ぼくはそのひとのさひはひのために
彼の眉尻が下がり、両手に嵌められた幾何学的な紋様の手袋が、ばちりと雷気を帯びた。
臨戦態勢だった。
フィンの総身に、緊張が走る。彼とことを構えた場合、自分に勝ち目はあるか? 戦術妖精の電磁制御能力で、彼の拘束術式にある程度のジャミングをかけることはできる。だが、とても普段どおりに動くと言うわけにはいかない。加えて、フィンの錬金登録兵装は、その動作原理に電磁力が関わっていないものがない。拘束術式の応用で、兵器の作動を封じられる可能性すらあった。
さらに、〈道化師〉の切り札がそれだけということもないだろう。シャーリィ殿下を庇いながら、殺すことなく制圧しなくてはならないのだ。
――やるしかないんだ。
小さなこぶしをぎゅっと握りしめ、口を引き結んだ。
瞬間。
「おおおおおおおおおおッ!!」
裂帛とともに、木陰から飛び出してきた影が、巨大なハルバードを振りかぶった。
リーネ・シュネービッチェン。
フィンは目を輝かせる。彼女は魔力なる不可解なエネルギーによって肉体を動かしている。〈道化師〉の拘束術式が効かないはずだ。
彼女と二人がかりならば!
だが。
「元素変換――雷吼箭」
〈道化師〉は即応する。蛍光色の魔法陣を展開して雷撃の槍を放った。
空中にいて回避ができないリーネに向かって、一直線に撃ち込まれる。
雷光が激しく明滅し、女騎士の姿が見えなくなった。
「リーネどのーっ!」
後ろでシャーリィが声もなく叫ぶのがわかった。
〈道化師〉がここまで攻撃的な力を持っていたとは予想だにしていなかった。
ところが。
「効かんわぁっ!!」
彼女は雷撃槍などなかったかのように、そのまま〈道化師〉に斬りかかった。
白髪の少年の目が、見開かれる。
爆撃じみた一撃が〈道化師〉のいた地点を砕き散らし、土砂が噴き上がった。
そこから五歩離れた場所に着地した少年に、さらに追いすがって横薙ぎを一閃させる。
「おっとと」
優雅に宙返りして回避。重力を感じさせない不思議な身のこなしだ。電磁的な斥力場を活用しているのだろう。
そして――リーネの周囲を、奇妙なものが取り囲んでいた。
白い紙が四つ浮いており、それぞれに「阿迦陀」「須多光」「刹帝魯」「蘇陀摩尼」と描かれている。
フィンには読めないし意味もわからなかった。リーネの周りを回っているのではなく、彼女がどちらを向こうが特定の方角を示しつづけているようだった。
「ソーチャンどのの雷避けの呪法だ。〈道化師〉、きみの手管はもうわたしにはひとつたりとも通用しないぞ!」
「まいったな。もう対策を取られちゃったのか。困ったな」
さほど困ってもいなさそうに、苦笑する。
「いや実際、魔法攻撃まで封じられるとあなたに対抗できる手段が僕にはもうないんだ。思わぬところで詰まされたな。まさかあなたに負けるとは思わなかったよ。正直見くびってた」
「戯言はいい! 今度は両手足を折らせてもらう! 覚悟してもらおうか!」
「この期に及んで殺すとは言わないんだね。優しいと言うより、甘いな。そんなだからギデオンはあんな風になってしまったのに」
「や、やかましい! か、簡単に殺すとか殺されるとか言うんじゃない! どうしてそんなに命を軽く扱うんだっ!」
「――僕が骨を砕かれたぐらいで止まるとでも思っているのかい?」
一段低い〈道化師〉の声に、リーネは目に見えて狼狽える。
「あなたは今すぐ僕を殺すべきだ。そうしなければ必ず後悔することになるよ」
「うぅ……っ」
「リーネどの!」
フィンは声を上げる。
「フィ、フィンどの……その、大丈夫なのですか?」
「ご心配をおかけしたであります。えっと、〈道化師〉どのと話がしたいであります。彼が逃げ出さないように、見張っていただけますか?」
「そ、それは構いませんが……」
油断なく神統器を構えて警戒するリーネの前で、フィンは〈道化師〉と相対する。
彼女の存在が抑止力となって、ようやく対話ができそうだった。
「その……〈道化師〉どの」
「なにかな?」
「あなたは、この場に何をしに来たのでありますか?」
「うん? ヤビソー氏が施した結界呪法を破壊して、煉獄滅理を溢れ出させ、もって森の生態系に回復不能なダメージを与えて滅ぼし尽くすつもりだけど?」
「どうして……」
「どうしてって、僕の目的は別にして、ギデオンの主張自体には賛同しているからに決まっているだろう? だいたい――」
「どうしてやりたくないことを意固地になってやろうとしているのでありますかっ!!」
〈道化師〉の目が、見開かれた。
「あなたはぼくを友達だって言ってくれるけれど、ならばどうしてご自分の胸の内をぜんぜん教えてくれないのでありますか!? あなたがそんなひどいことなんてしたくないことぐらいわかっているのでありますっ! 胸は痛んでいるはずなのに、苦しい気持ちを抱えているはずなのに、どうしてぼくになんにも相談してくれないのでありますか!?」
たまらなかった。もうそんな理由ですれ違ってしまう絆を見るのは嫌だった。
「苦しい思いを胸に抱え、助けを求めず、打ち明けることなく、こうだと決めたルールにしがみついて――」
そして、さよならすら言えないまま、ははうえと永遠に別れることになった。
守ることはおろか、そばにいてあげることすらできなかった。
怖かっただろうに。痛かっただろうに。
そのことを思うだけで、フィンは心が砕けそうになる。シャーリィがぎゅっと手を握ってくれなければ、今でもうずくまって泣き叫んでしまいそうだ。
そんな思いを、この人にはしてほしくなかった。こんな自分を、友達だと言ってくれたこの人には。
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