変な義務感を少しずつそぎ落とす
自分には常に変な義務感と危機感があった。
何もしていない自分を許せなかった。
だからといって何か行動するわけでもなく、危機感を覚えながらもダラダラとしていた。
はたから見れば休んでいるように見えるかもしれないが、本人はまったく休まっていない。脳内は常に慌ただしく動いていて、目に見えない対象への罪悪感がある状態だった。
変な危機感を捨てて、しばらくぼんやりしたほうがいいかもしれない
— メンズヘラー (@azinoco3) August 21, 2025
身体が弱り、神経までもが疲弊していくことに気がついて、意識的に変な義務感と危機感を捨ててみることにした。
よし、捨てようの一言で全部放り投げられるほど簡単ではないが、できるだけ自分を許すようにしてみた。
最初はただぼんやりとしているだけだったが、何かしらの休養になっていたのだろう。
頭の中に常にあった重圧が、1週間ほどかけて少しだけ軽くなった気がした。今回、この短い文章を書けているのもそのおかげだ。
完璧主義だった?
これは認める他ないが、僕は完璧主義の人間だ。
その中でも、非常に良くないタイプの完全主義なのだ。
良くないタイプの完璧主義は、脳内の完全にできている自分と現実のままならない自分がミスマッチを起こすことで永遠に苦しむことになる。もはや病気のような状態のことを言う。
僕は現在、引きこもって在宅の小さい仕事をしている。
小さい仕事ではあるが、やろうと思えばやることは常にある状態だ。
さらに、僕は自分の力でも何か収益を得たいと常に考えている。
これらのやること、やりたいことが、よくないタイプの完璧主義の影響によってここ数年間、ずっと重しになっていたように感じる。
今は少しだけ荷を降ろせたが、何かに常に追われている生活は非常に苦しいものだった。
完璧主義は決して悪いことじゃない。
しかし、僕のように現実よりも脳内の思考を軸に生きている人間にとっては辛いものがある。
頭の中で完璧な想像をするだけで、その理想に一向に現実がついてこないのだから。(行動していないのだから当然ではある)
まだ荷は重く
さっきから荷を下ろしたような表現をしているが、完璧主義の産物は未だに多くが僕の背にのしかかっている。これは長年の思考の歪みから生じたものであって、少し思い直した程度で放り出せるようなものではなかった。
たぶんだが、すべての荷を降ろして何もかもから解放されたら、逆に僕は完全なニートの引きこもりになってしまうだろう。療養中であることを除けば、今の生活はそこそこ楽だからだ。
僕が背負っている荷の中には、人として最低限の生活をするための物も含まれている。
例えば、必要な生活費を稼ぐこととか家事をすることだ。
全部放り出したいのはやまやまだが、それをしたら人間ですらなくなってしまう。
だから、匙加減が重要なのだと思う。
まだ降ろせていない荷をバランスが取れるように慎重に降ろしていき、楽になった分、他の何かに時間を割く。
そういう、生活の比重を再編する作業が今の自分には必要なのだと思う。
思えば、noteを比較的書けていた時期には、そういうバランスが取れていたように思う。悩んでいる時は自分にやる気がないからだとか、根拠のない自己嫌悪ばかりしていたが、本当の理由はそこに無い気がする。
あとどれだけ荷を降ろせば、自分の理想的なバランスになるのかはわからないが、少しずつ失敗しながらやっていくしかないだろう。
少なくとも、今はそのバランスを見定めながら、慎重に生活してみることにする。
近況:
生活に関しては相変わらずで、引きこもってばかりいる。
夏の暑さがとにかく苦手というのもあるが、外出する気力がないというのもある。
どうにか収入源を増やして、アクティブに動けそうな町に引っ越したい気持ちもあるが、それもどうなるかは不透明だ。
とりあえず飯は食えているし、しばらく死にはしないだろうから、これに関しても気長に考えていくことにする。
もし生活が成り立たなくなったら、家賃無料のシェアハウスのお世話になるつもりだ。多分、他の人もいる環境で生活した方が健全だとも思うし。
関連記事:
いいなと思ったら応援しよう!
食費にします