50代、察しすぎる私と、通知オフな夫。わたしの自由の作り方
私はたぶん、人より空気に敏感です。
気づいたのは、50代になってから。遅い。遅すぎる。
夫が「そろそろコーヒー飲みたいな」と思うタイミングが、なぜか分かります。
実家の母の背中を見ただけで「あ、今日は何か言いたげ(よし、早めに帰ろ)」が分かるんです。
私にとっては“空気を吸う”くらい自然なことでした。
でも、ふと気づいてしまったんです。
「え、それが見えてるのは私だけ……?」
調べると、私はどうやらHSP気質っぽい。
(診断とかじゃなくて、あくまで傾向の話です)
自分の世界がフルカラー4Kなら、他の人は白黒の標準画質なのかもしれない。
そして夫は、たぶん“音声だけ”で生きています。
いや、もはや「通知オフ」。
そうわかったら、長年のモヤモヤが少しだけ言葉になりました。
“分かり合えない”のは、相性の悪さだけじゃなくて、受信機の種類が違うだけだったのかもしれないって。
「ゴミ袋スルー事件」で分かったこと
うちの夫は、いわゆる共感性が高いタイプではありません。
たとえば、玄関にゴミ袋を置いておきます。
普通なら「お、捨てとこか」って思うじゃないですか。
でも夫は違うんです。
ゴミ袋を障害物みたいにスッ…と避けて、そのまま出勤します。
私が両手に荷物を抱えてヒーヒー言っていても、彼は手ぶらで前を歩くんです。悠々と。
以前の私は、本気で腹が立っていました。
私の目には「妻が大変そう」という情報が赤色で点滅してるのに、なんで気づかんの?って。
そして私は、すぐ結論を急ぎます。
「この人、わざとそうしてるんだ」
「気持ちが通じ合ってないに違いない」
そんなとき、胸にぽっかり穴が空きます。
でもその穴を直視したら、底なし沼に落ちそうで怖くて、私はずっと取り繕ってきた気がします。
義母の介護でも、私は勝手に疲れていた
義母の介護でも似たことが起きます。
私は、義母の寂しさとか、スタッフさんへの遠慮とか、空気の微妙な揺れまで勝手に受信して、勝手に疲弊します。
たとえば、義母が明るく話していても、目が少し泳いだだけで思うんです。
「あ、我慢してる」
「本当は不安なんだ」
「私が何とかしなきゃ」
でも夫は、「入所手続き」「家具搬入」みたいな“タスク”が発生しない限り、動きません。
ここで私はまた、勝手に翻訳を始めます。
「私が思う“当たり前中の当たり前”をしない人」
「この人は薄情なんだ」
でも……違う。
たぶん違う。
夫は薄情なんじゃなくて、そもそも受信してない。
電波すら感じていないんです。
そして私は受信しすぎてピリピリ。
この差が、いちいち私を消耗させていました。
絶望して30分、私は「自由」を拾った
ある日、私は気づいてしまいました。
どうしても分かり合えない遺伝子レベルの資質の違い。
努力レベルでは分かり合えない周波数の違いに。
一回ちゃんと落ちました。
「ああ、私たちは死ぬまで“分かり合える夫婦”にはなれないんだな」
……って、絶望。
でも、30分後。脳内に別の言葉が浮かんだんです。
「待って。これ、めちゃくちゃ楽になれるやつじゃない?」
私はこれまで、夫に勝手に罪悪感を抱えてました。
「忙しいのにごめんね」
「私だけ遊んでて申し訳ない」
でもこれ、私の“高感度アンテナ”が作り出した妄想だったのかも?
夫は本気で、そんなこと1ミリも考えてない。
(良くも悪くも、ほんとに)
私が飛ばしてた「配慮という名の電波」は、そもそも夫の受信機には届いてなかったんです。
圏外。通信障害じゃない、周波数の違いでした。
そう気づいた瞬間、鎖が外れました。
「な〜んだ、もっと自由に生きていいんだ」
サッカーは、ディフェンスだけじゃ勝てない
「共感し合いたい」をいったん卒業したら、不思議なことが起きました。
夫の強みが、やっと見えたんです。
彼は、私が感情で波にのまれそうなときも驚くほど冷静。
数字と理屈で状況を見て、家計を守って、トラブルは淡々と処理してくれます。
私にはない、鉄壁のディフェンス力。
一方で私は、人間関係の空気を整えたり、場のバランスを取ったりするのが得意。
家庭の中の“見えない摩擦”を早めに察知して、転ばぬ先の杖を出すタイプです。
もし共感の塊みたいな選手(私)が11人いたら、お互い察し合って気を遣い合って、たぶん試合開始前に疲れて寝ます。
逆に、夫みたいなディフェンダーが11人でも、点は入らない。
つまり。
私たちは「分かり合うため」に結婚したんじゃなくて、違う資質を持ち寄って、この“家庭”というチームを回すためのペアだったのかもしれない。
そう思えたとき、怖かった絶望は薄くなっていました。
これからの戦略:私は“念じる”のをやめる
これからの私は、夫に「察して」と念じません。
なんせ、念じても届かない。圏外なので。
ゴミを捨ててほしいなら、玄関に無言で置くんじゃなくて、淡々と言う。
「これ、捨ててきて」
重い荷物なら、パスを出す。
「持っていってほしいな」
そこに、罪悪感も、過度な期待もいらない。
“分かり合えない”を爽やかに諦める。
それが、50代の私が手に入れた、軽やかな自由へのパスポートでした。
さて、今日の夕食は何にしよう。
もちろん夫が何を食べたいかは察しません。
私が今いちばん食べたいものを、私のために作ることにします。
〈こちらもあわせて〉
「察して」を念じ続けた20年の話も書いています。
夫婦のこと、もう少し力を抜いて話しています。
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