見出し画像

75%のC模様


 あ、1%減った。毎回ここに差し掛かると急激に消耗する。分刻みで充電の残量が落ちていくため、そろそろ新たな相棒に替えるか否か、求職中の身には厳しい悩みを抱えた今日この頃。


 雪が降るなか、わざわざ駅ビルにコンタクトレンズを買いに行ったところ、店員に「処方箋が切れていますね」と言われ、たった1枚の紙切れを手に入れるべく、評判が悪い眼科に来た。隣接されているから良いものの、面倒な話だ。


 あの〈シュボっとしたやつ〉も行うのだろうか。眼球をスナイパーの如く狙ってくる、が注射の次に苦手な、風が当たって、とても目を開けていられない、あれ。
 手元の端末で調べ、眼圧検査という名称を初めて知った。説明もなしに流れ作業のように受けていた数々が、それなりの暇潰しになる。


 平日夕方の待合室には片手で数えられる程の人がおり、摩訶不思議なことに向かい合わせでソファが置かれていた。
 これでは否でもあちら側に座った若い女性を見なければならないし、寧ろどのような意図でこういった配置にしたのか質問したい。


 彼女(一先ず名をとする)は診察が終わったようで、ブランドロゴが輝くコンパクトミラーを持ち、こちらにはお構い無しで前髪を整えている。
 大胆に巻き、毛先まで潤いに満ちた暗髪のロングヘア、滑らかなニットのミニワンピースにグレージュのチェスターコートを羽織り、昨今インターネットで話題の〈素足に見えるタイツ〉とロングブーツの組み合わせ、膝に必要最小限の物も入らない刺繍のポシェットを乗せ、リボンモチーフのマグネットネイルを施す、つまりは私と対極的な人間だった。


 その上、コンパクトミラーをぱたんと閉じ、信じ難いくらい小さな化粧ポーチに仕舞うと次はスマートフォンをアウターのポケットから取り出した。アイドルと思わしき美少女のサイン入り写真が透明ケースとの間に挟まる。
 Aと私はきっと同じ20代、前後でこうも違う。チークの青みが若々しく、伏せた睫毛はわざと幾つか束ねてカールさせてあった。


 今となっては遅いが、出来るなら時間を操って〈あんな女の子〉になりたく、夢中でAを眺めると案の定、目が合い、感情を思い切り表情に出される。
 瞬間、申し訳なさが眼圧検査の風みたいに押し寄せ、何とも言えず気まずかった。
 

 このまま永遠に名を呼ばれないのでは?
 ーーなどと、恐ろしい話を考えてしまう程度には。


◆ ◆

 あ、1%減った。いつからか老若男女問わず視線を感じる度に、わたし自身が消費された気持ちになり、滅入る。
 大学の春休み真っ只中、花粉症で目が痒くなる予感がして、眼科に来た。


 雪の影響か、幸運にも空いていたので診察がスムーズに終わり、後は会計時に目薬を貰って帰るだけ、なのだが。
 幾ら待てども一向に呼ばれなかった(席の配置が気持ち悪くて早く立ち去りたいのに)。挙句、少し年上の女性にじろじろ見られる。


 たかが病院だろうと、自由にお洒落して何が悪い?
 あちらは隣のコンタクトレンズ販売店から送られてきた様子で、ストレートのショートヘア、ダッフルコートを脱いだらネイビーのパーカーが仕込まれており、カーキのワイドパンツとレインローファーを履きこなす。
 ラフなスタイルは一歩間違えればルームウェアに見えがちだ。
 しかし、どこぞのさん(仮)はよく似合っていた。


 更に、仕事関係の書類が入っていそうな大きめのトートバッグ、片手に剥き出しのスマートフォンで、駅前のコーヒーチェーン店に居ても遜色ない。
 マットな質感の目元に艶のある唇と、今時の印象にまとめていながらも、落ち着いた色味のメイクは、わたしには出せない絶妙なアンニュイさを帯びる。

 先程は咄嗟に睨んでしまったけれども理想の大人像として、純粋に羨ましかった。


 暖冬の3月に裏切られて再び冷え込み、人々の服装は変わらず。閉め切った空間に籠もる空気が何となく淀む。
 そんな時に入り口の扉がパッと開けば、
「こんにちは」
 次は受付の人と同時に挨拶をした、お兄さんに心が奪われる。


「ええっと、左下が。ものもらいっぽいんです。はい」
 そうして他の席が空いているにも拘らず、わたしの真隣に腰掛けた彼を(せっかくだから)、Cくんとでも名付けようか。


 推定年齢25歳、ヘアケアを怠ったらしい銀髪のロングウルフカット、前髪で片目が隠れ、しっかりと太く高い鼻に厚い唇で、何故か上着を着ても持ってもいない。
 首回り、袖、裾が切りっ放しのトップスと、こちらがハラハラしてしまいそうなスリット入りのボトムスにボリュームソールのスニーカー、総じて黒かった。ホスト並みの容姿で参る。


 ここは快速列車が止まらない駅だが、繁華街に迷い込んだと錯覚を起こしかけた。
 〈顔がいい〉という表現はあまり好まない、とはいえ、Cくんにぴったりな褒め言葉では?


 近くに座られたことにより仄かな恋の始まりを胸に抱いて〈彼はスマートフォンのゲームアプリに熱中している、従って周りの景色が殆ど見えていない〉とは気付かぬまま。


◆ ◆
 
「よっ、す」
 Aと入れ違いにやってきたのは若い男の連れで、ひどく痩せ細り、アンブレラカラーのウェービーなボブ、狐目、まるで化粧っけがなく、メンズ物のロングコートのボタンをきっちり閉め、透ける黒タイツに上履きを合わせ、パッチワークのような極彩色のリュックサックを背負う、いかにも奇抜な学生風の、率直に述べると想像の斜め上をいく人物である。


 Aもギョッとした顔で彼女を目で追って、危うく出口の扉に挟まれるところだった。
「ああ、病院までついて来なくていいよ。どっか服屋でも」
「だって上着借りてるし。興味ないもん」
 私を含めた人々に普通でない関係と即座に思われるばかりか言葉を途中で遮られて、彼は唇を噛む。


 訳ありでなくとも、明らかに年下だと恋愛の対象にはならず、数歳の差で、ただただ若いと感じる(肌の白いことといったら、不健康なまでに)。
 それなのに、昨年別れた恋人は私ではなく、よりにもよってインターンで勤め先に来た女の子に手を出した。


 愛のバッテリー切れ。ふざけた浮気男はともかく、あの美男はAとならさぞかしお似合いだろう。
 余計なお世話のありふれたラブストーリーを粗方、頭の中でなぞって、
「ーーさん。楡金(ニレガネ)さん、どうぞ」
と声を掛けられ、妄想にストップをかける。


 やっと検査が始まった。
 待合室のふたりは兄妹かも知れないとか、至極どうでも良いことを気にしながら。