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本当の習近平の実力を考えてみる。

最近、中国について考えることが多くなった。実際に中国に行くことも多くなった。逆にアメリカには行かなくなった。

正確に言えば、中国そのものというより、「習近平という人物はいったい何者なのか」ということを、改めて考えている。

日本では、習近平というと、どうしても「独裁者」「強権政治家」「怖い人」というイメージが先に立つ。

もちろん、それを否定するつもりはない。

むしろ、政治的な自由や言論統制、人権問題などを考えれば、僕自身も現在の中国共産党による統治には、かなり強い警戒感を持っている。

ただ、ここで僕が最近強く感じているのは、

「嫌いだから、能力も低い」

という話にしてしまった瞬間に、相手を見誤るのではないか、ということだ。

これは経営でも同じだ。

自分が好きではない経営者だからといって、その人の会社が必ずしも弱いとは限らない。

むしろ、自分が嫌いな相手ほど、冷静に相手の能力を分析しなければならない。

僕は習近平についても、まったく同じだと思っている。

彼の思想や政治手法を支持するかどうかと、彼に国家経営者としての能力があるかどうかは、別問題なのである。

そして、ここを混同してはいけない。

資料の中でも非常に印象的だったのが、

「習近平は非常に悪い人間かもしれない。しかし、日本にとって都合の悪いことに、彼は有能である」

という趣旨の指摘だった。

僕は、この見方はかなり重要だと思っている。

なぜなら、習近平が中国を弱体化させたのであれば、日本にとってこれほど楽な話はないからだ。

ところが、現実を見ると、中国は経済、技術、軍事、外交、そして国家としての総合力を、長い時間をかけて積み上げてきた。

つまり、

「習近平は独裁者だから、そのうち中国は自滅するだろう」

という願望だけでは、中国という国を理解することはできない。

むしろ僕は、そこから一歩踏み込んで考える必要があると思う。

習近平個人の能力を見る前に、まず中国という国の「時間軸」を見なければならない。

ここが、日本人には非常に理解しにくいところなのだと思う。

資料では、中国の戦略思想の背景として、春秋戦国時代が取り上げられている。

紀元前770年から紀元前221年まで。

実に550年にも及ぶ。

この時代に、孔子、孟子、老子、荀子、そして孫子など、後世にまで影響を与える思想家たちが登場した。

そして、戦争、外交、国家統治、人間心理について、非常に高度な議論が行われた。

僕が面白いと思うのは、中国にとって「国家間の競争」というものが、歴史の非常に早い段階から日常だったということだ。

日本とは、この点でかなり違う。

日本は島国だった。

もちろん戦争もあったし、外国からの脅威もあった。

しかし、中国大陸のように、何百年もの間、巨大な国家同士が生き残りをかけて競争し、同盟を組み、裏切り、騙し、統合し、また分裂するという世界とは、経験そのものが違う。

中国では国家戦略そのものが、生き残るための知恵だった。

だから孫子の兵法のような思想が生まれ、それが何千年も読み継がれている。

そして、ここから僕は習近平を見る。

習近平という人物を、単なる「現在の中国共産党のトップ」として見ると、見誤る可能性がある。

彼は、巨大な歴史の流れの中に自分を置いている。

少なくとも資料が描いている中国の国家戦略は、そういう時間軸を持っている。

50年先。

100年先。

そして2049年。

日本人からすると、

「そんな先の話を本気で考えるのか?」

と思ってしまう。

僕も最初はそう思う。

しかし、中国の歴史を振り返ってみると、巨大な帝国を一気に作ったわけではない。

数十年、あるいは100年以上の時間をかけて、徐々に勢力圏を拡大してきた歴史がある。

だから中国人にとって、

「数十年かけて国力を高める」

という発想は、それほど突拍子もないものではない。

ここが非常に重要だと思う。

日本人はどうしても、今年どうする、来年どうする、次の選挙でどうする、今期の売上をどうする、という短期的な時間軸で物事を考えがちだ。

もちろん、それは経営にも政治にも必要だ。

しかし、国家戦略までそれだけで考えてしまうと、長期戦を仕掛けている相手には勝てない。

資料では、中国が過去50~60年間に、国家のグランドストラテジーを何度も変更してきたことが指摘されている。

1969年。

1979年。

1991年。

2008年。

そして2016年。

ここで僕が注目するのは、

「一度決めたことを絶対に変えない」

ということではない。

むしろ逆だ。

中国は国際環境が変わるたびに、国家戦略そのものを修正している。

これって、経営で言えばものすごく重要な能力だと思う。

会社を経営していると、最初に作った事業計画に執着してしまうことがある。

「俺たちはこれで行くんだ」

と。

でも、市場が変わったら、変えなければならない。

競争相手が変わったら、変えなければならない。

顧客が変わったら、変えなければならない。

そして技術そのものが変わったら、会社の仕組みまで変えなければならない。

国家も同じだと思う。

資料の論旨では、中国は1969年のソ連との緊張を契機として、アメリカとの関係を利用する方向へ動いた。

そして1979年、鄧小平の時代には、アメリカから軍事だけではなく、経済、技術、資本を取り込む方向へ進んだ。

さらに1991年、ソ連が崩壊すると、中国にとって最大の脅威をアメリカと認識しながらも、経済面ではアメリカとの関係を利用し続ける。

つまり、

「敵だから全部切る」

ではない。

むしろ、

「敵になる可能性があるからこそ、その国の力を自国の成長に利用する」

という考え方だ。

僕は、ここに中国のしたたかさを見る。

そして、その延長線上に習近平がいる。

習近平が突然、中国を強くしたわけではない。

中国は何十年もかけて、国家としての能力を積み上げてきた。

ただし、習近平はその流れを受け継いだだけの人物でもない。

彼は、その方向性をさらに明確にした人物だと僕は考えている。

特に2016年以降の中国を見ると、アメリカに対する対抗意識が明確になっていく。

そして中国は、単純に「アメリカに勝つ」と叫ぶだけではなく、軍事、技術、産業、経済、外交、サプライチェーンなど、国家のあらゆる部分を総合的に強化していく。

ここが僕は怖いと思う。

怖いというのは、感情的な意味ではない。

「一つの能力だけで勝負していない」

という意味だ。

例えば軍事だけなら、軍事力で比較すればいい。

経済だけなら、GDPや産業力を比較すればいい。

技術だけなら、半導体、AI、通信、ロボットなどを比較すればいい。

しかし国家間競争というのは、本来そういう単純なものではない。

経済力が軍事力を支える。

技術力が産業力を支える。

産業力が軍事力を支える。

軍事力が外交力を支える。

外交力がさらに経済圏を広げる。

これが全部つながっている。

習近平が本当に恐ろしい人物だと僕が感じるのは、この「総合戦」を理解している可能性が高いことだ。

もちろん、これは習近平一人の頭脳だけで動いているわけではない。

中国には巨大な官僚機構があり、研究機関があり、軍があり、企業があり、大学があり、何億人もの人間がいる。

だから「習近平一人が天才だから中国が強くなった」と考えるのも間違っている。

しかし逆に言えば、

「習近平なんて大したことない」

と考えるのも危険だ。

彼の役割は、自分一人ですべてを発明することではない。

巨大な国家システムを一つの方向へ動かすことだ。

これが国家指導者としての実力なのだと思う。

会社で言えば、社長が自分でプログラムを書いたり、チラシを配ったり、営業したりすることが重要なのではない。

55人なら55人を、100万人なら100万人を、同じ方向に向けて動かす。

そのために必要な仕組みを作る。

その方向を何十年も維持する。

そして環境が変わったら、戦略を修正する。

これは簡単なことではない。

僕は、ここをもっと冷静に評価したほうがいいと思う。

習近平について語るとき、日本では「独裁者だからダメ」で終わってしまうことが多い。

でも、それでは分析にならない。

独裁的であることと、戦略家として有能であることは両立する。

人間として好ましくないことと、国家経営能力が高いことも両立する。

むしろ歴史を振り返れば、そういう人物は珍しくない。

だから僕は、

「習近平を好きになる必要はない。しかし、過小評価してはいけない」

と言いたい。

これは中国人を好きになるとか、中国共産党を支持するとか、そんな話ではない。

むしろ逆だ。

本当に中国に対して警戒するなら、相手を正確に評価しなければならない。

相手を馬鹿にしている間に、相手が強くなってしまったら、最後に困るのはこちらだからだ。

僕がもう一つ考えさせられたのは、アメリカとの関係だ。

資料では、アメリカが中国との戦争に慎重になっているという見方が示されている。

これも、僕たちは少し冷静に考えたほうがいい。

アメリカは日本の友人だ。

日米同盟は極めて重要だ。

しかし、アメリカはアメリカという国家でもある。

最終的にアメリカが守るのはアメリカの国益だ。

これは当たり前の話だ。

だから僕は、

「アメリカが絶対に日本を守ってくれる」

という前提だけで国家戦略を作るのは危険だと思っている。

同盟は重要だ。

しかし、同盟と依存は違う。

ここを混同してはいけない。

僕は、日本がアメリカと対立しろと言っているわけではない。

むしろ、アメリカとの同盟を維持しながら、日本自身の能力を高めるべきだと思っている。

経済力。

技術力。

防衛力。

エネルギー。

食料。

サプライチェーン。

AI。

そして何より、国家として自分で考える力。

これが必要なのではないか。

僕がAIの時代について考えてきたこととも、実はここでつながってくる。

AIによって、これまで人間が独占してきた「計算」「分析」「情報処理」の価値がどんどん下がっていく。

すると最後に残るのは、

「何を目指すのか」

を決める能力だ。

国家も同じだ。

情報が大量に手に入る時代だからこそ、

「自分たちは何を目指すのか」

を決める能力が重要になる。

中国は少なくとも、国家として長期目標を掲げることに関しては、日本より遥かに明確だと僕は感じる。

2049年という数字も、その象徴なのだろう。

1949年に中華人民共和国が成立した。

その100年後。

2049年。

そこを一つの国家目標として置く。

僕は、この時間感覚そのものを馬鹿にしてはいけないと思う。

実現するかどうかは別問題だ。

中国にも当然、人口問題、経済問題、不動産問題、地方政府の債務、少子高齢化、国際的な摩擦など、非常に大きなリスクがある。

だから、

「中国は必ず世界一になる」

と断言することもできない。

しかし、

「そんなことを目標にしている中国は馬鹿げている」

と言ってしまうのは、もっと危険だと思う。

なぜなら、国家目標というのは、実現するかどうかだけでなく、そこへ向かって人間と資本と技術を動員する力を持つからだ。

僕はここに、習近平の本当の実力を見る。

彼が世界一の経済学者なのか。

彼が世界一の軍事専門家なのか。

彼が世界一の技術者なのか。

そんな話ではない。

彼の強さは、

「国家全体を長期戦のプレイヤーとして動かす」

ところにあるのではないか。

そして、それを可能にしているのが、中国という国が持っている歴史的な時間感覚なのだと思う。

だから僕は、中国を見ていて思う。

日本も、そろそろ「誰についていくか」だけを議論するのではなく、

「自分たちはどんな国になりたいのか」

を本気で考えなければいけないのではないか。

アメリカがどうする。

中国がどうする。

ロシアがどうする。

そればかり見ていても仕方がない。

最後に決めるのは、日本自身だからだ。

僕は中国共産党を礼賛するつもりもないし、習近平を英雄だと思うつもりもない。

むしろ、権力の集中や自由の制限については、強い警戒が必要だと思っている。

ただ、それと国家戦略の能力を評価することは別だ。

ここを分けて考えたい。

僕は経営でも同じことをやってきた。

好き嫌いではなく、相手が何を考えているのかを見る。

何を持っているのかを見る。

何を準備しているのかを見る。

そして、

「この人は何年後を見ているのか」

を見る。

習近平を考えるときも、僕はそこが一番重要だと思う。

彼の本当の実力とは、テレビに映る表情でも、強い言葉でもない。

中国という巨大な国家を、10年、20年、30年という時間軸で動かしていく力。

そして国際環境が変化すれば、国家戦略そのものを修正する力。

さらに、その戦略を経済、技術、軍事、外交という複数の領域に落とし込んでいく力。

ここを見なければ、習近平という人物の本当の姿は見えてこない。

僕は、敵を過大評価する必要はないと思う。

しかし、過小評価するのはもっと危険だと思う。

中国を「どうせ崩壊する国」と笑っている間にも、中国は次の10年を考えている。

「中国なんて大したことはない」と言っている間にも、中国は技術を蓄積している。

「習近平は独裁者だから失敗する」と言っている間にも、中国は国家システムそのものを動かしている。

だったら僕たちは、感情ではなく現実を見たほうがいい。

好きでも嫌いでもいい。

支持してもいいし、批判してもいい。

でも、まず相手を正確に知る。

僕はそれが一番大事だと思う。

そして最後に、僕自身が一番考えさせられたことを一つ。

習近平が本当に恐ろしいのは、彼が「強い言葉を使う政治家」だからではない。

「長い時間をかけて国力を作る」という発想を、本気で国家運営に組み込んでいることなのではないか。

僕たちは、今日のニュースを見て一喜一憂する。

株価が上がった。

下がった。

選挙で勝った。

負けた。

今年のGDPがどうだった。

AIがどうなった。

そんな毎日を生きている。

でも、国家の勝負は、もっと長い。

10年後。

20年後。

30年後。

その時にどれだけの技術があるのか。

どれだけの産業があるのか。

どれだけの人材がいるのか。

どれだけの資本があるのか。

どれだけ自分たちで決められる国になっているのか。

結局、国家も企業も、人間も同じなのかもしれない。

「今日勝ったか」ではなく、

「10年後に勝てる仕組みを、今日から作っているか」

なのである。

そう考えると、習近平という人物の評価は、単純な善悪だけでは終わらない。

僕は彼を好きになる必要はないと思う。

でも、侮ってはいけない。

むしろ日本にとって必要なのは、彼を冷静に研究することだ。

そして、その研究の最後に残る問いは、

「習近平は何を考えているのか?」

だけではない。

本当の問いは、

「日本は、10年後、20年後、30年後に、何を実現したいのか?」

なのだと思う。

相手が長期戦を考えているのなら、こちらも長期戦を考えればいい。

相手が国家戦略を何度も修正するのなら、こちらも修正すればいい。

相手がAI、ロボット、技術、経済、軍事を一体として考えるのなら、こちらも縦割りを捨てて考えればいい。

僕は、ここに日本の未来があると思っている。

習近平の実力を知ることは、中国に屈することではない。

むしろ逆だ。

相手を正確に知ることこそ、自分たちが自分たちの未来を選ぶための第一歩なのだと思う。

だから僕は、これからも中国を見続けたい。

好き嫌いではなく。

恐怖でもなく。

幻想でもなく。

現実として。

そして、その先にある日本の未来を、自分の頭で考え続けたいと思う。

僕はトランプから学ぶことは無い。
習近平、学ばなければならい。


フジ
JINSEN BOTTI
ローマ倶楽部

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