ベッドサイド水族館へようこそ
「そよちゃん、ホントにここで良かったの?」
水族館の土産物屋にて、40代くらいの男性が中高生と思しき少女に問い掛ける。
ふたりの間には妙な距離感があり、少女はぎこちなく首を縦に振った。
「いつもみたいにお買い物とか、ご飯でもいいんだよ」
男性の心配そうな表情と声に対して、
「小さい頃に家族で来たとこだから。また、ぬいぐるみが欲しい」
少女は真顔でさらっと答える。
〈パパ〉と呼ぶや否や、男性の顔つきが穏やかに明るくなった。
果たして親子だろうか、という疑問はあっさり解決される。眉毛と鼻の形があまりにも似ており、話が進むと、どうやら離婚を境に月一度会う関係のようだと知った。
「じゃあ、これはどう?」
やがて父親の手がこちらまで伸びてきて、優しく抱えられる。娘が大きく目を見開き、
「もふもふでかわいい。この子、買って」
と顔を綻ばせた。
こうして出会った新しい持ち主の正体は何とも愛らしく、帰宅後、丁寧に手入れされた亀とペンギンのぬいぐるみに迎えられる。
僕はしろくまで、そよはベッドサイドに世界一小さな水族館を作っていた。
しかし1日のうち、彼女が起きている時間は僅か。大抵の場合、深く眠ったまま夜が来る。
「そのぅ、学校には行かないの?」
寝息を立てる横で、僕は声を潜めて「付き合いが最も長い」と自己紹介をした亀に尋ねた。
が、何かおかしなことでも聞いたのか、会話が途切れ、ペンギンと顔を見合わせ、やや改まった雰囲気で咳払いをする。
「ごめん。自分たちにとっちゃ、当たり前すぎて説明を忘れてた。ずーーっと不登校でね、通信制高校なんだ」
スクーリングがあれば嫌々ながら出掛ける、あと友人はいないそうだ。
美容室で働く〈ママ〉の代わりに夕飯を作り、後片付けも行う程度で、そよの生活リズムは狂っていた。
それに、人知れず濃い化粧をして風呂に入ったきり、深夜まで戻らなかったり、スマートフォンで音楽を流したと思えば、急に歌って踊り出したりと個性的で、ぬいぐるみには予測不可能だった。
寂しさを埋める方法が睡眠なら、僕は少しでも幸せな夢を見せたいと思う。
実はあの土産物屋にあざらしのパートナーがいて、購入により最愛とは離れ離れになるも、わがままな彼女とて恐らく
「そよちゃんのそばにいてあげて」
と気遣うであろう、余程ぬいぐるみ売り場の方が賑やかなのだから。

ところで、そよはぬいぐるみを大事に扱い、中でもペンギンがお気に入りの様子で、自分の隣に置き、しっかり布団を被せる。
「雪が降るんだって。寒くないようにしなきゃ」
言うまでもなく人間と異なり、我々は冷えを感じない。今夜の彼女は何やらうなされて、寝相も悪く、ペンギンがベッドからカーペットに転がり落ちた。
「やーい」
亀が囃し立て、ペンギンは丸い腹を揺すりつつベッドの脚に掴まり、上を目指す。
朝には何事もなかったかの如く、そよの隣にいなければならない、暗黙の了解で。
「あ、届かな……」
ペンギンがフリッパー(翼)をもぞもぞさせてもシーツの縁が捲れるだけなので、ベッドサイドのチェストから僕が手を貸した。
「よっ、と。助けてくれてありがとう、しろくまくん」
「別に」
嬉しさのあまり、ぴょこんと飛び跳ねるペンギンにはらはらして、短く返事をする。
全身で感情を表現できて何よりだが、数時間後に起きた、そよが
「みんなで冒険の旅に出たんだ。新入りのしろくまがペンギンのピンチを救った。偉ーい!」
などと語って、ひやりとした。
そうやって時を重ね、スクーリングの機会が訪れる。通学せずとも卒業可能な高校があるのに、およそ6年間、不登校を続けた彼女が選ばなかったのは意外というか、心の片隅で誰か、友人を求めている証では?
親が認めるくらいだ、間違いない。
されど、クローゼットを開けてボタン部分がリボンでビジューが散りばめられた白いもこもこのニットカーディガンとタータンチェックの台形ミニスカートを体に合わせ、はあっと大きな溜め息を漏らした。
「パパに買って貰った服着るじゃん、ママの機嫌が悪くなんだよね。めんどくさ」
徐に亀を抱き上げ、よれた甲羅を整える。
離婚の背景には娘を無理やり学校に通わせてしまった父と意思を尊重し、5畳半の城を守りたがった母の深い溝があった。
板挟みのそよは不眠症に陥り、現在は過眠に傾く。メッセージアプリで定期的にパパとやり取りしているらしいが、高校生にしては幼い。
「そよちゃんにお友達を?」
僕の提案を耳にした亀が布地に皺を寄せる。
「うん。彼氏はまだちょっと、恋愛って感じじゃないし」
「いい考え! 私は賛成だな。一緒に寝てても、満面の笑みなんか随分長いこと見てないや」
ペンギンは楽しげに「作戦を練ってみよう」と話を広げ、一方の亀は渋々、僕らに付き合った。
結果、
「とにかく会話のきっかけを作ろう」
にまとまり、3匹のうち一番新しく、綺麗な僕が、そよの鞄に忍び込む。
「ママ、行ってきます」
彼女は玄関で厚底のブーツを履き、誰もいないリビングに向かって伝える。
「行ってらっしゃい」「しろくまくん頑張って」
亀とペンギンの声が聞こえた(気がした)。
バスと電車に乗ると30分で高校に着く。
とは言ってもコンビニエンスストアが1階に入っている、ごく普通のビルで、そよは買ったばかりのエナジードリンクをぐいっと飲み干し、授業に向かう。
鞄の中がぐちゃぐちゃで居心地悪くとも、却って外を覗き見るには都合が良かった。
「おはようございます」
まず職員室のような空間で先生方に挨拶、そこの横を通り、次にまるで学園ドラマのセットみたいな、つまりは簡素な教室のーー前の席に荷物を置く。
既に生徒が数名おり、後ろの席では派手な髪色や服装の集団が机上に菓子をずらりと並べる(パーティか)。
そよはコートすら脱がずに俯いたまま。
確かにあそこへ混ざる勇気は僕にもなく、しかも、間が持たないのか、不安そうにごそごそと鞄の中身を漁る彼女に見つかった。
「!!」
なんで、と唇が動く。もはや英語の勉強どころではない、僕を鞄の奥底に押し込もうとし、そして突然、
「わぁっ、ぬいぐるみ?」
近くから話し掛けられる。
僕は逆さになり、相手の顔は分からなかったけれども、確実に好意的な響きを含み、
「まちこも、イルカのやつ持ってるよ。今日はお留守番してる」
と続けた。

フレンドリーな性格のまちこがぺらぺら喋り、そよは控えめに相槌を打つのみでなかなか入っていけない。でも、
「数学同じだー、隣座ってもいい?」
「いや、今こっちおいでよ」
「だよね、モフりに行くわ。そよちゃんよろしく」
友人ができる。
目標達成、亀とペンギンの喜ぶ顔が目に浮かんだ。
「やったね!」
スクーリングから帰る途中にママと合流して外食を楽しんだそよは、にこやかにまちことの出会いを知らせた。最近、転入してきた、話していて楽しい、さらさらなラベンダー色の髪が好き。
涙ながらにママが「良かった」と繰り返せば、釣られたそよが泣き出し、僕は頬擦りされる。
帰宅、鼻歌、入浴、ドライヤーの音、冗談と笑い声、それぞれの部屋に分かれて「おやすみ」、本日の荷物を片付け、ふたりが寝た頃。
ベッドサイドに集まり、報告会議が開かれた。
「お泊まりでイルカさんに会えるかも」
相変わらずペンギンは危機感がなく、頻りに跳ねる。亀は首をピーンと伸ばし
「まさか、こんなにうまくいくとは。まちこちゃんも新しい友達が欲しかったのかな」
考えに耽った。
ともかく、今夜のそよは笑顔でむにゃむにゃと呟き、ぐっすり眠っている。
彼女の幸せは、僕らの幸せに繋がった。
