転職、退職、社会不適合、鬱からの無職の爆誕⑧はじめての閉鎖病棟
前々回⑥、前回⑦とやべぇ内容の記事が続きますがスキをたくさんもらえてありがてぇです。
しばらくちょっとこんな感じですが、お付き合いくださるとうれしい!
この連載は過去の未熟でやべぇ私の珍道中を、やっと
冷静に俯瞰して振り返れるようになって、言語化したいなっていう試みなので、今は元気だし、当時はしんどかったけど楽しく?
気楽に読んでくれることを願ってます!
精神科閉鎖病棟と診断
そのころ誰にも私の気持ちなんて理解してもらえない、
こんなに言葉を尽くして訴えても、ちょっとメンタルがアレな人が話してる内容やしって目で見られるから、
まともに、正論を言っても聞いてもらえない。マジで。
病んでいても口が回る私は論理だてて、自分が苦しくなってしまった原因と現状を説明したんだけど、びっくりするぐらい相手にされなかった。
ああ、精神病患者って一度思われたら最後、まともな話として、ちゃんと聞いてもらえないんだな
って残念な気持ちとあきらめな気持ち。(わたしはこうはならないようにしよう)
話せば話すほど、自分の苦しみを訴えるほど、精神科の医者からは診断名が増えていった。
当時私が聞かされていたのは適応障害で抑うつ状態、ということだったが、担当医が父に伝えていたのは、鬱と●●人格障害という診断名だった。
人格障害??????は?ショックすぎる・・
当時の私がそんな診断名を付けられたら、
おまえわたしの何がわかんねん!!と切れ散らかして、さらにその診断名にエビデンスを与えてしまっていたと思うからそれでよかったのかもだけど、家族だけに話したのは精神科特有のなんかあるあるな患者のさばき方なんだろうね。
今考えても、あのおじいちゃん先生の診断、間違ってると思う・・だって全然話きいてくれなかったもんな。
急性期的なストレスがかかってしまっただけで、生まれ持ったそういう人格障害とかじゃない。。冷静に考えて・・37歳になった今でもそう感じる。
それよりなにより眠れないことと希死念慮と可食嘔吐をどうにかしてほしかったし、適切な治療をしてほしかった。
閉鎖病棟に持ち込めないもの
スマホは預かられたかな?
とにかく紐類とか先のとがったものは軒並み没収された。
ドライヤーとか、充電器とか、首に絡まりそうなものはステーションに預けなきゃだし、
ボールペンとか剃刀もだめだった。まぁ刃物はあかんのわかるけども。
幸い読書が趣味だったのでずっと寝るか読書してた。
大部屋の4人部屋にはいろんな人がいた。
その部屋で一番若かったのはわたしだったけど、ずっと独り言をつぶやいているお姉さんとか、歩き回っているおばちゃんとかいた。もう一人はずっとカーテンが閉まっていてう~~~~~って唸り声がしてた。
お風呂は3日に一回。シャワーは毎日可だったかな。
お薬はステーションに取りに行くシステムで、ODの防止だったんだろうな。
一週間入院してみて
まって、わたし入院するほどじゃなくない?
なんかどこで過ごそうがしんどさは変わらないし、大部屋だったので夜うるさくて眠れなかったり、カーテンを勝手に開けられたりして
余計にストレスがたまった。不眠も治らん!
お風呂の湯船にはいるのがすきなのに、シャワーがほとんどだし、いまその抗不安薬がほしい!ってときに、先生に聞いてからねっていわれてタイムリーに薬が飲めず余計にしんどくなった。
まわりからしたら、とりあえず入院していれば死ぬことはないだろうみたいな感じだったんだろうな。
そこだけは、私でもあの環境では簡単に死ねないなって思った。
そうして私の閉鎖病棟入院体験が終わった。
無料記事で公開してるのであんまりディープなこと書けんくてすまんやで。。
ほかにもいろいろあったんや。。
続きます!
いいなと思ったら応援しよう!
わたしのnoteをお読みいただきありがとうございます!♡を押していただけると大変喜び、踊り狂います!引き続き張り切って書いていきたいと思います。