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1.1 「生活編」イギリス人と思い込んでいた私がスペインに住むまで──【イベリコ豚の国で迷子になって】

私は子供の頃、自分はイギリス人だと思っていた。あまりにも真剣に悩みすぎて、親にも友達にも相談できなかった。なんせ、親は英語が喋れないどころか海外旅行にすら興味がないような人たちだったし、私は東京ですらない、その隣の神奈川県でずっと生きてきたからだ。

すべてが始まったのは、12歳の秋のある朝。学校に行く前の朝のドタバタのなかで、映画『ハリー・ポッターと賢者の石』の宣伝で出演者たちが「めざましテレビ」のインタビューに答えているのを横目に見ていた。そして、カバンを持ってリンビングから出ていこうとしたそのとき、私はテレビの画面に釘付けになった。

こちらを見つめる、優しいブルーの瞳──私は、一瞬で恋に落ちた。

そのときから、私は寝ても覚めてもハリー・ポッター役のダニエル・ラドクリフのことばかり考えていた。こんなにかっこいい人が世の中に存在するなんて、信じられなかった。彼が私と同じ1989年生まれであること、映画のなかでは役柄に合わせて彼の瞳の色は緑色になっていること、そしてイギリス人であるということ。

原作の「ハリー・ポッター」シリーズは、すでに読んでいたけれど、その小説の生まれた地がアメリカだろうがイギリスだろうがフランスだろうが、正直どうでもよかった。海外の小説や映画よりも、日本のドラマのほうが好きだったし、日本のアイドルに夢中だった。幼少のときから学校の授業外で英語を習わされていたけれど、まったく興味が持てず、子供の私にとっては苦痛以外のなにものでなかった。だから、言語が上達するわけもなかった。

そんな私に、会ったこともない一人の異国の少年が世界を与えた。

「ハリー・ポッター」シリーズは新刊が出るたびに買い続けて夢中で読んだ。ストーリーにはまったのはもちろんだけど、でもそれはもう私にとって単なる「魔法学校のファンタジー小説」ではなくなっていた。「ハリー・ポッター」を読めば、そこに「大好きなダニエル」の気配を感じることができたのだ。

初恋に落ちた12歳の暴走は止まらなかった。彼と本気で結婚したいと思った。いてもたってもいられなかった。けれど彼はイギリス人、私は日本人。まともに会話すらできない。でも、なんとかジェスチャーで乗り切ることができるんじゃないか。そもそもどうしたら彼とお近づきになれるのか。ダニエル・ラドクリフはレベルが高すぎるのではないか……。そこで(あっけなく)私は“目標”を変えた。異国のさらにブレイクしはじめた俳優と結婚するのは、あまりにも非現実的だ。だったら「自分のダニエル」を見つければいい。つまり、イギリス人と結婚ればいい。

一気にレベルが下がったところで、母親が私を焚きつけた。

「そんなにイギリス人と結婚したいなら、英語が話せなきゃだめでしょ。それに、イギリス人なら誰だっていいわけじゃないでしょ。ちゃんとした人を見つけなきゃ。そのためにはまず自分がそのレベルにならなきゃいけないんだから、ちゃんと勉強しなさい」

おっしゃる通りだ。ジェスチャーでごまかそうとしている場合じゃない。頭の弱い娘は、いとも簡単に騙された。そこから私は猛烈に勉強して、空想の世界に生きはじめた。

未来の夫と意思疎通するために、英語の塾と英会話教室をかけもちし、英検やTOEICを受けまくった。クリスマスの日にあえて英語の授業を入れて、幸せな気分になっていた。学校の図書室から毎日のように海外映画のDVDを借りてきて観ては、イギリスへの憧れを膨らませ、今度はヒュー・グラントに恋をした。エミリー・ブロンテの『嵐が丘』を読んだときには、ヨークシャーの荒野が目にありありと目に浮かぶようだったし、キャサリンが「あたしはヒースクリフです!」と叫び、「自分以上の『自分の生命』」と呼んだヒースクリフの存在に憧れた。

カーペンターズを聴いては感傷的になり(映画、音楽、文学に関してはイギリスもアメリカももはや一緒になっていた)、テレビの旅番組や雑誌でイギリスの田舎を風景を見て、そこに懐かしさを覚えるようになった。当時の私の脳がどう機能していたのか、まったくわからない。けれど、当時の理論はこうだ。

イギリスの景色を見るたびに、なぜか行ったことがないのに強烈な懐かしさを覚える。本当であれば、私はイギリスに生まれるはずだったのに、ここに生まれてしまった。逆に、イギリスには日本に生まれるべきだったイギリス人がいるはずだ。なんらかの神様のミスに違いない──。

一度そう思い込むと頭から離れず、本気で悩んだ。なんとしてでも“母国”に帰らなければ、と。

今振り返ると、ネジがたくさん外れていたとしか思えない。なにがすごいって、この勘違いは12歳から大学に入学する直前の18歳まで続いたのだ。学校に友達はちゃんといたし、先生とも仲良くやっていた。そのあいだに両親が離婚したり、それで若干の環境の変化はあったりしたけれど、それでも平和すぎるほど平和な、ぬるま湯のなかに浸かっているような学生生活を過ごしたと思う。

趣味嗜好は「イギリス」から英語圏へと広がっていたけれど、それでも“母国”に帰るという意思は揺るがなかった。どうしたらイギリスに「住める」のか。どんなに泣き喚いたって、高校卒業後にイギリスへ留学なんてさせてくれるわけがない。

そこで行き着いたのが、強制的に留学させられる大学の学部に入るしかないという結論だった。とはいえ、当時留学が「可能」なのではなく「強制」なのは早稲田大学の国際教学部しかなかった。かなり絶望的だった。

母親いわく「馬鹿じゃ良いイギリス人とは結婚できない」とのことだったので、わりと勉強していて学校の成績は良かったけれど、それは田舎の私立の女子校レベルの話で、全国区レベルではない。

でも故郷に帰り、イギリス人と結婚するためにはそんなこと言っていられない。もう執念で、奇跡的に合格。もう夢の実現まであと一歩──そこで、魔法が解けた。大学に入学した私は、初めての“大人”として自由を東京のど真ん中で味わい、目が覚めてしまったのだ。私はイギリス人じゃない。思いっきり日本人だと。(つづく)

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