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【霞始靆随感禄】迷いを越えていく

黒田明臣さん撮影

ジャッジメントとは、審判を下す、または、判断・判定するということ。


その中の判断とは、以下の通りです。

1.物事の真偽・善悪などを見極め、それについて自分の考えを定めること。

2.吉凶を見分けること。占い。「姓名判断」

3.《judgment/〈ドイツ〉Urteil》論理学で、ある対象について何事かを断定する思考作用。また、その言語表現。


そう、人は、絶えず、

「選択」

をし、

「判断」

を下しています。


それは、物事を進めるためであり、また、ある一定のルーティンの中において。

「趣味の社会学 文化・階層・ジェンダー」片岡栄美(著)

それは、

「スムーズ」

であり、また、ある種の

「平和」

であり、

「効率的」

な行為でもあります。


それらは、自分で選択したものもあれば、与えられた解釈も存在していると思われがちですが、それ事態も、実は、自分が選択したものなんですよね。


例えば、世に溢れている占いやタイプ分けなども、安定材料のひとつかもしれません。


無論、そのような解釈や判断に助けられることも、往々にしてあると思われます。


ただ、そこに留まり続けてしまうと・・・

人や物事を、多方向から捉えることが難しくなってきます(^^;


例えば、

「今日は人の嘘に振り回されやすい1日になるでしょう」

と言われたら、それで、私たちは、どんな1日を過ごすのだろう?かと、例えば、こんな本を参考にして、

「嘘」(PHP文芸文庫)北國浩二(著)

「当事者は嘘をつく」小松原織香(著)

「「嘘をつく」とはどういうことか 哲学から考える」(ちくまプリマー新書)池田喬(著)

「嘘と孤独とテクノロジー 知の巨人に聞く」(インターナショナル新書)吉成真由美(著)

「嘘の真理(ほんと)「 (講談社選書メチエ)ジャン=リュック・ナンシー(著)柿並良佑(訳)

「誰もが嘘をついている~ビッグデータ分析が暴く人間のヤバい本性~」(光文社未来ライブラリー)セス・スティーヴンズ=ダヴィドウィッツ(著)酒井泰介(訳)

「ずる 嘘とごまかしの行動経済学」ダン・アリエリー(著)櫻井祐子(訳)

「われわれはなぜ嘘つきで自信過剰でお人好しなのか 進化心理学で読み解く、人類の驚くべき戦略」ウィリアム フォン・ヒッペル(著)濱野大道(訳)

「平気でうそをつく人たち 虚偽と邪悪の心理学」M・スコット・ペック(著)森英明(訳)

考えてみるのも面白いと思います。


もし、仮に、その様な状況下であれば、人に対して、1日中、疑心暗鬼で過ごすことになるのでしょうか?

それとも、今日は、落ち着いて、確認しながら過ごそう、と自分の行動を見つめることが可能なのでしょうか?


「与えられた解釈」

「選択と誘導の認知科学」(認知科学のススメ)山田歩(著)日本認知科学会(監修)

「選択の科学 コロンビア大学ビジネススクール特別講義」(文春文庫)シーナ アイエンガー(著)櫻井祐子(訳)

「選択しないという選択 ビッグデータで変わる「自由」のかたち」キャス・サンスティーン(著)伊達尚美(訳)

から取る行動を、

「自分の選択」

だとせずに、過ごすとしたら、その人自身は、いったいどこへいくことになるのでしょうか?


「ひとつの見方」

で、

「ジャッジ」

し、

「物事」

を捉え、時に、

「自分で作った枠」

を、自分へも人へも、押しつけてしまうことがありませんでしたか?


いったい、それは、なんのために?


その一方で、一旦、

「自分が選択をしたもの」

に、いつまでも

「迷い」

を持っていると言うことは、

「選択したことに対する責任」

を、持っていないことになります。


この

「迷い」

を、別な視点で考えてみれれば、

なにかを選んだとき、以下の様な、

・果たして、この選択は、これでよかったのだろうか。

・誰かを傷つけていないだろうか。

・もっとできたのではないのか。



「色んな可能性」

を考えてしまい、上手くいこうが転けようが、ことの大小に関わらず、こんな風に感じてしまうことがはったはず。

その行為は、

「次の一手」

を生むことになったとしても、それでも、そこには、

「選択したことに対する責任」

を果たす気持ちが、乏しいと考えられます。


つまり、けっして、

「完璧主義」

ではないのだけれども、とことんやったと、一瞬思えても、どうしても、

「他の可能性」

があったのではないだろうか、等と、考えてしまうことって、ありませんでしたか?


いったい、なんのために?


「迷いを越えていく」

ことは、とても怖くて、色んなフィルターをかけてみたり、判断に揺らいでみたりと、それ自体は、人ならば、当然のことだと思います。


ただ、そこに、

「固執する」

のは、厳しめに判断すれば、どちらも、

「わたし」

「楽」

になりたいからです。


そう、人は、常に、

「言い訳」

「今日も言い訳しながら生きてます」ハ・ワン(著)岡崎暢子(訳)

を用意しています(^^;


いっさいの

「後悔」

のないように、なんて、どだい無茶な話ですよね(^^;


そうであるならば、

「こうだろう」

「もしかしたらこうかもしれない」

も、一旦、脇において、

「解釈」

「判断」

も、一旦、追いやって、実際に起こっている

「出来事」

「目の前にいるその人」

等、

「客観的な事実」

に対して、心に、その瞬間、起こった感情(ただそこにある)を素直に感じて、

「解釈」

「判断」

も、その後でも良いって思います(^^)


そう、やっぱりと、

「同じ解釈」

をしてしまうのか、

「あて?こんなところもあるのかあ」

なんて、こんな考え方もあるのよね、ってするのか(^^)


「判断」

「迷い」

とは、さも、矛盾しているかもしれない様に感じるけど、

「ただそこにあるもの」

の前では、それ以前のものとは、別の解釈が生まれるかもしれませんよね。


だって、

「後悔」

「失敗」

のない、

「人生」

って、あるのでしょうか?


確かに、

「間違い」

は、正すことができるけど、決めていないことは、

「手放す」

こともできません。


「彼は○○だから」

「わたしは△△だから」

も、必要に応じてOKだけど、それだけでは、たぶん、とても

「窮屈」

だと思います。


自分の

「直観」

「直観を磨く 深く考える七つの技法」(講談社現代新書)田坂広志(著)

は、大事にして、

「しなやかに」

「軽やかに」

そして、

「逞しく」

迷いを越えていきたいね(^^♪


古い

「価値観」

「枠組みを」

破壊して、新たな世界の中で、普遍的な

「価値観」

「理想」

を創造してみて下さい。


「変わるこ」

それは、これまでの自分を

「否定する」

ものではないし、自分で自分を超えていく事であり、そう、わたしの

「可能性」

は、わたしが創る以外に手はないのだから・・・


わたしはわたしのやり方で、生きていくのだから・・・

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