こづつみ【第十二話】
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『第十二話』
物心付いた頃、私は既に施設にいました。今では児童養護施設というやつですね。ええ、たしかに今思い返すと不便も多かったでしょう。ですが私にとってはそれが普通でしたし、特段不満も持っていませんでした。ふとしたときに先生......職員の方に自分はいつからいるのか聞いてみたことがあります。どうやら私は赤子の頃からいたそうで、朝、玄関前に紙にくるまれて置かれていたようです。創作の世界みたいな預けられ方ですよね。ですが本当に産まれてすぐに預けられたようで、児童養護施設にくるにはまだ早すぎて当初は扱いに困ったそうです。乳児専門の施設に移そうとされましたが、後に私の担当になる職員の方からたらい回しにされるのはかわいそうだろうと声があがってそのまま育てることになりました。幸いなことに私はほとんど夜泣きもせず、手があまりかからなかったそうです。成長してからも手がかからない点は変わらず、職員の方々からの評価は悪くはなかったと思います。ですが一部の方からは気味悪がられていたようで、なんでも「赤ちゃんなのに全然泣かないなんておかしい」「ニタニタとした笑いが不気味」なんて言われていたそうです。
小学校に上がった頃でしょうか、おとなしい私にも初恋というものが訪れました。えみちゃんでしたかね。毎日お母さんに編んでもらっているという三つ編みを揺らしながら元気に走り回ってよく笑う子でした。上に兄が二人いるせいか男子との遊びにもよく混ざっていて私もほとんど毎日一緒に遊んでいました。初めはかくれんぼをしたときですかね。二人とも鬼ではなく、走っていった方向が被ったので一緒に校庭にある倉庫の裏に隠れることになりました。狭い隙間に二人の身体を滑り込ませるとほとんど密着状態となり息を潜めていました。まだ性に目覚めていたわけではありませんが当時、既に好意を寄せていたえみちゃんと狭い空間に二人きりというシチュエーションには胸を高鳴らせるばかりでした。とはいえ何かするわけでもなくただひたすら息を潜めながら外の様子を伺うふりをしてえみちゃんの姿をじっと見つめて静かに幸せを噛み締めていました。するとえみちゃんがこちらの目を見てきてほとんど同じ高さの目をぱちくりとさせました。かわいいななどと考えるのと同時に、「もしや外を見るふりをしてえみちゃんを見つめていたのがバレたのでは?」と小さな焦りが生まれどう言い訳しようかと悩んでいるとえみちゃんが口を開きました。
「なんかいいにおいするね」
「え?」
意表を突かれ、間抜けな顔を晒しているとえみちゃんはすんすんと私の方に鼻を利かせました。
「甘いにおい、ともやくんからする」
自分で腕をあげ、嗅いでみるとたしかに仄かに甘い香りがしました。
「私、結構好きかも」
一瞬ドキッとしました。
好き、何が?私が?いや、私の匂いが好きなのか。
自然と口角が上がり、胸の内が踊っていました。
その時からしばらく、脳内で何度も反芻されていました。
「私、結構好きかも」
ただの体臭なので私が何かすごいというわけではないのですが。でもやはり好きな人に何かを褒めてもらうのは嬉しいもので、つい舞い上がってその日、臭くならないようにと風呂が長くなって職員の方から少し怒られたりしてしまいました。
ですが、そんなえみちゃんとも年齢を重ね、中学に上がる頃には思春期のせいか次第に疎遠となっていました。
再びえみちゃんを思い出したのは高校を卒業し、就職した後でした。
その時には施設を出て、寮で一人暮らしをしており、人生で初めての自分だけの部屋を満喫していました。とはいえ寮でしたのでそこまで広くなく、壁は薄く、風呂は共用とプライベートは限られていましたが、却ってそれが今まで誰かと過ごしてきた私を寂しい気持ちにさせず、安く、ボロく、狭い寮を居心地のよい空間にしていました。
楽ではありませんが心地よい日々を過ごしていたある日、職場に新しく事務の女性がやってきました。年齢は私とそう変わらず、一、二歳ほど彼女のほうが下でした。地味目な顔立ちに毛量の多い髪の毛を後ろで一つにくくってぱっとしない印象の女性でした。見た目からの想像通り仕事は真面目にこなし、職場での評価もまずまずで、すぐに馴染んでいきました。
彼女が書類を通路で落としてしまった場面に出くわした時です。彼女は少し焦った様子で普段は出さないような豊かな表情をしており、「こんな顔もするのか」などと考えながら私は書類を集めるのを手伝いました。何枚か集めたところで向かいにいる彼女の手が止まっていることに気がつき顔を上げると目が合いました。
「ともやさんって体臭で何か言われたことないですか?」
なんのことだろうか。もしや臭いのか?そうだとしたら私が悪いのだが、せめてもう少しオブラートに包んでほしい。
そんな心境とは裏腹に彼女はすんすんと再び匂いを嗅ぎました。
「甘い匂い」
その瞬間、鼓動が早まったのを覚えています。身体中に電撃を食らったような衝撃を受け、しばらくの間ビリビリと身体が痺れ、その場から動けなくなりました。
「いい匂いですね。何か香水でも使ってるんですか?」
一呼吸遅れて「使ってないです。」とボソボソ言うと、
「へぇ、じゃあやっぱり体臭なんですかね。いい匂いしますね。」
胸が高鳴り、うるさく耳に響きました。ですがどこか、懐かしい気持ちもしていました。そう、小学校の頃、えみちゃんに抱いていた感覚と同じです。いい歳になって初恋の時と同じような気持ちになるなど思ってもみなかったですが、えみちゃんも彼女も同じ私の「甘い匂い」について言及したことが幼い恋心を呼び起こしたのでしょう。
単純なもので、たったそれだけですぐに彼女を意識し始めました。初恋の記憶を思い出して感情の向く先が置き換わったんですかね。いえ、少なくとも今はそんなちんけなものではありませんよ。所詮、それはきっかけにすぎません。私は彼女、妻を好いていますし、愛しています。ただ「甘い匂い」の記憶だけではなく、その後の二人で歩んできた軌跡から確かに自分の意思でそう思っているんです。
真面目に語っていると何だか少し恥ずかしくなってきますね。
あぁ、そうです。彼女と結婚したんですよ。二年前に籍を入れました。
籍を入れて一年と少し経ったある日、妻の妊娠が発覚しました。二人で喜びを分かち合い、その日は妻の好きなオムライスを食べに行くことになりました。祝って喜んではみたものの言った通り、私は施設育ちで親はいませんし、正直言って自分が親になって子供を育てられるイメージが全くありませんでした。また、オムライスを食べつつ妻と話す中で今の家だと手狭になるという意見が合致しました。ですが恥ずかしながら私の収入はそこまでよくなく、これ以上広い家にするとかなり家計が苦しくなってしまう状況でした。親になるという漠然とした不安とお金という切迫した問題に頭を悩ませながら日々を過ごしていると家にこづつみが届いたと妻から言われました。家に帰ると「あなた宛てみたいだけど、わかる?」と茶封筒を手渡されました。見覚えのない送り主に疑問を抱きつつ中を開けるとふわっと甘い香りが漂ってきました。
「なんか嗅いだことある匂いだね」
中身を取り出していくと村民募集と書かれたチラシのようなものとかなりクオリティの高い村のパンフレット、移住関連の書類、そして折りたたまれ、少し端の汚れた和紙のような紙が出てきました。匂いの元はすぐにわかりました。最後に出てきた和紙です。甘い、甘いものを煮詰めに煮詰めきって、そこから更に濃縮したような甘ったるい匂いが和紙を中心に部屋へと広がっていきました。和紙を袋に戻し、他の書類を見てみると詐欺を疑うほどの好条件が書き連ねてありました。家、家電、車、全て支給。補助金○○万円。仕事も斡旋。こんなおいしい話があるなんて普通は考えません。ですが思い詰めていたせいか妻も私も「ここに書いてあることは本当だ」と思ってしまったんです。
妊娠した妻になるべく負担をかけたくなかったので一度、私だけでその村に赴くことにしました。
私たちの知っているあの村に。
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村では時折余所者を迎え入れるんです。血が濃くなると忌み子、いわゆる奇形児が生まれやすくなりますから。そうやって外から血を入れて適度に薄くするんです。基本的に村出身の者ともう一人完全な部外者を呼び込むようです。どういう原理かこづつみのあの甘い匂いを嗅いだ時から徐々に村に同調していき、最終的に村の住人になるようです。
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