どこにも行けなかった男
愛する女は、すっかり笑顔でいることが多くなっていった。小さなシャイファと一緒にままごと遊びをしながら、幸福の光が全身から立ち上るようだった。
美しかった。眩かった。愛しかった。ついていけなかった。
哀しみを分かち合えるはずの女に、置いていかれた。シャラウを愛する気持ちが変わらぬまま、ギデオンは孤独を深めていった。
この状況はおかしい。何かが破綻している。
その思いは消えることなく、徐々に強くなっていった。
やがて、優れた魔力量を誇るシャラウは、第三子の懐妊の許可を森から授かった。二人きりで、久しぶりに母ではなく女の顔になって見つめてくるシャラウ。蠱惑的に濡れた瞳が近づいてきた時、ギデオンは囚われた。応える以外に、どうしようもなかった。
――どうか。
そして、願った。願ってしまった。
――どうか、生まれ来たる第三子よ。
王夫として、男として、親として。
恥ずべき、浅ましき、手前勝手な、その願いを。
自覚してしまった。
――どうか、魔力に不足を抱えていてくれ。
そうすれば、シャラウはまた一緒に哀しんでくれる。愛する女と、また同じ場所に立てる。
シャロンの悲劇を、自分のせいにできる。
その思いが、すべての根源であった。ギデオンは、悲劇に対して納得を得たかった。シャイファが生まれるまでは、納得できていたのだ。自らを呪い、罰を下していれば、それで良かった。それは疑問をさしはさむ余地のない、完璧な理屈だった。
だが――シャイファの誕生によって、その理屈は破綻した。
――もしも。
必死で目をそらしてきた、その感情。
――もしも、健常な子が生まれてきてしまったら。
そのときこそ、自らを罰する理屈は、完膚なきまでに崩壊する。シャロンの非業には、なにひとつとして納得のいく因果関係などなく、本当にただひたすら何の意味もない理不尽であったということになってしまう。
「私は……ッ」
指が鉤状に強張り、仮面を押さえた。
今でもまざまざと思い返す。
自らの憎悪が、確たる形を成し、ぶつけるべき対象を得てしまった、あの瞬間を。
シャラウの腕に抱えられる、嬰児。
黄金の髪と、ぼんやりと光る碧眼。立ち昇るほどに豊かな魔力の波動。
無垢な目で、こちらの頬をぺたぺたと触れてくる、その赤子と対面した瞬間を。
――シャロンは。
そうして、ギデオンは悟った。
――森に殺されたのだ。
エルフたちを緑の牢獄に閉じ込め、魔力を搾取しつづけ、それができぬ女には残酷な仕打ちで応え、自らの子を抱くという当たり前に得られるはずだった幸福を取り上げつづける、この恐ろしく巨大な怪物を。
……ギデオンは、憎悪し、嫌悪した。
震える足で、シャーリィと名付けられたその赤子から後ずさる。
可憐で、透明で、幽遠な、その眼差しが恐ろしかった。
――やめろ。
その眼は、ギデオンに問いを突き付けてくるようだった。
そんな気持ちを抱えたままで、わたしの父親面をするつもりなの?
始祖アウラリスの特徴を色濃く受け継ぐ、まさに森の化身とも言うべき第三子。だが――ギデオンはシャーリィを憎むことはできなかった。そうだ、これは生まれ落ちたばかりの嬰児。そんなことを考えているわけがない。これは自分自身が考えたこと。
――こんな気持ちを抱えたままで、この子の父親面をするつもりなのか?
――シャイファの父親面をするつもりなのか?
――シャラウの夫としてのうのうと生きていくつもりなのか?
到底、無理だ。
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