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雑記は脳の排水溝掃除

今日は論理的な文章がまったく書けませんでした。普段から論理的な文章が書けているかと問われると、うなずくのに多大な時間を要してしまいますが。

結局のところ、今日はこうして、頭の中を整理するという名目で日記に逃げ出すことにしました。

ですが、これは本当に『逃げ』なのでしょうか?

たまには大まじめな言い訳をするのもおもしろそうなので、このまま書き続けていきます。


日記は脳の排水溝掃除

論理的な文章を書くには、非常に頭を使います。頭の中でしっかりと筋を立てないといけませんし、時にはメモを別に書き残しておかないといけないこともあります。また、何かしらの制度に関する記事を書く時には、正確な内容を把握し、誤解のないように表記しなければなりません。

対して日記というのは、脳の排水溝掃除のようなものだと思うのです。ややこしい文章を書く際は、余計なことや間違ったことを選り分けて文章を書いていく必要があります。そんなことをしていると、自然と頭にノイズというか、余分な感情のようなものが溜まっていくのです。

たまにその不純物が詰まって、しっかりした記事を書けなくなる時があります。例えるなら、お風呂の排水溝に髪の毛やらゴミやらが詰まって水が流れなくなるような感じです。私の個人的な感想ですが、論理的な文章が書けない時の脳みそは、何かしらの詰まりが生じているのだと思います。

こうして日記を書く時は、そういうノイズや感情を改めて整理して書くようにしています。書き散らしてもいいのですが、あんまりとっ散らかってると読んでくださる方に申し訳ないので…。

とまぁ、私にとって日記を書くというのは、まさに脳のリサイクルという感じなんです。こう書いてみると格好がつく気がします。

多分、私は人より排水溝が詰まりやすいタイプなのでしょう。だから、売るための記事とか論理的な記事とか、本腰を入れた大作記事よりも、こうしたある種の崩壊した文章を垂れ流すのです。

眠いとかやる気がないとか、時には生きてる理由とか寂しいとか、そういうどうしようもない感情の澱を、こうして文章にしているわけです。曲がりなりにもnoteで頑張ろうとしている人間としてどうなんだと思わなくはないですが、こういう文章が一番、ありのままのリアルを写している気がするのです。


しっかりした文章は元気な時に

以前はノートを開いて記事を書く際、非常に肩に力を入れていました。ちゃんとした文章を、ちゃんとした構成で、間違いのないように書かないといけないと緊張状態でいたわけです。

ですが、今はそういう硬い考えはあまりしないようになっています。ちゃんとした文章や記事なんて、元気がある時に書けばいいのです。

noteという媒体で記事を書いていると、いろんな考えが頭をもたげます。

有益な情報だとか、素晴らしい題材だとか、整然とした文章だとか、挙げるとキリがありません。確かにこれらをすべて満たせれば、さぞ素敵な文章を書けるんでしょう。しかし、私にはそういう完璧な記事を毎度書けるような実力も度量もないわけです。今日の記事は、それゆえの散文というわけですね。

以前ならもっと肩に力を入れていたでしょうが、今はそういうのも疲れてしまいました。もっと気楽にキーボードを叩いていいんじゃないかと思っています。

記事を書く前に『今日は排水溝を掃除する』と考えてパソコンに向かったので、今日の自分はこれで上出来なのだと思っています。毎日更新という目標は達成できるわけですし、こうして書いていくと頭がすっきりしてきます。

きっと、明日の私は今日の私に感謝することでしょう。



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