美容室あひるの扉を叩いたなら
思い返してみれば、美容室と縁の深い人生を送ってきました。とはいえ他人に髪を切ってもらうのではなく、町外れの美容室で働くおばあちゃんに私ことカノコのヘアスタイルは委ねられており、また、暇な時間を見つけてはお邪魔して、ふかふかのソファや難しい漢字がたくさん並んだ週刊誌で遊んでいたのです。
更に、ご来店されたお客様がさっぱりなさって帰られるのも、床に散らばった黒い塊も、お話しながらハサミの動きを止めないおばあちゃんの姿も、私にとってはエンターテインメントのようで、他の何よりも夢中になりました。

そのうちオーナー兼店長の、おばあちゃんよりお年を召された方、イオリさんが
「カノコちゃんも立派な店員さんね。ぜひ将来はここを継いでちょうだい」
なんて言うものだから、すっかり本気にして小学生時代の作文には『美容師になる』と書きました、が……。
主なお客様はマダム層、若くても30代半ばの母なので、そんなおばあちゃんに今流行りの髪型など分かる訳がありません。
それでも、どうにか雑誌の切り抜きを見せて、
「この子みたいにして欲しいのよ」
と頼み込んで任せれば試行錯誤の末、似たような新しいスタイルが出来上がります。
私はえらく気に入っていました。多少モデルと違えどもこれこそがオリジナルだと。
しかしながら。
卒業アルバムの最後、真っ白い見開きにクラスメイトがメッセージを残してくれた際に(要約すれば)『いつも変な髪型だった』といった内容を数名に送られるばかりか、中学校でできた友人が私の予定を尋ね、
「えっ。あの、ちょっと古臭い、ってかレトロな美容室に通ってるんだ?」
傷付けまいとする言い換えに、悪気はないと感じても、ぷつりと糸が切れた瞬間も相まって、以降は何かと理由をつけ、おばあちゃんの勤め先から距離を置きました。
こんな娘の変化を察して夫婦で話し合ったと見える両親は、お兄ちゃんまで巻き込んで駅前の美容院をさりげなく、すすめます。「カノコも中学生になったんだから」の一言が胸に引っ掛かるのは、どうしてでしょうね。
モヤモヤはともかく私は家族に従い、駅前の美容院で当時はまだアシスタントの、タマくんと出会います。
ある程度、年齢を重ねた美容師ならびに昔ながらの狭い場所しか知らなかったので、色々と衝撃を受けました(そうそう、タマくんはシャンプーを済ませるとすぐ綺麗なお姉さんにバトンタッチしてしまって、間抜けなことに私は口をあんぐりさせたまま、隣の席の人にくすくす笑われて随分と恥ずかしい思いをしたわ)。
こうしておばあちゃんの美容室は、心のクローゼットに仕舞われ、私の成長と共に埃を被っていき、引き換えに駅前の美容院を2・3ヶ月に一度、予約することが当たり前となります。
「カノコちゃん。いつもありがとう」
「何を言うの。私とタマくんの仲じゃない」
あれこれ喋りすぎず、正確に仕事を進めてくれて好感が持てるタマくんはいつしかアシスタントを卒業し、やがて勤務先が変わっても、私は追い掛けるように彼を指名し続けました。
右後ろにクセがあり、細い毛。完璧に理解され、初めてのヘアカラーさえタマくんにお任せ、美容院のSNSには大満足で喜色満面の私が載ります。
おまけに帰り道、電車を待っている時に見知らぬ若い女性から、どこで髪を染めたか聞かれる程の仕上がり、当然ですが益々、彼を頼るようになりました。
ともあれ、美容師と客の関係は何とも不思議ですよね。あんなに友人の如くペラペラ話しても、美容院を出れば忘れるような。
そしていずれ戻ってくる、繰り返しで。

ところで、
「大したもんだわ、そこそこ似合ってる。そういう奇抜な髪色は、私らみたいな年寄りにはやれないのよね」
上記の台詞、あなたはどう思いますか?
お盆やお正月におばあちゃんと会う度、反応に困る言葉をかけられて、私はもう親戚の軽い集まりには顔を出さないと決めました。
どうもあちらは孫が自分たちの美容室を離れたことを少しばかり根に持っていたらしく、こちらはおばあちゃんとだけはぶつかり合いたくなかったからです。
さておき、私が就職した頃でしょうか。イオリさんがそろそろ店を畳むとお母さんにメッセージアプリを通して教わり、到頭おばあちゃんは独立せずに閉店まで同じ美容室に勤めます(最後のお客様をどんな気持ちでお見送りしたのかしら)。一方のタマくんは地元で開業し、旅行がてら訪ねると大層喜んでくれました。
けれども、定期的に私の髪を切る人は?
インターネットで口コミを調べては迷子のように新しいサロンへ。疲れません?
数年、新規客向けのクーポンをあちこちで使い、余程タマくんのもとに引越そうかと思いました。
そうしたら、法事にておばあちゃんと久々に接する機会が巡ってきてーー
「伸ばしっ放しの髪の毛が可哀想よ。どれ、整えてあげようか」
「もし時代遅れの髪型にされたら会社で、」
「ああ、いちいちうるさいわね。束ねて誤魔化してるくらいなら、うちに来なさい」
相変わらずの物言いで何よりです。
「カノ、おばあちゃんも。ちょっと」
見兼ねたお兄ちゃんが私たちの小競り合いを止め、散髪できるよう、取り成してくれなければ、今はないでしょうね。
ええ。とどのつまり、美容師としての人生を終えたおばあちゃんに少々、髪を切ってもらう話がまとまって、本日はお母さんの送迎つきで実に10年ぶりに、おばあちゃんとおじいちゃんの家に訪れました。
「毛先を揃えたいのね」
洋室の片隅、幼い頃に憧れた三面鏡のドレッサーが、目の前に(以前は鏡に映る普段よりも可愛らしい自分にうっとり見惚れたのに、何故だか大人になれば直視したくなかったり、ね)。
「前髪はどうしようか」
硬い椅子に座り、奇妙な柄のカットクロスを着せられた私の、髪におばあちゃんが手櫛を通しつつ、カウンセリングしていきます。
「カノコはクセのとこ以外はストレート。艶々で毛量多くて、健康。イオリさんが羨ましがってたわ」
「おばあちゃん、話が長いよ。とにかく始めて」
「はいはい、すみません。今日のお客さんは圧が強いこと」
隣室でおじいちゃんとテレビを観ていたお母さんが知らぬ間に物陰からこちらを覗いていました。やけに幸せそうな表情を浮かべており、私は〈親孝行〉が脳裏を過ります。
おばあちゃんのイキイキとした姿に懐かしさも覚え、ついにお茶菓子は口にしませんでした。
「生まれてきて、おばあちゃんの孫で良かったな」
「なあに、小さな声じゃ私の耳には聞こえないからって、また憎まれ口?」
途中までは間違いなくプロのなせるわざにも拘らず、最終的にはおかっぱです。
おじいちゃんとお母さんに腹を抱えて笑われ、まったく仕方ありません。タマくんに相談して何とかしましょう。
でも過去を振り返って散髪の如くさっぱりしたので今回のところは良し、ですね。
