星よ。壮絶に物語れ、この夜を
尋常な生物であれば体中の水分が気化しかねぬほどの虚空の高みにて、膿と腐汁を撒き散らしながら黒き飛竜が星空を飛行している。
その周囲には、醜い人面を持つ鳥型魔獣たる屍食鳥たちが舞っていた。いずれも肉が腐れ、一部骨格が露出している。
天空を統べる王者のごとく悠然と羽ばたく飛竜とは対照的に、羽虫めいて無秩序に飛び回っていた。
月の光が、それらを無慈悲に闇から浮かび上がらせている。
満天の星空のもとで見るには、あまりにも醜悪な光景であった。
黒き飛竜の背に、ひとつの人影が座している。仮面をつけた、長身の人物。周囲の屍食鳥や混沌飛竜とは比較にならぬほどに昏く、深く、絶望的な負の存在感が、その男からにじみ出ていた。
だが、一点だけ、暴力的なまでの活力に満ち溢れた存在があった。仮面の人物の背に括りつけられた、異形の大剣。赤黒い光が脈動する、暴虐と殺戮の魔導剣。
その嗜虐的に歪んだ刃が、軋るような音を立てた。
「猛っているのか? それとも私を殺したいのか?」
ギデオン・ダーバーヴィルズは、揶揄するように声をかける。
極限の熱量を孕んだ殺気が、圧を増した。背中に太陽が出現したかのようだった。
「変わらんな、お前は」
低く笑う。この姿になっても、悪鬼の王の有様は何も変わらない。怯懦も、甘えも、嘘もない。
お前のように生きたかった。お前のように在りたかった。
男として生きるか、父親として生きるか。ギデオンは、そのどちらも選べなかった。
「教えてくれ、ヴォルダガッダ。どうすればお前のように、自らが本当に欲するただひとつのものを見分けることができるのか。私は――見分けられなかった。今でも正直わからぬ」
ただ脳裏によぎるのは、毒を呷って息絶えた娘の姿。
即座に駆け寄って、毒を吐き出させようとしたシャラウとは対照的に、ギデオンはその場に崩れ落ち、呆然と見ていることしかできなかった。
すでに光を失った瞳が、ギデオンと合った。
その瞬間から、シャロンの無念が、絶望が、この自分に宿り、突き動かしはじめたのだと。それだけは、確かにわかった。
昏い炎が、その瞳の中に灯る。
「さあ、終わりを始めよう、ヴォルダガッダ。神統器に見初められしその猛き魂が本物であるなら、私に力を貸せ。今宵、お前の望みどおりにオブスキュア王国は滅び去る。〈道化師〉も万端に手筈を整えているだろう。我ら三人で始めたことだ。我ら三人でけりをつけようではないか」
――シャラウ。
生前、ただひとりだけ愛した女を想う。
――君はシャロンのことについて、誰のせいにもしなかった。
ゆえに自分のせいにするほかなく、ゆえに女王としての在り方に自らを縛りつけて本心を殺すよりほかにどうしようもなかった。
――だがシャラウ、それはただの逃避に過ぎない。私たちはそろそろ目を覚ますべきだ。
何も憎まぬなどということは、どだい不可能なのだ。
かの女は、森の中しか知らぬがゆえに、あまりにも明白な真実が見えないのだ。
ギデオンは、知っている。どうすれば良かったのかを。どうすればシャロンは無念の死を迎えずに済んだのかを。
――最初は、私も自らに責を問うた。私の体に流れる薄汚い血が王家を穢し、シャロンのような魔力に不足する子を成すに至ったのだと。すべては私のせいなのだと。さっさと王家から縁を切って、自らに引導を渡すべきなのだと。
だが、シャラウを見初めたる君臨の神統器、〈永遠の森に安らう大輪〉の権能によって、ギデオンは愛する女の夫であり続けることを強制されてしまった。命令遵守の呪いは強固であり、精神力で抗えるものではないのだ。否、仮に抵抗が可能な代物だったとしても、自分はそれに抗えなかったであろう。愛しく、恋しかったのだ。その気持ちだけは誓って本物だった。
彼女の愛に包まれながら、亡き娘の無念に心を引き裂かれ、自らにけじめをつけることもできない無様さに打ちのめされる日々。
だがギデオンは、その恥辱を甘受した。自らに相応しい罰であると、観念した。
こういう時、女は強い。愛娘の悲劇を胸にしまい、ともかく未来のために行動ができるのだから。
シャラウが第二子を懐妊した時、ギデオンは刑が執行される時が来たのだと悟った。第二子もまた、魔力に不足を抱えているのだろう。そうなればさすがに王家を蝕む害悪が放置されるはずがない。ケリオスあたりが汚れ役を買い、きっとこの身を始末してくれる。王家の存続のためには、それだけが正解なのだ。
だが――生れ落ちた子には、何の不足もなかった。抱き上げたその小さな体には、瑞々しい魔力が充溢していた。
ギデオンの中で、何かが破綻した。何か途轍もなく致命的な事実が突き付けられたように思えたが、それが何なのか、ずいぶん長いことわからなかった。
ただ、シャイファと名付けられた第二王女を育てる大業にしばらく忙殺され、真剣に考察する余裕はなかった。
ゆっくりと成長してゆくシャイファ。照れ屋で意地っ張りなこの娘を、いつしかギデオンは心から慈しむようになった。
赤らんだ頬をむくれさせてそっぽを向く娘を抱き上げるとき、幸福すら感じてしまっていた。
だが――胸の底で、違和感が残りつづけた。自分は何か、重大な事実から目を背けているのではないか、と。
決して許されざる怠惰に身を沈めているのではないのか、と。
違和感は、年々大きくなっていった。
新たなる姫君を皆で蝶よ花よと愛でながら、オブスキュア王国は少しずつ悲劇の傷から回復しつつあった。
シャロンのことを、忘却の淵に追いやりつつあった。
ギデオンだけが、忘れることができなかった。未来に進むことができなかった。心の時間は、シャロンの遺体を目の当たりにした瞬間に囚われ続けていた。
――シャラウ。どうして私を置いていく。
――君に置いていかれたら、私は。
そう感じてしまう自分の気持ちを自覚したとき、ギデオンは深く恥じた。間違っているのは自分の方なのだから。いつまでも過去に囚われてどうする。いつまでも悲嘆にくれてどうする。しいて自分にそう言い聞かせた。
言い聞かせている時点で、本心ではないというのに。
こちらもオススメ!
いいなと思ったら応援しよう!
小説が面白ければフォロー頂けるとウレシイです。