「勝てばいい」じゃない——関東第一が甲子園に導かれた理由~ターニングポイントとなったあるエピソードとは?
2024年の夏の甲子園決勝、延長タイブレークの末に惜しくも京都国際高校に敗れて準優勝となった関東第一高校。前回のページでも書いたように、1994年に夏の甲子園に出場して以来、長い低迷期がある。ただ、2001年に米澤が監督に就任すると、1年目の東東京大会でベスト4、2003年秋の東京大会では準優勝を果たすなど、着実に成績を上げていく。しかし、甲子園にはなかなか手が届かない。米澤監督としても勝って甲子園にいくためにはどういたらいいのか、もがき苦しんでいた時期があった。
今からちょうど10年前の2015年、オコエを擁して夏の甲子園ベスト4。準決勝で東海大相模に敗れたその年。関東第一の試合を見ていてあることに気づいたことがある。それを今、振り返ってみたい。
甲子園は“呼ばれる場所”——関東一高が示した誠実という底力
雨が降りしきる甲子園でスコアボードを見上げる。3-10。2015年8月19日甲子園の準決勝。関東第一(関東一高)は東海大相模に敗れた。
それでも甲子園ベスト4という成績は、これまでベスト8が最高だった関東一高の歴史を塗り替えた。そしてなぜかすぐまたこの場所に戻ってくるだろうという気がした。全国ベスト4という成績は、決して偶然などで果たせるものではない。関東一高というチームは甲子園という場所に導かれ、その舞台にふさわしい、聖地からも愛されたチームだったのではないかと思う。
帝京戦で感じた“予感”
思い返してみると一番強く‘その予感’を感じたのは、帝京高校との東東京大会準決勝、2-2の同点で迎えた7回の攻撃のときだった。先頭の五十嵐がセンター前ヒットで出塁。その後、2死2塁の場面となり、帝京高校はここで1番オコエとの勝負をさけ、敬遠策を選択する。次打者の井橋がレフト前で期待に応えると、二死満塁という絶好のチャンスでバッターボックスに回ってきたのがキャプテンの伊藤雅人だった。
伊藤は入学当初から米澤監督に大きな期待をされた選手であり、1年夏の大会から背番号5をつけてサードのレギュラーとして試合に出場し続けていた。しかし、その夏の大会では準決勝で先発の中村祐太(広島→西武)が二松学舎大付に打ち込まれて1-8の8回コールド負けで敗れると、2年の夏は同じく準決勝で帝京高校に4-12の大差で8回コールド負けを喫している。だからこそ、最後の夏にかける準決勝の突破、打倒帝京という想いは誰よりも強く、チームを引っ張る主将という立場としても大きな責任を感じているに違いないと思っていた。
しかも今年の東東京大会は、昨年から2季連続で甲子園出場を果たしている二松学舎大付が優勝候補の筆頭と思われていたが、その二松学舎大付は堀越に大会早々で敗退。その意味でも準決勝の帝京戦が最大の山場であり、この試合に勝つと5年ぶり夏の甲子園がぐっと近づくことを意味していた。
そんな状況で迎えた東東京大会の準決勝、同点の7回である。2死満塁という場面で打席に立った伊藤は、帝京・稲毛田のスライダーを叩くと、ボールは右中間を突破。これが走者一掃のタイムリー3塁打となり、5-2と大きく勝ち越しに成功する。5年ぶりの夏が大きく見えてきた一打に、神宮の1塁側スタンドのボルテージは最高潮に達していた。
当然、打った伊藤は3塁ベース上で大きなガッツポーズを繰り返す、高校野球ではよくみるシーンがそこにあるだろうと想像していた。しかし伊藤はガッツポーズをするどころか、まるで試合形式のバッティング練習でもしているのではないかと思わせる姿で3塁ベース上に立ち、とても落ち着いた顔をしているのだ。不思議だと思った。最後の夏、準決勝、帝京戦、勝ち越しのタイムリー。こんな誰もがシビれる場面で最高の結果を示したにも関わらず、凛とした顔でガッツポーツひとつせず、淡々とグランドを見つめている。試合はまだ終わってない、主将として相手にスキは見せれない、3塁ベース上からベンチに向かってそう言っているようにもみえた。
なぜガッツポーズにこだわるのか?
ここで感じた‘予感‘というのは、その伊藤の立ち居振る舞いから感じる見えない底力のようなもので、それが今の関東一高の強さを示していると思えたのだ。
だから東東京大会の決勝で日大豊山を破り、5年ぶりの優勝を果たしたとき、甲子園ではこの伊藤雅人を中心とした関東一高の選手たちの立ち居振る舞いに注目しようと思っていた。
8月11日。甲子園の初戦となった2回戦の高岡商との試合でも感じた印象は同じだった。どうしても先制点がほしい初回、1死3塁の場面で3番の伊藤はレフトへ先制タイムリーを放つ。さらに3回に回ってきた第2打席では、レフトポール際に3ランホームランを叩き込んでいるが、いずれの打席とも伊藤はガッツポーズひとつすることなく、淡々とベースを回っている。それが甲子園においても「関東一高の底力」を一層引き立たせ、得点差以上の力強さを感じたのだ。
なぜ、ここまでガッツポーズや選手の立ち居振る舞いに注目しているかというと、それには理由がある。
関東一高は1994年に夏の甲子園に出場して以来、長い低迷期がある。ただ、2001年に米澤が監督に就任すると、着実に成績を上げていく。しかし、甲子園にはなかなか手が届かない。米澤監督としても勝って甲子園にいくためにはどういたらいいのか、もがき苦しんでいた時期があった。
だからもし、今の関東一高にターニングポイントというものがあるとしたら、それは2007年夏の東東京大会準決勝における帝京戦ではないかと思う。3-7というスコアで7回雨天コールドで敗退した試合である。
「勝とう」と思う前に、「勝つにふさわしいチーム」になる
「心をつかむ高校野球監督の名言」(著・田尻賢誉、ベースボールマガジン社)という本の内容から一部引用させてもらう。
それは「逆だったらどうだった?ガッツポーズしてただろ?だから勝てねーんだよ」というタイトルで始まる。
まさかの試合終了だった。2007年夏の東東京大会準決勝。関東一は帝京との大一番を迎えていた。春の大会では準々決勝で対戦して6-20で6回コールド負け。甲子園にいくために「打倒・帝京」が合言葉だった。しかし5回までに1-7とリードされた。雷の音が近づいた5回からは高野連が用意した木製バットを使用する異例の措置。2度中断してグランド整備をしたが、嵐のような豪雨でグランドが沼のようになり、ホームベースは泥水で見えないほどだった。それでも7回、関東一は反撃をみせる。ヒットや四球、相手の暴投などで2点を返した。
ところが7回終了と同時に試合は3度目の中断に入る。徐々に雨は弱まり、空も明るくなり始めていたが、大会規定で試合の成立する7回を終了していたこともあり、32分後に降雨コールドゲームが宣告された。審判団の判定に納得のできない関東一ナイン。本塁前の整列に加わらず、グランドに帽子を叩きつけて悔しさをあらわにする選手もいた。スタンドからは怒号が飛び、球場正面入り口には納得のいかない関東一ファンが殺到したため、帝京ナインは裏口から帰る異常事態だった。
しかしこの時、米澤監督は「こんな形で試合が終わるなんて3年生がかわいそうだな」と思う一方で、帝京との決定的な差を痛感させられていた。
「帝京の選手と前田監督をみて、大きな差を感じたんですよね。帝京にはガッツポーズをする子もいないですし、前田さんが拍手しているわけでもない。粛々と整列されて、頭を下げていたんです」。
試合は関東一が反撃ムードの流れが来ていただけに、米澤監督としても当然悔しさが残る。しかし帝京に対して野球だけでなく、態度や振る舞いでも差を見せつけられては、見過ごすことができなかった。
そこで米澤監督は新チーム結成とともに、選手たちにこう言ったという。
「お前ら逆の立場だったらどうだった? ガッツポーズしただろ? だから勝てねーんだよ。スタンドもそう。だからダメなんだ。勝てばいいじゃないだろ」
帝京の選手たちの態度や立ち居振る舞いの差が甲子園に出れない要因と考え、そこからチームの考え方、野球に対する姿勢について方向転換を図った。まずは「勝とう」と思う前に「勝つためにふさわしいチーム」になろう。そう選手たちに投げかけたのだ。
すると不思議なことが起こる。この新チームは夏の大会で負けた前のチームに比べると戦力は落ちると思われていたが、センバツをかけた直後の秋の東京大会で優勝を果たす。
もちろん、これは夏の悔しさを引き継いだ新チームの選手たちの頑張りによる優勝だが、これで翌年の春の選抜が確定すると米澤監督としては初めての甲子園、関東一としても14年ぶり(選抜は21年ぶり)の甲子園出場となり、重い扉をこじ開けることになる。
無念の雨天コールド負けした相手を気遣い、ガッツポーズひとつすることなく勝っておごることのない帝京。一方、負けたことを雨のせいにして周りに悔しさを当たり散らしていた関東一。その差を強く感じて選手たちに気づきを与えた米澤監督。同じ東東京のライバルである帝京の姿をみて学び、そして関東一高は強くなった。
だから2015年の東東京準決勝、伊藤の勝ち越しタイムリーヒットを打ったあとの彼の毅然とした姿をみたときに、本当の意味で帝京高校に追いつき、勝ち切ることできたのではないか、という気持ちになったのだ。
米澤が選手たちに一貫して言っているのは「野球は敵とやっているんじゃない。仲間とやっているんだ」ということ。「例えば試合中に相手とぶつかったら謝れと。普段から敵はつくっちゃだめだろ」という話をしているという。
試合に出れない選手たちの気持ちを、ちゃんと理解してるのかな
米澤は関東一高の監督に就任して間もない25歳のころ、「高校野球の監督は指導者であると同時に、教育者でもなければならない-」と話していたことがある。
「 時々、考えることがあるんだ。試合に出れない選手たちの気持ちを、自分はちゃんと理解してるのかなって。勝つことだけを目標にすれば、方法はいくらだってあるよ。でもね、そういうギリギリの選手たちの気持ちを汲む努力って、指導していくうえで絶対必要だと思うんだ」。
「ベースボールバイブル」というブログがある。このブログの代表を務める東万人さんは、敦賀気比高校・東哲平監督のお兄さんでもあり、ご自身も敦賀気比OBで社会人野球まで経験、「本気の野球人に最高の情報を届けたい」という趣旨でこのブログを運営している。
唯一、甲子園に行く方法とは?
そのなかで、「甲子園は呼ばれる場所である」というタイトルの記事があった。その内容によると、「甲子園というのは行きたいから行ける場所ではなく、甲子園というのは呼ばれる場所だ」というのだ。「どんなにあがいても甲子園に呼ばれる選手と呼ばれない選手がいる」。そして呼ばれない選手というのはひとつ大きな特徴がある。
それは「誠実じゃない」選手だという。不思議だがそういう選手は甲子園に呼ばれないのだ。
「どんな練習をするよりも誠実であること。それが唯一、甲子園に行く方法だと選手たちに教えている」と東さんはいう。
この話を読んで、なるほどな、と思った。
関東一高の選手たちは米澤監督のもと、キャプテンの伊藤を筆頭としてプレーを通してとても誠実なようにみえた。野球に対して、仲間に対して、対戦相手に対して、そして自分自身に対して、とても誠実に取り組んできた。だから聖地に愛され、甲子園にふさわしいチームという印象を与えたのではないか。そして甲子園に呼ばれるか、呼ばれないかは選手だけでなく、監督もまた同じはずだ。
2015年夏のベスト4に続き、2024年夏は優勝まであと一歩のところまできた。そしてそこにたどり着くために何が必要かは、米澤監督をはじめ次の世代の選手たちが見つけ出すだろう。そしてまた近いうちに甲子園に必ず戻って来る。全国制覇にふさわしいチームとして。
