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幸せだと泣きそうになるのはどうして


 訳の分からない時間にスポーツジムの隣にある、コインランドリーに行くのが好きだ。あそこは勿論24時間営業で、新しくできたばかりだから清潔感が漂い、今のところ不審な客も見当たらなかった。


 退屈な日常を送るうち、そろりそろりとアパートの階段を下り、約1週間分の洗濯物を抱えて暗い中しばらく歩き、角を曲がるとそこは大抵、無人で、スマートフォンを操作しながら〈乾燥〉まで待つ、酔狂な遊びと言えよう。
 しかし、この世界にしか居ない気分になれる。何かとストレスが溜まる生活において、食事や睡眠の如く、少しずつ欠かせないことのひとつになった頃、あいつと出会った。


「!!」
 入り口及び前面がガラス張りで丸見えの店内、午前3時半に先客が居るとは思わず(決して都会ではないため)、その上、相手が長い髪を腰辺りまで垂らした女性だったので、付近で立ち止まる。


 彼女を無闇に怖がらせてはいけないだろう。
 どちらかと言えば治安のいい町だが、深夜に単独で外出するなんて、どれほどの勇気を振り絞ったのか(とにかく、何かしら普通でない事情がありそう)。
 俺は大人しく踵を返した。これが1回目。


 翌週の4時も彼女は店内の長椅子に座っており、ひと気を感じたらしく、こちらに目をやる。
 年齢を推測するのは難しいし失礼にあたる、が、各パーツの大きい顔、どことなく妖艶な雰囲気、はっきり見えるくらい主張が強い睫毛、紫のボーダー柄(しかもノースリーブ)ワンピースに銀光るサンダル、幽霊にしては派手であった。
 自分は相も変わらず重たい洗濯物を持ったままで後退り、首を横に振って、ぺこっと頭を下げる。2回目。


 そして翌々週の2時15分即ち3回目、ついに捕まえられた。
「お兄さんさ。大荷物で毎週、必ず深夜に来てるでしょ。お宅には洗濯機ないわけ? そういう私は、向かいのマンションに住んでてね。眠れない時にベランダで煙草吸いつつ、頑張ってんなーって、眺めてたんだ」
 文章ならば幾らかロマンチックかも知れないけれど、現在の俺は、自分より背と腰の位置が高い、なで肩で、耳に心地好いまろやかな声、喉仏ーー女装の男に詰め寄られている。


 〈彼女〉とばかり思っていた彼は「話してみたかった」「私にはこだわりがないから、あなたの考える性別で良い」などと言う。
 挙げ句ウィローと名乗った。
 無茶苦茶なのに、小心者の俺は迫力に負けてしまい、
「えーと。(ムツミ)です。うちの洗濯機は壊れてます。あの、そちらがお時間よろしければ、ちょっとゆっくりしませんか。近くの自販で飲み物でも買って。ね」
と真面目に答える。


 ウィローはくすりとして後半の社交辞令を受け取った。俺がサイダーで、あちらは意外にもいちご牛乳を選び、ぎこちなく長椅子の隣に腰掛けて、語り始める。
 結果、先に来たウィローの洗濯が終わっても、聞き上手な相手に乗せられた俺は酒に酔ったようにべらべら喋っていた。



「長く付き合ってた子と別れてから、全く新しい恋ができないんです。俺が好きなアーティストのとある曲は明るくて、歌詞も惹かれ合ったふたりが結ばれるもので、ミュージック・ビデオでは当たり前みたいに寄り添うカップルが何組も出てくる。所謂ハッピーエンドですよね。でも、未来の自分はこうなれないんじゃ……寂しさに気付いて以来、幸せな筈が、聴くと泣きたくなって。なんか弱っちいな、ごめんなさい。夜はセンチメンタルを呼びますね」


 早口で話をまとめると、ウィローはじーっと視線を逸らさずにこちらを見つめる。青みがかった白目の人とは初めて会った。中央の黒とのコントラストが美しく、うっかりドキマギしてしまう。タイトなライトグレーの半袖パーカーと際どいショートパンツを着こなした変人にも拘らず。


 暫しの沈黙を経て、ウィローは「別に弱くないよ」と呟き、ゆったり言葉を紡ぐ。
「ハッピーエンドも何も、現実は産まれたらいつか死ぬからみんな、同じ結末じゃん。まあね、私の場合は恋愛に興味ないんだけど。時代や世の中は変わったとしても理解得るのは困難で、周りはああだこうだ言うし、漠然とした幸せの形とか、ルートが決まっててうんざりだよ」


「そう、まさに。ウィローさんの言う通りです」
 興奮して組んだ腕を外し、うんうん頷くと今度は俺の洗濯物の乾燥が済む。
 ふたりして、もうこんな時間かと壁時計に尋ね、気が付けばサイダーは空っぽで、1台も車の通らない道路が俺たちを暇人だと皮肉った。


 居心地が良く、時間という概念を忘れる。ウィローとも昔からの友のように錯覚させられた。
 ここは不思議な場所で、別れ際に言われた、
「睦くんは本気で向き合ってたんだね。寧ろ、そんぐらい傷付かなくちゃ恋じゃないと思う。あくまでも私は」
が効いて帰宅中、視界に雨が降る。


 「早く彼女を作れ」「男らしくしろ」「仕方ないから誰か紹介してやるよ」
 今まで自分を苦しめた台詞が瞬く間に流され、大きな優しさで包まれた。俺が長い間欲しかったものを、初対面に近いウィローはいとも容易く差し出して、心が満たされる。
 幸せだった。



 だがしかし、ウィローとはそれきり一度も会えず、コインランドリーに通い詰め、向かいのマンションで蛍を探しては、ベランダに人影がないと肩を落とした。
 もしかしたらあれは自分に都合のいい夢で、ウィローは実在しない人間では?
 と、休日にジムで鍛えている最中に考え事をしたところ、唐突にいちご牛乳の香りがふわりと鼻に届き、辺りを見回して姿はなくとも、笑みが溢れる。