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1.3 「生活編」日本とスペイン、こんなに違う日常生活──【イベリコ豚の国で迷子になって】

そんなこんなで、サラマンカに到着してから最初の3ヵ月は、日本の大学から一緒に送り込まれてきた日本人たちと一緒(10人くらいいた)に、寮でスペイン人に混ざって暮らし(といっても友達は一人もできなかったけれど)、そのあとは2人のフランス人と韓国、スペインの女の子たちと5人で家をシェアした。

ちなみに、最近では日本でもシェアハウスの存在が浸透してきているけれど、スペインでは学生だけでなく社会人でも他人同士でアパートをシェアするのは当たり前。日本ではネットワーキングのためという意味合いが強い印象を受けるけれど、こちらでは一人暮らし用の物件が少なく、家賃が高いからいやいや共同生活している人が大半だ。

一時期、節約のためにと思って東京で100人が住むシェアアパートに入ったことがある。けれど、規則の厳しさと家賃の高さに辟易してしまった。だって10㎡のスペース(トイレ・シャワー共同)に、光熱費込みとはいえ10万円近く払っていたのだ。

自分の部屋に土足で入りたくなかったので、部屋の前の廊下に靴を置いておいたら没収され(たしかに、廊下に私物を置いてはいけないというルールはあった)。そして、それを取り返すのに3000円払わされた。

内見だけしたほかのシェアハウスは、外見は一軒家のようで30人ほどが暮らしていた。そこには家族以外連れ込んではいけないというルールがあり、逆カルチャーショックを受けたのを覚えている。

日本のシェアハウスの場合は企業が運営しているけれど、スペインの場合はその家のオーナーが直に貸し出していたり不動産会社を介入させていたりするだけなので、普通の家と同様の自由がある。そもそも100人も住めるシェアアパートなんてものは、ここでは聞いたことがないけれど。

サラマンカでのシェアハウスは、映画『スパニッシュ・アパートメント』から連想されるような生活ほどカオスではなかった。でも彼女たちと生活を共にし、友達を作らなければとの一心で夜飲みに出かけたり、先輩に吹き込まれたとおりヨーロッパ中を旅行して過ごすうちに、本物の生ハムも好きになり、スーパーの1ユーロワインを「おいしい」と錯覚するようになったりして、スペイン生活にも慣れていった。けれど、楽しくなりだした頃に留学期間は終了。日本へ帰国した。本当に、人生は辛い。

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ダニエル・ラドクリフにほだされて、不純な理由で選んだスペインでの1年間は私の人生をすっかり変えてしまった。その後、大学を卒業し日本で就職するも海外(とくに今度はスペイン)で暮らすことへの憧れを捨てきれず、2017年に日本とスペインがワーキングホリデー制度がスタートすると迷わず申請した。

だから、私は現在もこうしてバルセロナに留まっている。最初の1年は、ワーホリビザで来ていたのにもかかわらず、学校に通っていたわけでも働いていたわけでもなかったので、誰かと話したくて日本語を教えていたことがある。やってきた生徒たちのなかには、まるで昔の自分のような人もいた。

ある40代の男性の生徒は、数年前に初めて日本の空港に降り立ったとき「懐かしさ」を感じたと話していた。彼はバルセロナ生まれのバルセロナ育ちで、日本とは縁もゆかりもない。現在もここに住んでいるけれど、数年前に日本人の女性と結婚し子供もいる。

また、日本人の彼女がほしかったのだと告白してきた大学生もいる。彼もまたバルセロナの出身だけれど、子供のときから日本に憧れていた。教師として私を選んだのは、私の友達と「あわよくば知り合いになれるかもしれない」という下心があったそうだ。

日本に行きたい、日本人の彼女がほしい、という彼の話を聞いたとき日本に生息する「ガイジンハンター」と呼ばれる人たちを思い出した。その存在を教えてくれたのは、東京に7年近く住んでいるマジョルカ出身の友人だった(日本語で「ガイジン」というように、スペイン語でも「外国人観光客」を皮肉を込めて「Guiri」と呼ぶ。「ガイジン」の場合は旅行者だけでなく、居住者もいっしょくたなのでもう少し意味範囲が広いかもしれないけれど)。

その名の通り「外国人の恋人」を作ろうとする日本人たちだ。また、以前勤めていた日系の大企業では「ガイジンボーナス」という言葉を知った。つまり、日本人でないからちやほやされたり、言いたいことが言えたり(日本企業ではよっぽど優秀か、勇気がない限り普通の若い社員は上司に意見することはない)、日本人社員がやったら白い目で見られるような些細なこと(少し派手な服装をしていたり、飲み会を断ったり)が許されたりするという「ボーナス」つきなのだ。

当時、その会社は「グローバル」を謳っていたのに、社員のほとんどが日本人男性という、「グローバル」どころか超絶マチスタな文化だった。さらに、バイレイシャルの人は「ハーフ(半分)」と呼ばれており「ハーフタレント」の人気は高い。

地続きのヨーロッパ大陸、さらにEU圏で人の動きが自由な国スペインで「海外から来た人」も「ハーフ」も珍しくない。かつてはスペインの占領下におかれていた南米諸国出身の人で、2つ国籍を所持している人だってたくさんいる。だから、ガイジンであるというだけで“ハント”の対象になったり、特別扱いされるのはちょっと羨ましい話だ。

日本人の彼女を欲しがっていたかつての生徒は、背も高くて、顔も悪くないし、オープンな性格だ。だから、本人にも伝えたけれど、正直なところモテると思う。かつての私のように憧れを手放さずに、日本に行く夢を叶え、変なガイジンハンターに引っかかることなく、素敵な人に出会うことができればと願っている。

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結局、イギリス人に飽きた私が憧れのロンドンに初めて降り立ったのは、サラマンカに留学した2009年12月のことだ。2010年を迎えるために、アイルランドに留学していた日本の友人とフランスから初めてユーロスターに乗って人生で初めてのイギリスへやってきた。イギリス熱が冷めていたとはいえ、憧れに憧れていたロンドン。本物のダブルデッカーに感動し、ビッグベンを見て感傷的になり、ロンドンアイで打ち上げられたニューイヤーの花火に涙し、深夜にレストランで食べたパスタのまずさに衝撃を覚えた。

でも、あまりにも憧れが強すぎたのか、学生の貧乏旅行で行ったのがいけなかったのか、何かが足りなかった。

私にとっての「イギリス」は、神奈川県にある家の自分の小さすぎる部屋でCDウォークマンから流れてくるカーペンターズやビートルズ、マライア・キャリーを聴きながら、ダニエル・ラドクリフやヒュー・グラントの姿やイギリスの景色を雑誌で眺めることであり、学校で毎日ように借りてきた数々の映画──『ローマの休日』『今を生きる』『バック・トゥ・ザ・フューチャー』『ラブ・アクチュアリー』なんかを観ることであり、時間も空間も忘れて読んだ『ハリー・ポッター』『指輪物語』『嵐が丘』『風と共に去りぬ』であり、クリスマスの日に英語の勉強をすることだったのだ。

夢から覚めて10年以上が経った。あれだけ切望していたイギリス人の彼氏ができたことはない。これからできるかもしれないし、できないかもしれない。ただ今は、一点の迷いもなく猪突猛進していた当時の自分が羨ましくもあり、それと同時に感謝もしている。もちろん、ダニエル・ラドクリフにも。

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