デジハリのインタビュー記事掲載
昨年6月~今年の3月までWebデザインの勉強をしていたデジハリさんからのインタビュー記事が掲載されました。しかも2つ!
今、僕がお仕事させてもらっているWeb制作会社の「エーウイング」さんでの様子も取材してもらってます。
門脇社長と先輩エンジニアの矢部さんが僕の印象を語ってくれています。有難いです!
自伝の写真は庭文庫さんの写真を使わせてもらいました。事後報告ですみません。
良かったら読んでください。
このnoteではインタビューで伝えきれなかったこと、なぜWebデザインの勉強を始めたかについて書こうと思います。
壮絶な闘病生活、出会いと別れ、衝動とも言える生存本能
何やら重い見出しですが、何故Webデザインの勉強をしたいと思ったか、思考よりも身体が先に動いているような感覚で、後先も考えず、気付いたらデジハリの説明会へ申し込んでいたのです。
デジハリの説明会を申し込んだ時
「何かを学びたい、身につけたい」と思うとき、衝動がその背景にある方がずっと持続するし、遠くまで行くことができます。今の自分の手が届く範囲を超えて、ずっと遠くのものに触れるために何かを学びたいのだとすれば、きっと「衝動」が必要です。自分でも説明がつかないくらい、非合理な衝動が。
あの感覚は「衝動」という言葉が最も近いかもしれない。
これは後から考えてきれいに言語化できるような感覚ではなかったです。自分でもよくわからない。「わー!」って内面が爆発して、気付いたら行動してた、という感じでした。
でも、自分の今までの人生を振り返ると、Webデザインへ興味を持つようになった伏線は以下でした。
しかし、これは自分で言うのもあれですが、綺麗にまとまり過ぎだと感じています。デジハリの説明会を申し込んだ時のあの感覚はうまく説明できません。

久保田涼子さんの存在
インタビューにも書いてありますが、上記略歴の2008年にある「Webデザイナーの友人」とは、クリエイターでありデジハリのトレーナーをやっている久保田涼子さんのことです。


写真が懐かし過ぎる・・・(笑)若い! けど、今とあまり変わらないか・・・(笑)
当時、彼女とは一緒にバンドをやっていて、曲も一緒に作ったりしてました。
今でもよく覚えているエピソードとして、ある日の深夜2時に「たけっち、曲できたよー!イントロとコードどうしたらいい・・・?」って電話が掛かってきて、電話越しにピアノ弾き語りで聴かされた時。
それが後ほど「星空のワルツ」という名曲になりました。
彼女のことは学生の時から知ってましたが、卒業後はデジハリで勉強してクリエイターとして活躍していました。デジハリのインタビュー記事を読んでて、かっこいいなーと彼女の生き方への憧れは確かにあったと思います。
当時、バンドの宣伝用にとブログを作ってくれました。

イラストは、彼女の友人である久美子さんが僕をイメージして描いてくれました。ベースの弦を弾いている手の存在感!和の雰囲気もあるけどモダンで、野性ある線の躍動感!そんな久美子さんの感性がすごく好きでした。
涼子さんは広島出身ということもあり、直接戦争のことを知らない第三世代に向けて戦争のことを伝える第三世代が考えるヒロシマ「 」継ぐ展のプロデューズなどをしていますが、元々プロデュースの才能がありました。誰と誰が合うのか、この人とこの人を組み合わせたら良い相乗効果が生まれそうとか、そういう「人を見る目」がありました。
そんな彼女の作ってくれたブログにせっせと記事を書いてました。
最初は宣伝目的で演奏スケジュールとか書いてましたが、やがてそれも書かなくなり、音楽活動を通じて感じた内面のことを段々と書くようになってきました。
そして、神奈川県海老名市に住んでいた頃に書きためた6年間分の記事を、自分で編集・まとめたものが自伝になりました。
その自伝を出した後、
「もし彼女がブログを作ってくれなかったら自伝もできなかったな・・・」
と、ふと彼女のことを思い出しました。久しぶりに連絡を取って、その時はお茶して美術館に行きました。
今、思うとそれも前兆のひとつだったんだなと思います。その時は自分がデザインを学びたいとか何をやりたいのかよくわかってなかったのですが。
闘病、出会いと別れ
闘病のことはここに書きました。グロテスクな写真があるので閲覧注意です。
昨年1月に作曲家の林さんが鍼灸院の院長を紹介してくれました。色々な治療法を試したけどうまくいかず、鍼灸に最後の望みをかけて通い始めました。
なんとそこの院長も、僕と同じ病で過去に苦労されていたことを知り、びっくりしました。
院長は気さくで明るい人で、当時身体がボロボロで気持ちが塞がりがちだった僕の心を和らげてくれて、施術中の会話も楽しく、良い気分転換になりました。
しかし、僕の症状は鍼灸では治りませんでした。これは鍼灸が悪いというのではなく、当時の僕の症状があまりにもひどく、喩えるなら大火事が起こっている状況でして、鍼灸ではその火消ができなかったということです。
そこで西洋療法にも理解ある院長が「治せなくてごめんなさい」と仰りつつも(こうやって真っすぐに謝ってくれる院長のお人柄にも魅かれるところがあります)、「まずは薬で炎症(火事)を抑えた方が良い」と薦めてくれて、もう精神的にも肉体的にも限界だった僕は、元の西洋療法に戻すことを決意しました。
後にデジハリの卒業制作でここの院のWebサイト制作を打診したのも不思議な縁を感じます。
このサイトのことも後日noteに書こうと思います。今はこのサイトのWordPress化を頑張ってやっているところです。
薬が効いて身体も元気になってきました。しかし、その後に離婚のこともありました。
「このまま闘病の時みたいに、ただ痒みと痛みに耐え続け、気持ちも落ち込んで、じっとするしかなかったら死んでしまう」と、その時に衝動的に選んだのがWebデザイナーへの道でした。
しかし、デジハリで説明を受けてる時も、自分の年齢に悩んでいました。
その時スタッフさんからは、「元々やっていた電気制御設計の仕事をやりながら副業みたいな形でWebデザインをやるのが良いかもしれませんね」と言われ、現実的にそうだよなぁと感じていました。
デジハリの入学を涼子さんに連絡したところ、「年齢は関係ないよー」「デジハリは、自分の生き方にデザインのスキルをどう当てはめて、どう自分らしく生きるかを考えるスクールだから、今のあなたにはピッタリなのでは?」と背中を押してくれました。
とりあえず頑張ってみよう!と思ったのでした。
自分自身にかかった呪いを解く旅へ
昨年は4月に岐阜へ、9月に徳島へ行きました。そのことは自分のサイトに書きました。
画家の榊さんのブログによると、昨年2024年は辰年であることがわかります。
2024年は辰年、辰年は一般的に大きなことが起こる年、「辰」は陽の気が動いて万物が振動する、動きが盛んになるということの象徴であるという。
そして2024年は甲辰(きのえたつ)。甲は十二支の最初の文字であり、物事のはじまりを意味している。この甲と辰が合わさる2024年は勢いよく活気溢れる年、上昇の勢いがあり、上昇していく年と言われている。
今思うとすごくエネルギーに溢れてました。岐阜へはコントラバスを抱えてライブをし、徳島には夜行バスで移動してさらに60km以上の道のりを自転車で旅するという・・・
デジハリでの勉強もそうですが、辰年と自分自身のエネルギーがリンクしていました。
岐阜の庭文庫の百瀬さんと、徳島の画家の榊さんは、僕の中では勝手にソウルブラザーだと思ってます。その魂の兄弟に会うための旅であり、自分にかかった呪いを自分で解くための旅だったと言えるかもしれません。
こうした物理的な旅を経て、今現在は内面の旅を探求しているという状況でしょうか。
修羅の感情
離婚した直後は悲しみと悔しさと怒りの感情に溢れていました。「修羅」の感情と言えるかもしれません。
こうなると人間関係も難しくなりますよね。特に共通の友人知人だった人達にはどう接したら良いのかわからなくなる。相手側も驚いたり困惑していると思います。特に自伝の1章に書かせてもらった人達はそういう人達だったので、自伝はもう過去のことになってしまいました。
その修羅の感情から、「今に見てろよ!見返してやる!」みたいな怒りをエネルギーにして勉強していました。ルドンの「読書の女」にある赤の色彩のようにメラメラと燃えていた。
しかし、これでずっとやっていくには自分自身に呪いをかけるようで無理があります。
作曲家の林さんからは
苦しくて受け入れがたいと思うことも、自分に与えられた十字架だと思って、感謝して受け入れてください。 きっと奇跡が起きるでしょう。
というアドバイスをいただきました。そして、蝶が脱皮する時の話をしてくれました。その時、蝶は自分自身の問題だから独りで脱皮しないといけない。
誰か助けてくれる人を待つような受け身の姿勢ではなく、自分自身の力で行動を起こして解決(脱皮)しないとダメなんだ、ということでしょうか。
私は創作舞踊の根拠を求めてのたうち回ったので、個人として誕生することの根の深い苦しみを凝縮してしまった感がある。それは蛹の中の生命が、一度は自分を溶かして解体し(つまり一度死ぬ)、そのご新たな形になって生まれ出るのに、なんと似ていることか。
— 最上和子 (@walhallahlaw) March 1, 2022
蛹の中でドロドロになって溶けている時、蝶は自分のその次の姿を知識で知っているわけではなく、つまり次があると予定調和して脱皮するのではなく、ただそうあるしかないものとして死に物狂いなだけだろう。死にながら生きるためにもがいている。
— 最上和子 (@walhallahlaw) August 3, 2025
蛹の中でドロドロになって溶けている時、蝶は自分のその次の姿を知識で知っているわけではなく、つまり次があると予定調和して脱皮するのではなく、ただそうあるしかないものとして死に物狂いなだけだろう。死にながら生きるためにもがいている。
もしも未来が感じられるとしたら、それは体(存在)全体が「予感」「予兆」「前方への余韻」そのものとなっているのだろう。視覚として見えているわけではなく。曰く言い難い予感のようなもの。
将来とか未来とかは、そういうものではないか。今を目一杯生きていないとそれは感じられない。目一杯生きるということは、未来をそのうちにすでに含んでいる。何も案ずることはない。そんな感じかな。
今思うと、闘病していた頃は物理的に皮膚がドロドロに溶けていたし、僕は一度死んだのかもしれません。闘病していた3年間は蛹の時期だったかもしれません。
舞踏家の最上さんの言葉が、まさに当時の僕の状況を言い表しています。
「前方への予感」という光に向かって身体がただただ突き進んでいる感じでしょうか。とにかくがむしゃらに生きていた。そうだった。
檀上和尚とコラボしていたPICOさんのブログ。正直こういうノリは苦手なのですが(^^; 本質をついていると思います。
痛みを伴い
涙を流し
それでも私たちは生きていくのです
大きくステージが変わる時だから
芋虫がさなぎになる時には
一旦は全てが壊れます
すべてが壊れて
まったく新しい
蝶と言う姿になって
生まれ変わるのです
不平不満を言ってはいけません
悪口を言ってはいけません
いまあることに感謝しましょう
いつも笑っていましょう
人を応援しましょう
起きてることに何の意味もありません
意味をつけるなら幸せの意味にしましょう
バカみたいに笑っていられる人に
なりましょう
人から
あの人鈍感だよね
あんなことされて
腹立たないのかしら?とか
あんなことがあったのに
笑っていられるなんて変よね?とか
言われちゃいましょう
全部ネタにして
笑ってしまえ‼️
その時こそ
あなたはすべての世界を
最高!にできる人になるのです
世菜さんだったか誰かのストーリーズにこの方の動画があって、ぐうたらな感じのキャラが面白い。見てみたらかなり当たっていた!やっぱり星の影響は変えられないですね。
「人生全てが笑いになる。ネタになる」って、上記のPICOさんの話にも通じますね。
人生は、近くで見ると悲劇だが、遠くから見れば喜劇である
https://www.instagram.com/reel/DF2XSwOP7Mz/?utm_source=ig_web_copy_link&igsh=MTd4bzAwY3Zhc2ZlZg==
↑ チャップリンのスマイル
許すというか、その人の幸せも祈るとか、ネタにして笑うとか、まだ今の僕にはそういう境地には正直いけてません。
修羅の感情は以前より大分和らいだと思うのですが。
でも、物事をあの人が良い・悪いとか善悪で考えてしまうと見えなくなってしまうものがある。
善悪の完全な線引きはできない。それでも区別は可能だし、自分の人生に対して真剣であろうとするなら、善悪を区別し、自分を善いものにしようと努めることを惜しむべきではない。ただし、誰かを悪だと非難したり、自分を善人だと思ったりするとき、私たちは自分の善良さを無条件に信じてしまい、自分の中の悪さについて目をつぶってしまいがちだ。誰しも完璧な人間ではないのだから、自分の中に望ましいとは言えない後ろ暗い部分があるだろう。その点に気をつけながら、試行錯誤しつう自分なりに善を追求するのがよい。
言葉で思考すると、どうしても難しい部分があります。幸いにも僕は音楽をやっているので、音によって思考から離れて、毎朝アヴェマリアを弾きながら、善悪を超えたところで幸せを祈っています。
思うより行け。行動にしろってことですかね。僕の名前には空海から与えられた「行」っていう字があるから。
音楽は、目に見えない存在への、自己への、光を求める祈り。Blues。マリアは、無意識の中に求める永遠の母性、優しさ、みたいなもの。マリアの眼差しが注がれる。死者を、僕から離れていった人を、別れた人を、今まで出会った人を、マリアと名付け、その人達に出会えたことへの感謝と、その人達の未来の幸せを祈れたら良いなと思っています。
アーティストの世菜さんと瀀さんが「春光呪詛」という宮沢賢治の言葉を引用していました。そして、世菜さんが米津玄師の歌詞をあげていたのをたまたまストーリーズで見かけて、僕はクリオのプレゼンの最後の方に引用させてもらいました。
人が宣う地獄の先にこそ
わたしは春を見る
春と修羅とか春光と呪詛とか、矛盾を抱えつつも善悪を超えようとする営み。
ソウルブラザーに会うための旅と、デジハリでの勉強をがむしゃらにしたことで、己の修羅を燃やしたのかもしれません。
暑いので外出したくなかったけど、呼ばれてる気がしたので行ってきた。移動でクタクタだわね。
— Hiroyuki Ohtake (@bamboobasstake1) July 21, 2025
図録だと、妖怪のような樹だったり、有名な蝋燭や月のモチーフがストイックな印象を勝手に感じていた。
でも、実際に観ると牧歌的だった。寛大で大らかだった。 pic.twitter.com/sg9fdOdRhV
先日、高島野十郎の展示に行ったのですが、たくさんある作品の中で、一番感銘を受けたのは「春雨」という作品でした。偶然にも「春」という言葉が。今まで書いてきたものとリンクしてますね。
この作品を前にした時に、ムッとした湿気が身体の中から沸きあがってきて、作品で描かれた風景の中に自分が立っている気がしました。 色使いとか地味なんですが、何でこんなに魅かれるんだろう、わからない。不思議でした。 厳しい冬を耐え、これからやってくる春の訪れを感じさせるものでした。
恐らく、無意識で修羅を駆け抜けて行った先に出会った光景と通じるものがあったのかもしれません。
お互いにとって必要な別れだったのだ、と今では思っています。

見えないものがカタチになっていくクリエイティブな経験
演奏会のフライヤー制作
2013年~
会社関係の室内楽団に所属し、広報を担当。
この経験を通じて、デザインに興味を持つようになる。
インタビューにもありますが、前職で人間関係とか仕事とかで苦しんでいた頃に室内楽団に入団して、毎週水曜の仕事終わりに会議室で皆と楽器を練習して、終わったら呑みに行くという経験には救われました。遅くなった青春を味わっているような感覚でした。
そんな楽団で、当時の団長から広報係に任命され、年に1度自主開催している定期演奏会のフライヤーを制作していました。
それが音楽とはまた違った脳の部分を刺激されるようで楽しくて没頭していました。当時はイラレのスキルもなかったのでエクセルで作っていました。細かいところは400%に拡大して・・・(笑)
自分が良いと思ったデザインのフライヤーを色々収集して、それを真似しながらやったりしていましたね。



小学生の頃に友達と妖怪退治漫画やプロレス漫画を描いていたのですが、その頃の感覚を思い出すような楽しさ・没頭感。




この経験も今につながる前兆だったと思います。
アクセサリー作家へネックレスのオーダー
2020年
アクセサリー作家にネックレスをオーダーし、その制作に対する姿勢に強く感銘を受ける。
こちらの自分のサイトにもこのように書きました。
インターネットの森の中(旧Twitter)で、樹の絵をたくさん描いている画家を見つけました。それが榊さんでした。彼の言葉は光を放っているようで、「あぁ、この人は真実を言っている」と直感的に思いました。
言葉は光だと思います。榊さんをはじめ、僕が敬愛する人達の言葉は光でした。
そして、彼から紹介されたのがfugueの繭さんでした。
僕の曖昧な言葉から対話を重ねてくれて、素材となる木と石が行きたい流れを、ひたすら待ちながら聴き、想像以上のカタチにしてくれた繭さんとのやり取り。見えないモノがかけがえのないカタチになっていくことを体験した始まりでした。
彼女はアクセサリーで「見える音楽」を奏でる作曲家。さらにはユーザーの「想い」という見えないものをカタチにしてくれる錬金術師のようだと思いました。

僕はこの時に本質的なヒアリング、聴く力というものを初めて体験しました。
見えないものがカタチになっていくクリエイティブな過程があり、強い喜びみたいなものを感じました。
制作したのは繭さんでしたが、下記に「共同創造」と繭さんが仰るように、二人の相乗効果があってできあがったものでした。
テレパシーみたいな感覚ってほんとうにあるんだなと感じました。
単に身に着けるアクセサリーとしてではなく パッションやインスピレーションとが巡りゆく 共同創造という本質的な面で 大変印象的なオーダーでした。
石牟礼道子さんの「苦海浄土」のように、相手の語ったことが作者の中に憑依し、その作者の身体を通して新たな物語が生まれていく感覚にも通じるかもしれません。
先述した庭文庫の百瀬さんの「うた」にも、その「聴く力」を体感というより全身で浴びました。
自伝の制作
2023年
ブログの記事をまとめ、拙著「光の樹」を自費出版。
ブックデザインを手掛けてくれたデザイナーに強く感銘を受ける。
上記のブックデザインを手掛けてくれたデザイナーは、鈴木光太郎さんでした。
出版社のオーナーさんも、僕の自伝は「鈴木さんの良さが一番出てる」「大竹さんの演奏を聴いた時の感動が、制作時の姿勢に出ている」と仰っていました。




僕は音楽もやっていたので、今まで参加したCD情報とか動画のQRコードを掲載する案もあったのですが、鈴木さんが「この本は文章だけでいきましょう」と提案してくれて、結果的にシンプルで、自伝のタイトルのように木洩れ日のような光を感じさせるものになりました。
文章の後に余韻のように写真だけを配置する。
それぞれの章毎に青・緑・赤の光の三原色を使う。
装丁は、そのRGB(光の3原色)が混ざると白になることから白にする。だから表紙の一葉が水晶のように際立つ。
これらも鈴木さんからの提案でした。
そして、表紙に使われた一葉のエピソード。これはオーナーの不二子さんが玉川上水の緑道で拾ってくれたものです。

この本作りも、前述したfugueの繭さんとの共同創造に通じる経験でした。
様々な制作経験を経て
これらの経験を通して、いくつかのものは僕がクライアント・制作してもらう側でしたが、今度は逆に僕が制作してみたい!と思うようになりました。
当時はそれが具体的に何なのかよくわかりませんでしたが。
伝える力
―― その中でも、大竹さんを採用する決め手は何でしたか?
門脇さん: “伝える力”があるという点ですかね。大竹さんのプレゼンテーションはとても印象的でした。営業経験や卒業制作のエピソードなど、「お客様の心をどうつかむか」がとてもリアルで。ただ“作れる人”ではなく、“伝えることができる人”だと感じました。
ミュージシャンとして活動されていた経験があるからか、話し方に温度や情感がある。Web制作の現場では、「なぜこの表現なのか」を言語化して伝える場面が多くあるので、その点で非常に魅力を感じました。
また、面談時から誠実さが伝わってきて。「この人なら安心して現場を任せられそう」と思えたのも大きかったですね。
エーウイングさんとの出会いのきっかけとなったクリエイターズオーディションのことはここに書きました。
なんで採用してくれたんだろう・・・って思っていたのですが、社長のインタビューを一緒に横で聞いててその理由がよくわかりました。
これはデジハリさんの取材があったからこそ引き出せたお話だと思います。「伝える力」! 有難いです。
クリオの懇親会の時に社長と初めてお話しました。
その時は自分で制作したサイトの説明(上記の鍼灸院のサイト)を求められ、舞い上がっていて何をしゃべったかよく覚えていなかったのですが、社長としてはその時の印象が良かったみたいですね。
もうデザインとか悩みに悩んで産みの苦しみがあって制作したものだから、「なぜこのデザインにしたのか」無意識状態で自然に説明することができた。自分の身体に身体化してたんでしょう。
上記の涼子さんが作ってくれたブログに記事を書き続けた経験。それが後々デザインの説明に必要な言語化や「伝える力」を鍛えていたんだなと思い、改めて自分自身の発見になりました。
人生すべてつながっていますね。
社長も当時ミュージシャンを目指していたことを知りびっくりしました。
この社長のインタビューにも書かれていますが、音楽に通じるクリエイティブは何だろうと考えて辿り着いたのがWebサイト制作だったようです。
上記の鍼灸院のサイト制作で経験したことですが、ヒアリングをしてデザインをどうするか悩んでいた時は作曲に通じる行為だと感じましたし、その産みの苦しみを経た後は、まるで楽器を演奏する時のように、スーッと流れるようにデザインすることができ、それは演奏行為と結びつくような気持ちよさがあり、音楽との関連性を感じました。
人生いろいろありましたが、様々な方々との出会いによってクリエイティブな制作における「本質」の部分をつかむことができたのは貴重な経験でした。出会いに感謝します。
これからもその本質に到達するためのスキルを磨いていきたいと思ってます。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
