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4.1 「仕事」スペインで働く夢を叶える──【イベリコ豚の国で迷子になって】

いまの仕事が自分の「天職」だと断言できる人はどれだけいるだろう。

30歳を目前に会社を辞めて修復師を目指し、10年をかけて夢を叶えた日本人女性がいる。私が今回、マスターの課題である「本」で仕事をテーマとして書くにあたり、その人のことを思い出した。彼女を取材したのは、2018年のこと。

太陽の光を浴びてきらきらと輝く並木道を歩いていくと、壮麗な建物が姿を現す。スペインが誇る「美の殿堂」──歴代スペイン王家のコレクションを所蔵する、プラド美術館だ。私は同美術館で唯一の日本人修復師、和田美奈子に会うため、バルセロナからマドリードを訪れた。

「修復師」とひとくくりにいっても、絵画、紙、彫刻、装飾美術、額縁と各専門分野にわかれていて、修復スタジオもわけられている。さらに、X線や赤外線、紫外線撮影、調査などをする研究チーム、化学と生物学に特化したラボラトリーがあり、修復のサポートをしている。

和田が専門とするのは「紙」作品の修復だ。私が彼女に取材をした当時は、2019年に出版予定のカタログのために、ゴヤのスケッチ画を修復していた。時間が経って茶色く酸化した部分のシミ抜きをしていくのだという。

修復に要する時間は、作品の大きさによって異なる。1ヵ月で終えるものもあれば、数ヵ月かかるものもある。2017年は、およそ50もの作品に携わった。「どこを直したのかわからないような修復をほどこすこと」が、腕の見せ所だ。

「私たちは、クリエイティブになってはいけないんです。だから、欠けている部分をつけ足すようなことをしてはいけません」

また、美術館の修復師の仕事は、作品の修復だけにとどまらない。特別展示準備や展示の片付けのために、海外出張に行くことも多い。

作品をほかの美術館に貸し出す際、必ずその作品には修復師が目的地まで付き添う。「クーリエ」と呼ばれる仕事だ。プラド美術館では、作品の貸し借りはしょっちゅうおこなわれている。プラド美術館から作品を貸し出す際、事前にすべての作品の保存状態をチェックする。館内でパッキングし、箱のなかの温度と湿度に作品をなじませるために、そのままの状態で24時間置いておく。

その後、作品と一緒にトラックで空港に向かう。到着すると、係員にパレッタイズの指示を出し、同じ飛行機に乗って現地へと飛ぶ。そして、貸出先の美術館で箱を開け、作品が展示されるまでを監視する──この一連の作業を、和田は担っているのだ。

このクーリエの仕事こそが、「修復から展示まで」関わることができる美術館と、「修復のみ」をおこなう修復センターの修復師の違いなのだという。

修復作業の合間を縫って、世界中を飛び回る。目の回るような忙しさだが、和田は仕事が楽しくて仕方がないと目を輝かせていた。

***

和田は、高校生時代から美術が好きだった。だが、美術大学に入っても具体的に学びたいことがないと思い、上智大学の外国語学部イスパニア語学科に入学する。

大学卒業後は、電鉄会社に就職。入社して1年後にはスペインのマドリードに出向となる。和田は「東京よりも住み心地が良い」マドリードに残るため、3年後に正社員から現地雇用に切り替え、現地職員としてさらに4年間働いた。しかし、30歳を目前にした和田の脳裏に、ふと疑問が浮かぶ。

いまの仕事が、自分の天職なのだろうか?

和田は、当時をこう振り返っていた。

「28歳くらいのときでした。ずっとこの仕事をやっていていいのだろうかと、真剣に悩みはじめたんです。そうしたら、60歳になっても同じ仕事を続けていることが、とてもじゃないけど想像できなくて」

大学時代は「企業に就職するのが当たり前」という風潮に流されていた。そのツケが、28歳になってまわってきたのだ。

そう考えた和田は、自分の原点に立ち返った。自分は何が好きで、何が得意で、何が喜びだったのか。それを掘り下げていった。その結果、辿り着いたのが「職人」だった。子供のころから細かい作業に没頭するのが好きで、学生時代も美術関係の仕事をしたいと思ったことがあった。学芸員や研究員ではない。作品を触ることができる、修復師になりたい。そう思ったのだ。

とはいえ、当時和田は完全な素人。修復師の資格を取るためには、修復師養成学校を卒業する必要がある。そこで、彼女は仕事を続けながら、修復師養成学校の入学準備のため、アカデミーで1年間勉強した。

絵を描いたり、デッサンをしたりするのに、さほど苦労はなかった。手先の器用さにも自信はあった。だが、そこで彼女の前に立ちはだかったのは、学問の壁だ。

修復師には文系のイメージがあるかもしれないが、美術史やスペインの歴史だけでなく、修復には薬剤を使用するため、化学や生物学の知識も必要不可欠だ。さらに試験は記述式。それでも、和田は1週間も続く養成学校の入学試験に合格すると、仕事をあっさりと辞めた。1年間じっくり悩んで下した決断に、迷いはなかったという。

その後3年間は、「勉強しかしていなかった」。学校の授業は、朝8時から15時まで。帰宅すると昼食をとり、夜までその日の復習をする。さらに週末は、課題をこなすという日々。スペイン語は上級レベルだったが、それでも授業についていくのには苦労した。

さらに試験の際は、どうしてもスペイン人より書くスピードが落ちてしまう。この問題を克服するため、和田はひたすら万年筆を使って「書く」練習をした。

すべてが成績順」だった学校生活にストレスを感じ、風邪の状態が半年も続いたり、帯状疱疹にもなったりもしたという。

「泣きながらやっていましたよ。勉強って、ある意味では、仕事より大変だと思うんです。誰かと『一緒に合格しよう』と言っても、そんなことはできない。仕事はチームでできるけど、勉強は1人でしないといけないから、孤独です」

授業についていけない孤独や、後戻りできないというプレッシャーに押し潰されそうになりながらも、猛勉強の末にトップの成績で学校を卒業する。その後は、奨学研究生として修復センターで9ヵ月間働き、翌年にはソフィア王妃美術館で研修生として1年間勤務する。さらに、プラド美術館で3ヵ月の研修も経験した。再びオファーを受けたソフィア王妃美術館では、契約社員として9ヵ月間働いた。(つづく)

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