どうしようもないときの『もう少し』が人を伸ばす
日々を過ごしていると、どうしても辛いタイミングがやってきます。なんとなく落ち込むこともありますし、時には外部からトラブルが飛んできててんてこまいになることもあります。困った人の愚痴に巻き込まれて疲弊することもありますね。少なくとも、私は落ち込んでばかりです。
しかし、その日その日にやるべきことがあり、少なくともこれはやらないといけないと決めていることがあるため、よほどのことがない限りはどんな精神状態でも手を動かすようにしています。別に努力家というわけではありません。しんどい中、思い切ってやる辛さより、何もできずに布団に入る辛さの方が嫌だからです。
今日も、どうしようもなく辛いことがありました。自分の問題ならどうにでもなりますが、どうにもならない他人の感情の動きに巻き込まれ、対応に時間もとられてしまいました。おかげでメンタルはボロボロになり、時間もすっかり遅くなってしまいました。しかし、現実は残酷なもので、仕事は手を付けたばかりでほとんど進んでいません。
どうにもならない気分で、タバコを咥えて火をつけました。その日のトラブルは厄介この上なく、私の精神を激しくかき乱してしまったのです。とてもじゃありませんが、一服した程度で回復するような状態でもなさそうです。
頭の中で、何度も何度も休むことを考えました。取引先に謝罪の文書を送り、辛さに申し訳なさも上乗せした状態で眠りにつく自分を想像しました。もしそれを実行したら、どんなに楽でどんなに辛いことか、ずっと考え続けました。
そうして考え続けた結果、結局は目の前の仕事に取り組むことにしました。手を動かし始めると気が紛れるもので、どうにかトラブルや絶望のことを忘れることができました。時間はかかりましたが、無事に納品までこぎつけることができたのです。
まだまだメンタルはボロボロですが『もう少し』だけ何かしてみることにしました。後回しにしていた書類の作成をしたり、こうしてnoteの下書きを書いてみたりと、本当に些細な少しだけのことです。
世の中には頑張るとか努力するとか、表現するのは簡単なのに具体像が浮かばない言葉があります。よく人々はその言葉を自分に対して、時には人に対して使っていますが、その実態は非常にあいまいです。だから私はこれらの言葉が苦手でした。特に、他人に向けるのは嫌いといってもいいほどです。
ただ、最近は頑張ること、努力することの意味が少しだけわかってきたように思います。
疲れた時、しんどい時、落ち込んでる時に『もう少し』だけやってみること
それが、みんなのいう頑張るとか努力に該当する行為なんじゃないかと思うのです。限界を感じた時にもう少しやること、それを繰り返すことで、人間の許容量も少しずつ上がってくるんじゃないかと思い始めたわけですね。
今、私のやってることが正解なのか間違っているのかはわかりません。ただ、こうして日々『もう少し』を繰り返すことで、見えない何かが伸びていることを祈りながら、最近は毎日をこなすようにしています。
いつか、この営みが花開くことを願いながら、今日ももう少しだけ頑張ります。
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