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心の風景が繋がる居場所を探して――「聴いちゃった体」瀬尾夏美・伊藤亜紗トークイベント

前回は、瀬尾夏美さん・伊藤亜紗さんの往復書簡『聴いちゃった体』から生まれた「参加者同士で話を聴き合って絵を描く」ワークショップの模様をお伝えしました。前回の記事はこちらです。

とても温かい時間を過ごしたワークショップ。今回は、その後に行われた瀬尾夏美さん・伊藤亜紗さんのトークイベントについてまとめたいと思います。2時間にわたるお二人のお話は、ワークショップの振り返りから、「聴くこと」「居心地」「人と人の関係性」まで、深く考えさせられる時間になりました。ぜひ最後までお付き合いください。

聴くことと聴かれること:お互いを預け合う

まずワークショップを振り返って、ペアになった参加者同士の絵の雰囲気や構図、色などが似ていたことが話題に上がりました。お二人とも「不思議でしたね」とおっしゃっていたのですが、相手に対してどこまで自分を開示できるかなど、インタビューの語りの時点でペアの方の影響を受け、そこで生まれた関係性が文章や絵に反映されている気がすると話されていたことが印象的でした。話を聴くことと聴いてもらうことは繋がっていて、お互いを預け合うなかで、自分にとっても相手にとってもちょうど良いバランスを探すのが関係性を築くことなのかもしれません。
そこから瀬尾夏美さんの活動についてお話を伺うことができました。

荷下ろしを手伝う:瀬尾夏美さんにとっての聴くことと表現

東日本大震災で被災した方々の体験を聴き取ってこられた瀬尾夏美さん。
被災した方々のお話を聴くことは、圧倒的な体験を前に、一人では抱えきれないものを背負ってしまった方々の荷下ろしを手伝うような感覚なのだそうです。他者がいることで初めて言葉になることがあり、横にいて一緒にお茶を飲んだりしながら聴いているとのことでした。
何か言葉を返すというよりも、ただ横にいて「ああ…」と聴いていることが多いなかで、文章を書くということがお話を聴かせてくださった方への応答になっており、受け止めたことを伝える手段なのだそうです。

風景や場所、共同体の歴史と紐付いた語りのお話のなかで、津波に大切な風景がさらわれてしまった陸前高田の方のとても印象的な言葉を教えてくださいました。

「心っていうのは風景のなかにあった」

津波ですべてがさらわれてしまったなかで、瓦礫を一つ一つ片付けてゆくことが、心をもう一度見つけてゆく大切な時間だったそうです。
その場所が復興の過程で埋められてしまって、もう一度心を失っても、そこからまた心を見つけてゆく…そんな陸前高田の方のお話から、居心地についてのお話が続いてゆきました。

居心地のいい場所:心の置き場所

あまり意識したことがありませんでしたが、「居心地」という言葉にも心という漢字が入っています。居心地のいい場所が、自分の心を置ける場所なのだとしたら、その場所を作るための条件のようなものはあるのでしょうか。

伊藤亜紗さんは「居心地って曖昧で定義できないけれど、Yes Noで問われると、『ここではない』と選べる」とおっしゃっていました。
摩擦や居心地の悪さを感じることも、選ぶうえでは大切なことかもしれません。伊藤亜紗さんが最近取り組まれているのも、まさにそんな摩擦を可視化するようなプロジェクトだそうです。

山のフタをあける:作品を作りながら違いを可視化する

渇水がたびたび問題になる四国の香川県と、そんな香川(や愛媛)を支える水源として、ダムと保水力のある山を抱える高知県。所有者がわからなくなるなど、山の維持管理が難しくなってゆくなかで、水を使用する香川の人と、水を供給する高知の人が、山をどう捉えているのかを話し合うのが「山のフタをあける」プロジェクトとのことです。

インタビューと同時に行われているのが、人それぞれの山のイメージを100円ショップのグッズで表現して翻訳すること。
住んでいる場所や職業によって違う山の捉え方や、そこにある摩擦をないことにせず、確認し合うことで理解が進むとおっしゃっていました。

表現することの可能性:当事者同士の難しさのなかで

お互いに作品を作ることで、思いもよらないものが生まれても、それを面白がる余地が生まれ、安全にぶつかり合えるのかもしれません。
当事者同士が集まる難しさを伊藤さんも瀬尾さんも語られていて、お互いの違いを敏感に感じ取り、抱えてきた痛みが刺激されてしまう、といったこともあるように感じました。
その時に言葉ではなくて、作品として表現されたものが、お互いの体験を繋いで共鳴し合うための媒介になるのではないか、とのお話がとても印象に残っています。

言葉だけではない、体同士の出会いの先で

こうして振り返ってみても、語りを聴くというのはただ言葉を受け取ることではなくて、お互いの体が発するものや、その場を共有することで生まれるものを見極めながらバランスを取ってゆくような、とても身体的な体験なのだと感じます。誰かと誰かが実際に出会う場所の大切さを、改めて感じることができました。

と同時に、あまりに距離の近い関係性のなかで話を聴くことの難しさも見えてきたような気がします。近しい関係性のなかでも、思いもよらないお互いの違いを受け止めながら、聴き合うことはできるでしょうか。
次回はこの映画を通じて考えてみたいと思います。


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