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関係性に宿る希望――宮野真生子・磯野真穂『急に具合が悪くなる』

あまりにも素晴らしい書籍に出会うと、どんな言葉もその素晴らしさを伝えるには足りない気がして、難しさを感じることがあります。
私にとって、宮野真生子さんと磯野真穂さんによる往復書簡『急に具合が悪くなる』(晶文社)はずっとそんな一冊でした。

どうしてこんなにも胸を打つのか。根底に流れるものはなんなのか。
映画『急に具合が悪くなる』の世界に触れたことで、初めて原作について語る糸口を見つけられたような気がします。前回の映画についての記事はこちらからお読みください。

映画と深く響き合う、原作の往復書簡『急に具合が悪くなる』の世界を読み解いてゆきましょう。

二人の「星の時間」の成り立ち

原作は、偶然性を扱った九鬼周造を専門とする哲学者・宮野真生子と、身体・医療・食をテーマとする医療人類学が専門の人類学者・磯野真穂の往復書簡です。

2019年4月末、この往復書簡が始まったときのテーマは、病を抱えて生きることのリスクや不確実性の問題をどう捉えるか、ということでした。
研究者同士として意気投合したお二人が、共通の問題意識に対して問いを立て、研究者として培った言葉を交わしてゆく、そんな学問的野心を持った書簡だったのです。

宮野さんはその前年、2018年の10月に医師からこう告げられていました。「急に具合が悪くなるかもしれない」と。

「急に具合が悪くなる」とはどういうことなのか、確率が語られる現代医療の世界において「選ぶ」とは何なのか、その選択を、患者一人だけで担えるのか。書簡の前半、こうした問いを投げ合うなかで、お二人の関係性は深まってゆきます。

関係性の偶然と衝撃

偶然性を問う哲学者である宮野さんは、この書簡のなかで九鬼周造の『偶然性の問題』を引き、偶然についてこう定義しています。

「あること」も「ないこと」もありえた「にもかかわらずこのようにある」ということ。

『急に具合が悪くなる』8便 「エースの仕事」より要約

「急に具合が悪くなる」ことについても、可能性だけを考えるならば、磯野さんと往復書簡を交わしている最中に「起こらない」こともありえたのでしょう。「にもかかわらず」この往復書簡の6便あたりから、宮野さんの身体状態はどんどん変化し、実際に「急に具合が悪くなる」ことが起こってしまいます。

その衝撃を、磯野さんはこう語っていました。

仲が良くなればなるほど、死が身体の中でうごめく側と、そうでない側との超えられない他者性が圧倒的に広がって、よくわからないことが増えてゆく。

『急に具合が悪くなる』10便 「ほんとうに、急に具合が悪くなる」

状況だけを考えれば、お互いを傷つけないために、形式的な言葉を交わす段階に入ってもおかしくなかったのかもしれません。

わからなさを引き受けた先にある信頼

それでも、お二人はこの書簡の最後まで、哲学者と人類学者として言葉を交わすこと、決して「がんを抱える当事者」と「そうではない非当事者」の役割に固定されず、お互いに向き合うことに徹底的にこだわります。

研究者として培った知識や経験を持ってしても、わからないことがあると引き受け、覚悟したうえで、同じ未来を見ようとしている。
どうしてそんなことが可能になったのでしょうか。

あなたがいるからこそ、いつ死ぬかわからない私は、約束という賭けをおこない、そのわからない実現に向けて冒険をしてゆく。あなたがいるからこそ決めたのだという、「今」の決断こそ、約束の要点なのだろうと。だとしたら、信頼とは未来に向けてのものである以上に、今の目の前のあなたへの信であると言えそうです。

『急に具合が悪くなる』7便 「お大事にが使えない」

そう、宮野真生子さんと磯野真穂さんとの間に、「目の前にいるあなたへの信頼」があるからです。関係性を諦めないことで積み重ねられた時間のなかにある信頼が、お二人だからこそ描けた未来に対する希望が、何よりも私たちの胸を打つのだと思うのです。

私たちにも託された希望

宮野さんが10便にわたる往復書簡を終えてから執筆した「はじめに」はこう締めくくられています。

最後に皆さんに見える風景が、その先の始まりに充ちた世界の広がりになっていることを祈っています。

『急に具合が悪くなる』「はじめに」

お二人が諦めなかったことで描いた未来や希望がこうして私たちにも託されているからこそ、濱口監督・キャスト・スタッフの皆さんがそれを受け取り、映画という新たな広がりに充ちた世界を描くことができたのでしょう。

映画と現実のケアにおける可能性

宮野さんと磯野さんは、「ケアするもの」と「されるもの」のフォーマットのなかで関係性が固定化してしまい、広がりや始まりの可能性を失ってしまうことに、何よりも抗おうとしていました。

映画『急に具合が悪くなる』は、その問題意識を反転させ、一方通行のケアに陥らないことの大切さを、主人公二人の関係性だけではなく、介護施設でのケアや演劇を通じても描いています。可能性に充ちたケアは映画だから、海外を舞台にしているから描けたことなのでしょうか。

そうとも言い切れないな、と私は思います。
次回は、映画を観ながら思い浮かんだ、日本におけるケアの実践事例や、ケアについての書籍をご紹介したいと思います。映画と現実におけるケアの世界が、少しでも繋がることを願っています。

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