日本の主体性も確保するのか。
どうやってエネルギー供給を守るのか。
どうやって物流を止めないのか。
どうやって国民生活を守るのか。

そこに答えなければ、安全保障政策とは言えない。

「戦争反対」だけでは答えにならない。
「9条を守れ」だけではタンカーは守れない。
「軍拡反対」だけでは海上交通は安定しない。
「平和外交で解決」だけでは、力による現状変更を止められない。

9条は理念である。
だが、理念だけでは燃料は届かない。
反戦スローガンだけでは、物流も物価も国民生活も守れない。

ここを国民は、もう見抜き始めたのだと思う。

国民の方が、先に変わったのである。

政治家やメディアや古い野党は、まだ昭和の地層に立っているつもりだった。
安保、9条、反戦、弱者代弁、反権力、大企業批判。
その古い言葉を唱えていれば、一定の支持は得られると思っていた。

しかし、国民の生活環境はすでに変わっていた。

物価高。
円安。
エネルギー危機。
台湾海峡。
ホルムズ海峡。
米国政治の変化。
中国、ロシア、北朝鮮、イランの現実。
サプライチェーン。
半導体。
賃上げ。
社会保障。
地方経済。
税と手取り。
物流。
中小企業。
現役世代の負担。

国民は、もう昭和の政治言語だけでは生きていけない時代に入っていた。

だから前回の衆院選で起きたことは、単なる政党の勝ち負けではなかった。
国民の側の環境適応だった。

国民は、古いスローガンでは生活を守れないと感じ始めた。
国民は、反対だけでは危機を乗り切れないと見抜き始めた。
国民は、平和を願うだけでは平和は守れないと理解し始めた。
国民は、経済を回すにはエネルギーと財政と企業収益と賃上げを一体で見なければならないと、生活感覚として気づき始めた。

つまり、国民はすでに新生代に入っていた。
取り残されていたのは、昭和型野党と、それを支えてきた古い政治言語だったのである。

中生代の政治とは、巨大な古い生物がのし歩く政治である。

声が大きい。
歴史が長い。
かつての生態系では存在感があった。
「反戦」「護憲」「反権力」「弱者代弁」という言葉を掲げれば、一定の場所を占めることができた。
メディアもその言葉を拾い、政治空間の中で役割を与えてきた。

しかし、環境が変わると、その巨大さと古さが弱点になる。

体が大きすぎて動けない。
言葉が古すぎて届かない。
反射神経が古すぎて現実に対応できない。
新しい危機を、古い分類でしか理解できない。

昭和型野党は、まさにその巨大な古代生物だった。

長い間、反戦、9条、反権力、弱者代弁という生存戦略で政治空間に居座ってきた。
だが、エネルギー安全保障、経済安全保障、円安、財政出動、日米同盟、台湾海峡、ホルムズ海峡という新しい環境には適応できなかった。

そして、大量絶滅が起きた。

前回の衆院選は、昭和型野党にとって政治的な隕石だった。
しかし、本当の原因は隕石だけではない。
その前から、彼らはすでに進化を止めていたのである。

環境が安定している間は、進化を止めた種でも生き残れる。
しかし、環境が変わった瞬間、その弱さが露呈する。
昭和型野党も同じだった。

平時には、反対しているだけでも存在できた。
政権批判をしているだけでも役割があるように見えた。
安保と9条を叫んでいれば、一定の支持層を維持できた。
生活不安を政権批判に変換していれば、野党らしく見えた。

しかし、危機の時代には、それでは足りない。

危機の時代に必要なのは、危機を構造で見る力である。
安全保障、エネルギー、為替、財政、物流、企業収益、賃上げ、国民生活を一体で見る力である。
政府を批判するにしても、どこが効いていて、どこが足りないのかを分ける力である。
単なる不満の代弁ではなく、実行可能な代案を出す力である。

昭和型野党には、その進化がなかった。

だから国民は離れた。

国民が冷たくなったのではない。
国民が現実的になったのである。

この違いは大きい。

昭和型野党は、今でも自分たちが負けた理由を「国民が分かっていない」「メディアが足りない」「政権がうまくやった」「右傾化した」などと考えているかもしれない。
しかし、本当の理由はもっと単純である。

国民の方が、現実に適応した。
昭和型野党の方が、適応できなかった。

前回の衆院選は、日本政治が中生代から新生代へ移ったことを示す選挙だった。
それを動かしたのは、政治家ではない。
国民の側の変化である。

では、新生代の政治とは何か。

それは、単に右か左かで分ける政治ではない。
保守かリベラルかだけで争う政治でもない。
反戦か軍拡かという古い二分法でもない。
大企業か庶民かという単純な対立でもない。

新生代の政治とは、現実の危機を構造で見て、政策で競う政治である。

必要な時には政府と協力する。
違う時には具体的な代案を出す。
国民の不満を拾うだけでなく、不満の背景にある構造を分析する。
財源を問うだけでなく、支出しなかった場合の損害も比較する。
安全保障を語るなら、理念だけでなく、抑止と同盟と海上交通とエネルギーまで語る。
経済を語るなら、家計だけでなく、企業収益、税収、賃上げ、投資、物流まで語る。

そういう政治である。

その意味で、今の野党も、すでに批判レベルで棲み分けが始まっていると思う。

昭和型の反対野党は、政府批判、弱者代弁、反権力、安保反対、9条、財政批判という古い型から抜け出せていない。
社民、共産、れいわに代表されるような政治は、この色が濃い。

もちろん、社会の不満を拾う役割はある。
声の小さい人の声を政治に届けることも必要である。
しかし、国家運営の中心にはなりにくい。

なぜなら、危機の時代に必要なのは、不満の代弁だけではないからである。

危機の構造を読み、実行可能な政策を示し、責任を引き受ける力が必要である。
反対するなら、代案が必要である。
財源を批判するなら、支出しなかった場合の損害も示す必要がある。
防衛費を批判するなら、どう抑止するのかを語る必要がある。
日米同盟を批判するなら、代替の安全保障構造を示す必要がある。

それができないなら、国家運営を任せることはできない。

一方で、政策競争型の野党は違う。

政府と対決するだけでなく、実現可能な政策で競う。
必要なら与党とも協議する。
国民の手取り、賃上げ、税制、現役世代の負担、生活実感を政策化しようとする。
批判だけでなく、実務に近い議論をしようとする。

その代表例が国民民主党である。

もちろん、国民民主党にも課題はある。
すべてが完全だと言うつもりはない。
しかし、少なくとも「批判のための批判」ではなく、「政策本位」「対決より解決」という方向性を示している点で、昭和型野党とは明らかに違う。

だから私は、将来的には、自民党と国民民主党を軸にした二大政党制の方が健全だと思う。

片方は、国家運営の経験を持つ保守系政党。
もう片方は、現役世代、手取り、賃上げ、生活実感を政策化する改革型政党。
その周辺に、その他の野党が存在する。

それで十分ではないか。

昭和型の社民、共産、れいわ型政治は、もう国家運営の中心にはいらない。
中道を名乗りながら何も決めない政治もいらない。
左右の顔色を見て、結局どちらにも責任を取らないような中道もいらない。

危機の時代に必要なのは、きれいなスローガンではない。
決める力である。
実行する力である。
現実を引き受ける力である。

もちろん、二大政党制が万能だと言うつもりはない。
自民党にも問題はある。
長期政権の緩みもある。
派閥的な古さもある。
利権構造もある。
官僚任せになる危険もある。

だからこそ、強い政策競争型野党が必要なのである。

しかし、その役割を昭和型野党が担うことは、もう難しい。
彼らは批判することには慣れているが、国家運営を引き受ける言葉を持っていない。
危機を構造で見るより、危機を政権批判の材料にする癖が抜けていない。
国民の不満を拾うことはできても、その不満の奥にある複雑な政策構造を整理できていない。

今必要なのは、政府をただ叩く野党ではない。
政府と政策で競争し、必要な時には協力し、違う時には具体的な対案を出す野党である。

これが新生代の政治である。

そして、この新生代の政治を生み出したのは、国民の側の変化である。

国民は、もう昔のように単純ではない。
テレビや新聞が作る空気だけで動く時代ではない。
「反戦」「護憲」「弱者」「庶民」という言葉に自動的に反応する時代でもない。
国民は生活の中で、もっと複雑な現実を見ている。

物価高は苦しい。
しかし、企業収益が落ちれば賃上げも止まる。
円安は苦しい。
しかし、円安には輸出、税収、投資への効果もある。
燃料価格は高い。
しかし、石油価格対策をしなければ物流も物価ももっと悪化する。
財政出動は不安だ。
しかし、経済のエンジンを止めれば後からもっと大きな財政負担が必要になる。
安全保障は怖い。
しかし、抑止力がなければもっと怖い現実が来る。

国民は、こうした複雑さを、生活感覚として感じ始めている。

だから、古い野党の単純な言葉が届かなくなった。

「9条を守れ」と言われても、ではミサイルはどうするのかと思う。
「軍拡反対」と言われても、では台湾海峡や北朝鮮はどうするのかと思う。
「ばらまき反対」と言われても、では燃料価格が暴騰したらどうするのかと思う。
「大企業優遇反対」と言われても、では賃上げの原資はどこから来るのかと思う。
「庶民の生活を守れ」と言われても、では物流とエネルギーをどう守るのかと思う。

国民は、もう問い返しているのである。

昭和型野党は、その問い返しに答えられなかった。

それが大量絶滅の理由である。

そして今、日本は危機の時代にある。

ホルムズ海峡、中東情勢、米国とイラン、台湾海峡、中国、ロシア、北朝鮮、エネルギー、円安、財政、物価、社会保障。
これらは別々の問題ではない。
すべてつながっている。

この時代に、平和を唱えるだけでは平和は守れない。
生活を語るだけでは生活は守れない。
減税を語るだけでは経済は回らない。
財政を語るだけでは危機は乗り切れない。
安保を語るだけでも足りない。

必要なのは、つながりを見る政治である。

石油は経済の血液である。
円安は痛みを伴うが、政策上の道具にもなる。
財政出動は負担だが、エンジン停止を避けるための保険でもある。
外交は遠い話ではなく、国内の燃料価格と生活に直結している。
安全保障は防衛費だけではなく、エネルギー、海上交通、半導体、物流、食料、技術まで含む。

この全体を見られる政治が、新生代の政治である。

そして今回、日本はその新生代の政治に一歩入ったことで、危機を比較的うまく乗り切っている。

これは、メディアがもっと正面から認識すべきことである。

メディアは、国民が何を選んだのかを軽く見てはいけない。
選挙結果を、単なる一時的な風や政党人気の変動として扱ってはいけない。
前回の選挙は、国民が昭和型政治に見切りをつけ、危機の時代に適応できる政治を選び始めた選挙だった。

その結果、いま日本は見えないシェルターの中で守られている。

それを理解せずに、相変わらず「ばらまきだ」「政府の対応が問われる」「国民生活が苦しい」とだけ報じるなら、メディアの方が国民の変化についていけていない。

メディアは、自分たちがまだ世論を動かせると思っているのかもしれない。
しかし、国民の方がすでに変わっている。
古い報道の空気ではなく、生活と現実の中で判断するようになっている。
メディアがその変化を読めなければ、次に淘汰されるのは古い報道そのものかもしれない。

そして、与党内に残る昭和型政治家も同じである。

彼らもまた、国民の変化を見誤ってはいけない。

国民は、自民党だから支持しているのではない。
高市政権だから何でもよいと思っているのでもない。
危機の時代に、国を守り、経済を回し、生活を守る政治を支持しているのである。

もし与党内の昭和型政治家が、国民の支持を自分たちの古い政治への信任だと勘違いするなら、それは危険である。

派閥の論理。
財政規律だけの硬直論。
省庁調整だけで危機を処理する政治。
国民に説明せず、永田町の都合で物事を進める政治。
安全保障と経済を別々に見る政治。
危機の構造より党内の力学を優先する政治。

こういう昭和型政治は、与党内にあっても、いずれ淘汰される。

前回の衆院選は、昭和型野党の大量絶滅だった。
しかし、日本政治の新生代は、野党だけを選別するわけではない。
次に問われるのは、与党内の昭和型政治家である。

国民が新生代に入った以上、古い政治家は与党であっても生き残れない。
国民の変化に適応できない政治家は、肩書きが与党であろうと、野党であろうと、過去の地層に埋もれていく。

これが、前回の衆院選後に見えてきた最大の変化だと思う。

政治は、ようやく中生代から新生代へ入った。
恐竜のように巨大だった昭和型野党は、環境変化に適応できず、国民の選択によって大量絶滅した。
そして、その後に広がるべきなのは、右か左かの古い対立ではない。
現実を引き受け、政策で競う新しい政治である。

進化を止めた種は、環境変化の中で滅びる。
進化を止めた政党も、危機の時代には淘汰される。
そして進化を止めた政治家も、与党であっても淘汰される。

これは冷酷なようでいて、自然なことである。

政治は、国民生活を守るためにある。
国民生活を守れない政治言語は、いずれ淘汰される。
危機を見られない政治勢力は、危機の時代には生き残れない。
平和を願うだけで平和を守る構造を語れない政治は、国民から見放される。
生活を守ると言いながら、エネルギー、物流、企業収益、賃上げ、財政を一体で見られない政治も、役割を失う。

日本政治は、ようやく中生代から新生代に入った。

その主役は、政治家ではない。
国民の変化である。

国民は、もう昭和の言葉だけでは動かない。
国民は、もう古い反戦スローガンだけでは安心しない。
国民は、もう批判の声量だけでは政治を選ばない。
国民は、生活を守るには現実の政策が必要だと理解し始めている。

そして今回、その国民の選択は、結果的に正しかったのではないか。

日本は今、外の嵐を直接浴びずに済んでいる。
石油、円安、財政、日米連携、エネルギー安全保障を組み合わせた政策によって、見えないシェルターの中で守られている。
世界的に見ても、羨ましがられるような危機対応をしている可能性がある。

この事実を、国民自身も、メディアも、そして与党内に残る昭和型政治家も認識すべきである。

昭和型野党の大量絶滅は、始まりにすぎない。
国民が新生代に入った以上、政治全体が進化を迫られている。

適応できる政治だけが生き残る。
適応できない政治は、過去の地層に沈んでいく。

それが、前回の衆院選が示した最大の意味である。

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