こづつみ【第九話】
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『第九話』
年が明け、ストーブとこたつが欠かせなくなった頃、花浪はより一層大きくなった腹を飼い慣らすことができず、家事どころか布団から起き上がるのも一苦労だった。幸いにも義母から家の手伝いにいこうという申し出があったので甘えさせてもらうことにした。
ほとんど毎日義母に昼過ぎから家事を手伝いに来てもらい、なるべくお腹の子に負担をかけないよう日々を過ごしていく。手伝いに来はじめてから一月ほど経ったある朝、突然、電話が鳴った。受話器を取り、けたたましい音を静めると義母の声が聞こえてきた。
「もしもし、公子です。」
「お義母さん、花浪です。お世話になっています。」
「あぁ、花浪さん?ちょうどよかったわ。」「どうかしましたか?」と花浪が聞く前に義母が続けた。
「うちのお隣さんがこおさめするからせっかくやし見にこーへん?」
何をするのかよくわからないがこういった付き合いも大事だろうと花浪は二つ返事で了承し、身支度をして義両親宅へと向かった。
玄関を開けると白い雪が光を反射し目を突き刺してくる。腹で見えない足元と積もった雪の不安定さに悪戦苦闘し、踏み固めながら歩いていくと義両親宅に着く頃には足の感覚はなくなっていた。
義両親宅の玄関を叩くと既に準備していたのかすぐに義母が出てきた。
「思ったよりはやかったなぁ、ほないこか。」
そう言うと義母は長靴を履き、花浪の前を歩き始めた。既に冷えきった足先を更に冷たくし、身震いしながら花浪も続いて行く。
お隣とは言ったものの完全に隣にあるわけではなく、三分ほど歩いてようやく義両親宅のお隣さんの家に到着した。屋根は雪が積もって見えないがクリーム色の壁をした小綺麗でモダンな雰囲気の佇まいをしている。
扉が開き、花浪たちを迎えた男性は家の見た目とは打って変わり、酷く暗い表情をしていた。髪はあちこちに跳ねてできの悪い鳥の巣のようになっており、髭は伸びっぱなし、目の下には大きな隈ができている。生気のない瞳がギョロリと花浪たちの方を向いた。
「今日はわざわざありがとうございます。」
「いいんよぉ、こういうこともあるよ、しゃあないしゃあない。」
「もうちょっと俺が計画的にやっとれば......。」
男は自分に言い聞かせるようにぼそぼそ呟いた。
家の中に入るとどこかからかうめき声がする。どんよりとした甘い空気を掻き分けながら奥へと進んでいくと女性がベッドに横たわっていた。顔は苦悶の表情に歪んでおり、腹はあと二ヶ月で臨月を迎える花浪よりもさらに一回り大きく膨らんでいる。
「あらぁ、もう今にも生まれてまいそうやねぇ。」
「どうかよろしくお願いします。」
「任せて、今までようさんやってきたし、ややさんは傷つけんようにするから。」
義母は荷物を部屋の隅に置き、部屋から出ようとした。
「どこに行くんですか?」
後を追いながら花浪が聞くと、「こおさめするんやから手はきれいにせな。」と言って洗面台に向かっていった。そもそも「こおさめ」とは何なのか、誰からも説明されておらず今一つ状況を飲み込めきれない。「こおさめ」とは何なのか、これから何をするのか聞くと、
「......?もしかしてまだ誰も説明してはらへんの?」
コクりと頷き、再度説明を求めると「村長、説明すんの忘れたんやろなぁ。」などとぼやきながら話し始めた。
「早春から初夏、二月から六月くらいやね。その間は山神さまが守ってくれるんやけどその後は山に戻る準備とか山に戻ったりしててあんまり守ってくれんくなるんよ。やからまだ弱いややさんは山神さまが守ってくれる二月から六月の間に産まなあかんようになってるねん。でもたまにそれよりも早く産まれそうになる人もやっぱおるからそういうときにこおさめをして産まれるのを遅くするわけやな。」
義母はふぅと一息つき、「わかった?」と聞いてきた。だが、まだ肝心の「こおさめ」で具体的に何をするのかを聞けていない。「こおさめ」は何をするのかもう一度問うと、
「あぁそやったそやった。まだ産まれるには早いから産まれかけたややさんをお腹の中に押し戻すんよ。」
産まれかけの赤子を無理やり腹の奥に押し戻す。
どう考えてもとてつもない危険が伴うだろう。そんな治療はまったく聞いたことがない。もしかしたら親も子も死んでしまうかもしれない。だがそんな危険を冒してでも「山神さま」に守ってもらうためなら仕方がないだろう。
「産道に手入れるからきちんと手洗わなあかんで。」
義母に声をかけられてはっと思考の渦から意識を戻し、蛇口を捻る。寒さのせいか水の出が悪くちょろちょろと残尿のように出てきた。手を洗おうと細い流れに当てると冷たさが痛みとなって指先から頭に駆け抜ける。全身に冷たい痛みが染み渡った時、一瞬、これから行われるおぞましい行為に怖気が立ち、思わず身震いした。なんで今こんなにも恐ろしい気持ちになったのだろう?いまだ伝わってくる突き刺すような冷たさを思いだし、おそらくは冷たさ故の震えの原因を恐怖と勘違いしてしまっだ、一人で暗い夜道を歩いているときに風が吹いて背筋が冷えるとなんとなく恐ろしくなるのと同じだろう、と思い再び冷たい手を擦り始めた。
手を洗い終わり、部屋に戻ると一足先に義母がこおさめの準備を始めていた。ベッドにはシーツのさらに上から厚いタオルを敷き、その上に妊婦が横たわっている。ベッドの横には水の張ったバケツと先端に白い布が巻かれた木の棒が置かれていた。足音に気づいたのが義母が花浪の方を向き「じゃあ始めるしこっちおいで。」と手招きした。
妊婦の膝を曲げた状態で足を開かせる。次に腰を浮かせ、ベッドとの隙間に枕を滑り込ませて少し高さを出した。こうすることで産道に手を入れやすくなるらしい。準備を終えると義母は今ままでない真剣な表情をしていた。寒いにも関わらず首筋を伝う汗から緊張が読み取れる。「じゃあ始めるからね。」義母がそう言うと妊婦は荒い息に混じらせながら小さく「はい」と頷いた。
義母は先端に白い布がくるまれた棒を持ち、布の方を産道へと押し込んでいった。ある程度入ったところで止まり、今度は場所を調整するように上下左右に細かく動かした。しばらくすると義母は花浪に棒を持つように指示し、
「今ややさんの頭のてっぺんに調整してあるからこのまま真っ直ぐ押し込んで。絶対に棒をずらしたり、力いれる方向変えたりしたらあかんで。」
そう言って完全に棒を花浪に任せた。
少しでも方向がずれたらどうなるのか、聞かずとも棒から伝わってくる感触でわかる。まだ座っていない赤子の首などすぐに折れてしまう。今この瞬間、小さな命を握っているという責任が花浪にのし掛かり手が震えそうになる。強く握り込むことで震えをなんとかかき消し、グッと奥に押し込むように力を込めた。「うう」と棒よりもさらに奥、妊婦の口から苦悶に満ちた呻き声が聞こえてくる。耳元で歯軋りが聞こえてくるような錯覚を起こしながらも力を込めていると僅かにだが動き始めた。耐え難い苦痛を無理やり身体の中で押し止めている声に心の中で何度も「ごめんなさいごめんなさい」と謝罪していると途端に棒が動かなくなった。頭の中で混乱しながら無理やり押し込もうと更に力を込めようとする手は義母に止められた。「一回変わって」と言われ、棒を義母に渡すと何度か押し込もうと試みた後、「これじゃあかんかぁ」と言って棒をゆっくりと産道から引き抜いた。引き抜かれた棒にはどっぷりと血が染み込んでおり、白かった先端の布は赤黒く変色していた。引き抜いた拍子に出てきた血によってベッドの一部も赤黒く染まっており、タオルを被せた意味を理解しながらも、その凄惨な光景に胃の中身が逆流しそうになる。花浪が口に手を当て、吐き気と格闘している隙に義母が入り口のわからなくなった赤黒い産道に迷いなく手を押し込んでいった。押し込まれていく度に手と産道の隙間から赤黒いドロッとした液体が染み出してくる。ある程度腕が入った後にタンスの隙間に手を突っ込んで何かを探すのに似たような動作をした。しばらく何かを探すような動作をしていると「やっぱりなぁ」と言い顔を少し歪めた。何が起こっているのかと花浪が聞くと、どうやら子宮から頭が完全に出てしまっているようで中々戻らないそうだ。上下の位置が逆になって足から産まれる際に最後頭が入り口に引っ掛かるのと同じ原理で子宮の入り口で引っ掛かってしまっているのだと言う。言い終わった後、義母は小さく深呼吸をして腕に力を込めた。それとほぼ同時に妊婦の呻きが徐々に大きくなっていった。力を込め、顔まで真っ赤に染まる時には妊婦の声は耳をつんざくような絶叫へと変わっていった。老婆が顔に血管を浮き出させながら産道に手を突っ込み、妊婦があまりの苦痛に死の間際のセミのような絶叫をあげる。この世のものとは思えないような光景に花浪がどこか遠いところから見ているような感覚でいると「体抑えといて!」と義母から叫ばれ、我に返り妊婦の手足を抑えに行った。どれだけ抑えていたか、突然、義母の腕がガクッと震え、顔から赤みが引いていく。妊婦も大きく胸を上下させ、息を荒くし、呻き声をあげてはいるが先程の絶叫はもう聞こえない。赤黒い手をズルズルと引き抜き、一呼吸すると、
「なんとか終わったよ。よう耐えたなぁ。」
そう言って妊婦に笑いかけた。
シーツの上に引いていたタオルや棒を軽く濯ぎ、片付けを済ませると来た時には陰鬱な表情をしていた男性が隈はあるものの少し晴れやかな表情になって出てきた。
「今日はほんまにありがとうございました。」
「ええんやで、助け合いが大事やからな、うちも何かあったときはよろしくな。」
「もちろん、喜んで手伝いにいきます。」
「でも今度はもうちょい早く呼ぶんやで。」
そんな義母と男性の会話を聞きながら玄関へと向かっていき、少し湿った靴を履く。玄関の扉に手をかけ、開ける。「ほんまにありがとうございました。」という声を最後に聞き、義母とニタニタ笑いあいながら冷たい地面に足を踏み出した。
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無理やり産まれそうな赤子をお腹に戻すなんていくら独自の信仰があったとしても異常ですよね。下手したら親子もろとも亡くなりかねないじゃないですか。よくこんな風習に付き合って自分もこなすことができますよね。
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