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殉教者の国の貴公子、デレク・ジータの『愛』

さて、まずは以下に抜き出した「東スポWEB版」の原稿から読んでおいてほしい。

米メディア「FOX」で「彼はすべてを成し遂げた。今、彼にとって唯一の課題は再びそれを成し遂げることだ。なぜなら人々は彼にそれを期待するだろうからだ。彼は目の離せない選手の1人だ」と冷静に話している。
…… ……中略
米メディア「マルカ」によると「ジーターにとって大谷はまだ史上最高の選手ではない。ジーターはより伝統的な価値観を体現しており、長きにわたる活躍、優勝経験、そして毎年の安定性こそが真の偉大さの指標と考えている。その意味では彼の意見は批判ではなく忍耐を促がすものだ。大谷が今後10年以上、このレベルを維持できるか見ないといけない」とした。
…… ……中略
「エッセンシャリースポーツ」は「ジーターが大谷に〝もっと時間が必要だ〟と主張していることでファンの間でも意見が割れている。長寿論に賛成の人もいれば、卓越した全盛期を批判の対象にするのはよくないという人もいる」

以上 東スポWEB版
大谷翔平は史上最高ではない…ジーター氏のシビア評価が物議「何度MVPを取った?」2025年7月18日 15:57 よりの一部抜粋。


以下の原稿からは、わたしが考える「デレク・ジータ氏」の姿勢に対する主観となるので、まずはそこを抑えておいて欲しい。

結論から書かせてもらうが、東スポさんの原稿をはじめ、各種メディア、YouTube動画で配信されるこれらの原稿に考察を加えてみたとき。デレク・ジータ氏の言葉は愛に溢れていると読め、聞こえるのである。
一部にはジータ氏の言葉に過剰な反応を示し、「お前はなんどMVPを獲ったのか~」などとする、厳しい言葉を向けるむきもあるようであり、正にMLBファンを二分したかのような塩梅を見せているのである。

わたしは正直なところ「流石、人物。デレク・ジータ」と思ったものだ。
 この「二分」することをジータ氏が狙っていたとするならどうだろう。
 ジータ氏の言葉によって「二分」させることをはじめから狙っていたとすると考えたなら……どうなのだろう。

わたしはジータ氏のこれまでの大谷翔平に対する言葉から考えて、大いに計算を働かせたうえの世論、ファンのガス抜きを図った言葉だとして好意的に捉えている。
 『何故か』そう考える前に逆を考えてみようか。

万が一、ジータ氏が大谷翔平を「GOTO(史上最高)なMLB選手である」とした場合、議論の余地は極めて小さくなるはずであり、アンチのガス抜きは機能しなくなるだろう。一方向に急激に偏る世論は、危険なのだ。常に。


直近で、ドジャースのチームメイトであり、MLB史においても偉大な足跡を残す「フレディー・フリーマン」がASGの前の記者会見で面白い言葉を披露している。
MLBメディア Full-countから抜粋して紹介しておこう。

球宴前日会見でフリーマンが問われた「球界のGOAT」
 すぐ隣に座っている「史上最高」をチラ見した。ドジャースのフレディ・フリーマン内野手が14日(日本時間15日)にオールスターの前日会見に臨んだ。会見で「誰がGOAT(史上最高)」か問われると、隣のブースで取材対応している大谷翔平投手に視線を送った。
…… 中略
ドジャース地元メディア「ドジャース・ネーション」のダグ・マッケイン氏がフリーマンを直撃。「あなたが思う球界のGOATは?」との質問をぶつけ、「あなたの隣にいる人ですか? 史上最高の選手は誰でしょう?」と続けた。

フリーマンは左隣を見ながら「えーっと、史上最高ねえ……うん、彼はそこへ向かっているね。フフフ」。笑顔を浮かべて「だって、彼を見てよ。2日前に100マイルの球を投げて、(サンフランシスコの)マッコビー湾に打球を打ち込んで……とにかく彼は誰も見たことのないことをいくつもやっている。だから、彼が史上最高の選手になると僕は思う」と証言した。


さて、フリーマンも現時点においては大谷翔平を「GOTO」としていないことに気付いて頂けるだろう。
同じなのであるデレク・ジータもフレディー・フリーマンも。

見方によっては、わたし達日本人フアンは、彼らのその姿勢、その言葉に感謝をむけなければならないだろう。

彼らは自分たちの国を知っている。
世論が、議論の余地なしに至ったときに噴出するもう一つの側面。
それは彼らにとって「負の側面」ではない。
二大政党制が機能するあの国にとっては、常にガス抜きの先となる「もう一方」を機能させることが必要なのだ。

正直なところ、凡ての野球人が大谷翔平をして、史上最高のMLBプレイヤーであると今時点で評価されたとしたら、バランスは崩壊に向かうだろう。その時、あの国はまた殉教者を生み出すことになるかもしれぬ。
わたしにとって、ファンにとって一番恐ろしい筋書きだ。
 ジータやフリーマンにとっては絶対に守り抜かなければならない存在。
「それが大谷翔平という野球人である。」と考えていたとするのなら、彼らの言葉にわたし達は感謝をむける必要があるのかもしれない。

グラウンドのマナーは超一流であることは云うに及ばず。
狙われたデッドボールにも文句を言わず。
乱闘すら自らのアクションで事なきに向ける。
ぶつけた選手とすらハグを交わす。
社会福祉活動にも注力し、ロスの山火事では支援の手を差し伸べる。
学校の授業では課題として取り扱われ
ついには児童絵本まで共著で出版するようだ。
その活躍の場はグラウンドに留まらない。

なんと、非の打ちどころのない人間なのだろう。聖人のようだ。
だからこそ、眺めるファンは、今の大谷翔平という人間をGOTOにするべきではないだろう。史上最高の野球人とは呼ぶべきではないだろう。
ガスが抜ける道筋は残しておくべきだろう。
もう少し先で光り輝くGOTO大谷翔平を待つことも必要だろう。


情報に触れたとき、その文節に考え及ばせることが出来なければ物は書いてもオモシロくならない。
何を書きたいのか、どう考えているのか~ 詩であれ、小説であれ、コラムであれ~それが表現者の価値なのだろう。
まぁ、少なくともわたしはその大海で自由自在に遊びつくすつもりでいるのだが。

昨日、フォロ友さんである、SKY BLUE(青大井空)さんの詩編に触れた。
とても興味深く、味わい深い詩編だった。
氏とわたしは年齢的に同学年であることから、多分、若い頃に手にした小説や作家なども被るのだろう。氏の書いた作品を読んでいても、一切の違和感を持つに至らずすんなりと入ってくる。

 小腹が空いたとき「何かないかね~」と告げる。
 「磯部焼ぐらいしかできないけど……」
途端に口の中に唾液が溜まりはじめる。馥郁とした醤油の焦げた薫り。海苔の焼けた芳ばしい香り。伸びた餅をハフハフ言いながら悪ぶってみせながら食いちぎる姿。
想い起すか起こさぬかのうちに、口腔には涎が溜まり出し、その己の姿に感動をおぼえるのである。

そうゆう書き物を書き、そういう読み物が読める人間になりたいものではある。
そういう意味で、わたしにとって青大井空さんのこの作品⤵などは、正に「磯辺焼き」なのである。過ぎしあの頃を偲び、ふと想い至らせるだけで顔が朱くなるのでありんしたwww


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