LINE1通に悩む私が、「完璧じゃなくても案外大丈夫」と思えるまでの話。
みなさんは「LINE」って得意ですか?
私は、メッセージを1通送信するまでに、ものすごく時間がかかってしまうんです。
「誰がいつ、どんな状況で読んでも、誤解なく言いたいことが伝わるように」
そんな文章を求めて、ずーっと書いては消して、書いては消して……を繰り返してしまいます。
思えば、noteを始める前もそうでした。
「もっと文章がうまく書けるようになって、内面も理想の自分になってから始めたほうがいいんじゃないか」
と、ずっと足踏みをしていたんです。
でも、そんな「完璧に思えるタイミング」なんて、一生訪れないことは内心わかっていたので、最後は勢いで始めました。
実際、noteを書きはじめてからも、完璧主義な私は顔を出します。
文章一つとっても、
「この言い方だと、ちょっと誤解を生むかもしれない」
「句読点の位置や語尾は、こっちのほうがニュアンスとして伝わりやすいかも」
と、何度も何度も文章を修整しています。
「どれだけ一つの文章をこねくり回すつもりなんだい?」と、自分自身にセルフツッコミしたくなるくらいです。
でも、そもそも100%満足することは不可能だと
薄々わかっているので、最後は
「これだけ何度も見直したんだから、大丈夫なはず……!」
と、不安ながらも勢いで投稿ボタンを押す日々です。
あまり完璧主義がいきすぎてしまうと、noteを書くこと自体が億劫になってしまうので、あえて
「完璧じゃなくてもOK」と自分に言い聞かせるようにしています🌷
◇
ところで、今お話したことと繋がるのですが
「質か量か、どちらか問題」という、とあるアメリカの美術大学で行われた、おもしろい社会実験の話を聞いたことがありますか?
教授は、学生を2つのグループに分けました。
1つは、作品の質は関係なく、提出した「数」だけで成績が決まる『量』のグループ。
作品をたくさん作ればA、少なければC、という評価です。
もう1つは、たった1つの『完璧な作品』だけが評価される『質』のグループ。
1つだけ提出して、それが完璧ならAがもらえます。
普通に考えたら、質の高い作品を作りそうなのは、一つの作品にじっくり時間をかけた『質』のグループですよね。
でも、結果は違いました。
学期末に最も優れた作品を提出したのは、驚くべきことに『量』のグループの学生たちだったのです。
大量の作品を夢中でつくる中で、彼らは自然と失敗や試行錯誤を繰り返し、技術や構成を身体で学んでいました。
一方で、『質』のグループの学生たちは、
「完璧とは何か」を頭で考えるばかりで行動が止まり、結果的にクオリティの低い作品となってしまいました。
この実験は、「質を求めて動けなくなるよりも、不完全でも打席に立ち続けるほうが、結果的に良いものが生まれる」ということを教えてくれます🌱
私は、noteを書くのもそうだし、きっと人生も同じなのかもしれないな、と思うんです。
『完璧じゃなくても、案外大丈夫。
それに、失敗はダメなことじゃない。
だって私はまだ、人生の「途中」だから』
そう思えるような小さな経験を、
これから1つずつ積み上げていけたら、と思います。
もっと肩の力を抜いて、
「なんでもトライ&エラーだ!」
と、思えるような自分を心の中に飼っていきたいです🐢
臆病な私がnoteを始める前の心の葛藤と、始めたあとの心境の変化を書いたものです。
よかったら覗いてみてください。
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