3.1 「グルメ編」スペインが生んだ天才フェラン・アドリアの素顔──【イベリコ豚の国で迷子になって】
「シェフ」という存在を好きになったのは、2011年に放送されたスペインのビールメーカー「エストレージャ・ダム」のCMがきっかけだった。
太陽の光にきらめく地中海、緑が覆いしげる山のなかに建つ、いかにも風通しのよさそうなレストラン──「エル・ブジ」。そこで見習いとして住み込みで働く若者たちのイメージが映しだされる。ヘマをしてしかられたり、友達と海に飛び込んだり、恋したり。そして最後に登場するフェラン・アドリア。私もエル・ブジの実習生になって、こんな「地中海的」夏を過ごしたいと憧れた。
単純にいえば、エストレージャダムのマーケティングにまんまとひっかかっただけなのだけれど、それ以来なんとなくシェフが好きになった。そして、フェラン・アドリアに憧れた。
そんな「憧れの人」に会うことができたのは、2016年のこと。今はもうなくなってしまった「エル・ブジ・ラボ」で、念願叶って生フェランを取材することができたのだ。
バルセロナ市内のビルのワンフロアにあったそのオフィの入り口には、「CERRAMOS EL BULLI PARA ABRIR EL BULLI(エル・ブジをオープンするために、エル・ブジを閉める)」と書かれた電気パネルが飾られていた。
右手には大きなスクリーンを囲んだミーティングスペースが、左手には地図やグラフ、チャートが所せましと貼られたパネルに紛れて、アニメ『ザ・シンプソンズ』の作者マット・グレイニングが描いたフェランの似顔絵やエル・ブジのキャラクターであるグレンチブルドッグの巨大なレプリカ、そして奥には長机が並べられたワーキングスペースがあった。
当時、彼と弟のアルベルト・アドリアが中心となって設立したこのラボでは、「ブジ・ペディア」をはじめとする29のプロジェクトが進められていた。ブジ・ペディアとは、ガストロノミー版「ウィキペディア」のようなもので、ガストロノミーに関するありとあらゆる知識を蓄積したオンライン・データベースだ。
ラボでは、料理家のみならず、建築家やデザイナー、プログラマーなど、さまざまな分野の専門知識を持つボランティアやインターンを含めた70人が働いており、各自が「フォーク」や「ホワイトアスパラガス」といったテーマをについて何時間もかけて調査するという、不思議な空間だった。さらに、案内してくれたスタッフから「ここでは料理を『言語』として働いています」と説明され、混乱した。
だが、もっと混乱したのはフェラン本人と話をしたときだった。言語の問題を超えて、天才の考えることは謎に満ちていたが、結局彼が昔からやろうとしていることは、つまりこういうことだ。
「『料理』にまつわるすべてをわかっていなければ、何も理解できない。食の歴史を知り、分析し、新しい規律を作り出す。目的は『料理をすること』ではなく、『イノベーション』を生み出すことだ」
世界最高の料理人の1人と称されるフェランは、大の日本好き(日本食好き?)だ。2002年に初めて日本を訪れてから2016年に取材した時点で、10回は来日していると話していた。いわく「日本はインスピレーションを与えてくれる世界でたった1つの国」であり、そこまで虜になるのは「人生観が違うから」だ。さらに「日本のトロピカルな地方(沖縄)に行ってみたいんだ」と目を輝かせていた。「目を輝かせていた」のは、大袈裟に表現しているわけではない。
私はこのテーマに移る前に「家で料理はするのか」と質問して「料理人なら家で料理なんかするわけない」と一蹴され、テレビなどでは「自宅でも料理する」と話すシェフもいるが、「そんなのは嘘」と言い放ち、険悪なムードになっていた(ちなみに、彼の好きな食べ物は「贅沢なものすべて」だ)。
さらにそれを無視して、好きな映画は何かと聞いたところ(映画が好きだという記事を読んでいたのだ)、「そのときの気分次第だし、1作品に絞ることなんてできない。それに、そんなことで私を“定義”されたくない」と不機嫌になり、それでも「クエンティン・タランティーノ監督の『パルプ・フィクション』は本当に素晴らしい」という答えを引き出したところだった。
だから、「食シーンで、いま一番注目している国はどこか」とテーマを変えたところ、機嫌よく話してくれたというわけだ。
本当に残念なことに、当時すでにエル・ブジで食事をする機会は失われてしまったので、彼が日本での学びをどのように活用していたのかはわからない。けれど、たとえば弟のアルベルトが経営する「パクタ」はペルー料理と日本料理を融合した「ニッケイ」を提供しているし、2017年にオープンした「エニグマ」では、和牛にウニのペーストを塗り、味噌の粉末をふりかけたものなんかもあったりする(すごく斬新な組み合わせだけど)。
いくらエストレージャ・ダムのCMに影響されていたとはいえ、なぜ自分がフェラン・アドリアに執着していたのかよくわかっていなかった。けれどそれは、彼に一目惚れしたわけではもちろんなく(ごめんなさい)、シンプソンズの一員になったからでもなく(「フェラン・アドリア」としてシンプソンズに出演経験あり)、彼のようなシェフが日本にはいないから興味津々だったのだと思う。
彼は「世界で最も予約の取れないレストラン」と呼ばれていたエル・ブジを率いていただけではない。調理を科学的に分析して「分子ガストロノミー」という新たな道を切り開き、それによって「食」が既存の枠を超えて科学、テクノロジー、アートの分野と融合するようになった。
トップシェフにして、料理を作るだけでない幅広い視点と柔軟すぎる思考を持っている人は、(怒られそうだけれど)日本にはまずいないだろう。エル・ブジやNOMAで見習いをした日本人シェフが帰国して、「エル・ブジの元シェフ」と名乗り自身の店を出す人もいるけれど(そして、エル・ブジ並みの値段をとる)……。(つづく)
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