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3.2 「食」スシ、テンプラだけじゃない! 世界が見た日本食──【イベリコ豚の国で迷子になって】

フェラン・アドリアが生み出すような、奇抜なクリエイティビティに日本のガストロノミー界で出会うのは、難しい。けれど、時間を惜しまない細部へのこだわりは、日本ならではないかとアメリカのジャーナリスト、マット・グールディングの話を聞いて気付かされた。

彼は2年間で9ヵ月日本に滞在して、北から南まで871食を食べつくし『米、麺、魚の国からアメリカ人が食べて歩いて見つけた偉大な和食文化と職人たち』という本を出版している。ちなみに妻はバルセロナの人だ。

彼は、日本に来て「寿司」や「天ぷら」「ラーメン」といった日本食の複雑さや繊細さに気づいたと言う。彼の考えがはっきりと変わったのが、東京にある一軒のカフェを友人に連れられて訪れたときのことだ。

現在はもうなくなってしまった「大坊珈琲」は、古い建物のなかにあった。一見どこにでもありそうな喫茶店のカウンターの奥で、店主の大坊勝次がコーヒー豆を1粒ずつ確認し、欠陥のある豆を取り除いていたという。そしてその豆を10~15分かけて直火で焙煎し、手動でその豆を挽き、ゆっくりとドリップした。

「それは、まるで時間が止まっているかのように思えました」と、マットは振り返る。

45分もかけて一連のプロセスを終えてできあがったのが、指3本分のコーヒー。1つ1つの過程に敬意を払いながら淹れたコーヒーは、「もちろん驚くほどおいしい」ものだったそうだ。

コーヒーのようにとてもシンプルなものでさえ、こんなに上品で、緻密で、細部にまで神経が行き渡ったものになるなんて、この国にはこうした素晴らしいストーリーがほかにもたくさんあるに違いない──この経験がきっかけとなり、マットは日本食を食べ歩くことにしたのだという。

彼の取材先はグアテマラ人が営業する広島のお好み焼き屋から北海道のパン屋までバリエーションに富むが、なかでも取材を受け入れてもらうのが難しかったのは、京都で松野俊一と俊夫の親子が営む「天ぷら 松」だった。粘り強いオファーの甲斐あって、マットは市場での仕入れから調理場での動きぶりまで、1日の流れすべてに付き添うことを許可される。

朝7時に店に行き、京都の市場で2~3時間かけて大トロや和牛など、その日に必要な材料の買い出しをする。そのあと向かったタケノコ農場は、以前皇室にタケノコを届けていた日本でもトップの農家だった。

店に戻ると、マットはシェフのジャケットを渡され、「これを着てそこの角に立って、あまり動かずに観察するように」と言われた。そして市場からの帰り道に、俊夫が途中で車を停めて拾っていた枝の葉が、その2時間後に、懐石料理の刺し身コースで各皿に使われていたことにマットは気がつく。

電話1本ですべての材料を揃えるのではなく、それぞれの料理に適した材料を、時間をかけて自分で見つけに行き、食事を特別なものへと作り上げていく。マットは「その過程を見逃さないように、私はできるだけ彼らを観察し続けていました」と話す。

彼いわく「日本人は本当に献身的で、何かに専念しはじめると、そこにすべてを注ぎ込む」と言う。そう実感したのは、彼がナポリのピザ学校でピザ作りを学んでいたときのこと(彼は、認定を受けたピザ職人でもある)。

その学校での最後のテストは、最も基本的なピザ「マルゲリータ」と「マリナーラ」を作ること。審査員は4人いて、彼らはみんな80~90歳の「ピザの巨匠」と呼ばれる人たちだったそう。彼はギリギリのところで合格したが、クラスにはイタリア人もいたにもかかわらず、そこにいた日本人のほうが数段良いものを作っていたという。

テストのあと、彼がこの4人の審査員に「イタリア人以外で、誰が一番美味しいピザを作るか」と聞いたところ「これは秘密だけど、日本人が作るピザは我々のピザよりもおいしいよ」と答えたそうだ。

「これはピザ云々ではなく、正しい方法で作るための『細部へのこだわり』によるものなんです。ピザであろうとラーメンであろうと寿司や懐石であろうと、それは『常に正しくおこなう』ということに尽きる。日本の職人はほんの少し上達するために、とにかく何回も繰り返し練習するのです」

さらに、マットは日本のレストランのつくりについてもこう指摘する。

「閉ざされた調理場から魔法のように料理が出てくるのではなく、オープンにして、芸術のような調理を目の前で見せたり、シェフとの会話を楽しんだりするのが日本では昔から伝わっているスタイルで、それが日本の食文化を素晴らしいものにしているのです」(つづく)

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