日が沈んでも、星が瞬かなくても、
――フィンくんの世界は、恐らくすでに壊滅してゐる。制空権と遠隔通信手段を完全掌握されて、戦いになどなるはずがない。
すぐに、動けた。
シャーリィは、あらかじめ知っていたから。
――人類が絶滅してゐるかは微妙なところだが、少なくともセツ防衛機構は完膚なきまでに叩き潰され、文明は崩壊してゐることだろう。
総十郎は、フィンの話だけで、その事実まで辿り着いていたから。
美貌の青年の目を、思い出す。託すような、縋るような、その目を。
――この事実をどうするのかは、殿下に任せようと思う。小生では、彼を救えない。だが、あなたならば……
駆け寄る。
ゆっくりと崩れ落ちようとしている少年の体を、すんでのところで抱き留める。
そして、死んでしまった声帯で、精一杯大きく、満身の思いを込めて囁きかけた。
――あなたはひとりぼっちになんかならない。なぜならわたしがいるから。わたしがずっと、ずっと、ずぅっといっしょにいるから。フィンくんが大人になっても、おじいちゃんになっても、フィンくんのお母さんがしてあげられなかった分まで、ずっとこうして抱きしめるから! だからお願い、壊れないで!!
ひゅうひゅうと、木枯らしのような息に交じって、必死にそう呼びかけた。
だけど、この小さな男の子の魂は、今にも消え失せてしまいそうで。抱き締めた拍子に砕け散ってしまいそうで。
どうしていいのかわからなくて、焦りばかりが募って。
衝動的に、少年の唇を奪った。
「っ!?」
予想外の感触にびっくりして、フィンの意識はこちらに引き戻されたようだった。
シャーリィは唇を離し、じっとフィンの目を見る。
虚無を湛えた茶色の瞳に、徐々に光が戻ってきた。
「ぁ……」
その目尻に、大粒の涙が、震えながら膨らんでゆく。
「ぁ……あ、あ……」
そして顔が引き歪み、
「う、うああああああああああああああああああんっ!! あああああああああああああああああああああんっ!!」
決壊。シャーリィの胸に抱きついて、盛大に泣き声を上げた。
エルフの姫君は、慌てて抱き留めた。
「ははうえええええええええええええっ!! あああああああああああああっ!! ははうえええええええええええええっ!!」
少年は、なりふり構わずシャーリィにしがみつき、すがりつき、泣きじゃくった。
死人の魂が溶け出るような冷たい涙ではなく、母親の死を悲しむ、十歳の子供の涙だった。
恥も外聞も振り捨てて、助けを求める涙だった。
哀しい。苦しい。助けて。
彼が今まで必死に抑え込んできた、すべてのモノが、この瞬間に噴き出していた。
――だいじょうぶだよ。つらかったね。がんばったね。離さないよ。さみしかったね。誰にも言えなかったんだね。ずっとこうしてようね。
精一杯の力で抱き返し、精一杯の気持ちを込めて囁きかけつづけた。
「ぐすっ……ひっく……おうち、かえりたい……ははうえに、あいたい……っ!!」
願いのささやかさに、哀しさに、シャーリィは涙した。
どうしてこの子ばかり、つらい目に遭うんだろう。どうしてこの子が好きになった人から死んでしまうんだろう。
その不条理に対し、自分は抱きしめることしかできなかった。
●
「……ぼく、ぼくね、いちどだけ、ちちうえとははうえに、遊びに連れて行ってもらったことがあるの」
――うん。
「それでね、屋内庭園で歩きながらね、ちちうえに肩車してもらったの。すっごくたのしくて、緑がいっぱいで、わくわくして、どきどきして、となりでははうえはニコニコ笑ってて、うれしくて、うれしくて、照明がまぶしくて、ずっとつづけばいいのにって、思って……」
――うん。
「でもね、楽しいことを知っちゃうと、あとがつらいってこと、ぼく、そのときに覚えたの。すぐに次の出撃命令が来て、ぼくとちちうえはアルコロジーの救援に向かって、カイン人をいっぱい殺して、いっぱい仲間と民間の人たちが殺されて、いつもは泣いたりしなかったのに、そのときはとても、とても――」
シャーリィの胸に顔を埋めて、嗚咽する。
ほっそりした腕がフィンの背中をさすり、頭を愛おしげに撫でてくれた。
「それで、ちちうえを見たの。ちちうえはいつだって大きな山みたいな人だったから、今だってきっとどうということもないんだろうなって思って。お姿を見ればきっと、立派なたたずまいで、勇気をもらえるはずだって。……でも、そうじゃなかった。ちちうえの目は、そのとき、少しだけ赤くなっていたから。ちちうえも、つらいんだってわかって……」
きっと規範を示してくれると信じていた存在が、ふいに自分と同じ弱さを見せたとき。
フィンが抱いた気持ちは、安堵でも共感でもなく、足元が崩れ去るような不安だった。
「楽しいことがあったせいで、ぼくも、ちちうえも、弱くなっちゃった。それがあんまり怖くて、怖くて。それから二度と、遊びに連れてってなんて言えなくなって……笑いかけるのも、なんだか怖くなって……」
顔を上げて、シャーリィを見る。
ぼんやりと光る瞳は、今ではもう、怖くない。フィンと同じ涙で濡れていたから。
「でも、そうやって臆病になって、笑顔がなくなっちゃったら、ははうえはきっと、さびしかったんだと思うの。そんな簡単なことを、今の今までぜんぜん気づかなくて、きっとははうえは苦しくて哀しかったのに、ぼくとちちうえだけ〈軍人〉っていう殻に閉じこもって、外に目を向けないで……それで結局、さびしい気持ちをひとりで抱えたまま、誰にも言えないまま、ははうえは……」
彼女の肩に顎を乗せて、すらりと流れる黄金の髪に鼻先をうずめた。
「でも、そうやって自分を守らないと、ぼくは立っていられなくて。結局、どうすればよかったのか、ぜんぜんわかんなくて――」
目を閉じる。新たな涙が零れ出る。
「――やさしさが、こわかった」
彼女の祭祀服を、ぎゅっとにぎる。
「この世界では、カイン人なんかいなくて、みんなやさしくて、でもぼくは元の世界にいつかもどらなきゃいけなくて、それがたまらなく怖くて、怖くて、怖くて――でも、ソーチャンどのは、選ぶことが大事なんだって言ってた。もどるのか、のこるのか。その決断を、自分の心でやるんだって」
――それで、どうする?
フィンは。
弱い自分を自覚した。
弱いから、軍人と言う殻に閉じこもったことを、認識した。
殻の奥に縮こまっていた、自分の心を見た。
臆病で、卑怯で、一人では立っていられない、さびしがりの、ただの子供を。
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