秋の悲、《 》を仄めかす
あの商店街通りにあった昔ながらの喫茶店を私はまだ忘れていない。1年ほど前に別れた恋人がよく、待ち合わせの目印として入り口の錆びたガーデンチェアに座っていたところだ。
元彼を思うと胸の辺りがチリッと痛む。
私はもうあんな風に他人のことを好きになれないような気がしている。
人生をかけた大恋愛は結局、すれ違いの連続で終わってしまった。
近頃『誰かに愛されたいなら自分自分ではなく、まず誰かを愛しなさい』といった教えをネット上のどこかで見かけて、すぐさまスマートフォンの画面を閉じた。
つまり私がそういった女であり、当時は愛と信じたが、単なる押し付けに過ぎなかったと今更知る。
「遅いよ、何もかも」
元彼が吸っていた煙草のにおいが鼻に纏わり付いて、気を抜くと過去が襲い掛かってくる、こともせっかく少なくなった、のに。
何故、よりによってピンポイントで私の傷を抉る、恐ろしい投稿をおすすめされるのか。
それに加えて昨夜、夕飯時に動画を観ていると『【ほっこり】おばあちゃんの喫茶店で昭和にタイムスリップ!』といった、タイトルと懐かしい風景のサムネイルが目に飛び込んできた。
またも私を追い詰める魂胆である。
しかし、久しぶりに店主の老婦人に画面越しでも会いたく、再生ボタンを押したのだった。
ちょうど商店街の裏に元彼が住んでおり、些細なことでぶつかって、向こうから別れを告げられた日に、泣きながら駆け込んだ喫茶店で、老婦人はシワひとつないハンカチを取り出して、視界が滲む私を慰め、店の奥に案内し、プリンアラモードのサービスをしてくれた。
「お代は結構です。お嬢さんはいつもお越しくださるでしょう。内緒よ」

そんな心優しい彼女が画面の向こうではにかんでいる。
さして有名ではないローカルな投稿者の、再生回数が2000回くらいの動画で、取り上げられて嬉しそうに。
ドリンクとスープがセットで880円(税込)のナポリタンに「うまい!」とテロップがつき、私は静かに「そうでしょうね」と呟いた。

今時こんな値段は珍しい。ゆえに、繁盛したまま、現在もひとりきりでせっせと店を続け、緊張しつつ投稿者のインタビューもどきに答える。あちらが頑なに顔を出さないのに、彼女は晒されている無配慮な点が微妙に気になった。
だが、最後の最後で「何か視聴者の方にメッセージはありませんか?」などと尋ねられた老婦人はしばらく考えた後(編集によってカットされず)、
「皆様をいつでもお待ちしています。あっ。去年に大雨降らせて、プリンアラモードを召し上がって行かれたお嬢さんが、もしも、ご覧になっていましたら。今はお元気かしら? コメントよろしくお願いします」
曇りなき瞳でこう言い、私及び視聴者に向かって手を振る。
敢えて変えられた〈涙の表現〉が琴線に触れ、私の心は土砂降り、以前とは色が違った。
足をふらつかせてリビングを歩き、彼女に借りたはいいものの、近隣の元彼と会いたくないがために返せなかったハンカチをチェストから探し出す。
そして、雨はいずれ止み、虹が出る。『その節はありがとうございました。おかげさまで元気です。明日そちらに伺います』
喜びのあまり高速で打ち込んだコメントを彼女が実際に見たかは不明だけれど、プリンアラモードをきちんと注文して、ついでにメロンクリームソーダもつけよう。
──明日の天気は晴れ。

