種は割れた
「そして――ついに入ってしまったね。この空間に。ようこそ、真実へ」
「真実とな?」
「正常な因果律のことだよ。誰かに恣意的に歪められたのではない、原因と結果の粛然たる連なりが織り成すタペストリーだ。無為ゆえに、美しい」
「まるでここの外は間違った世界とでも言いたげであるな。」
「そうだよ? だから僕は、それを正したいと考えている」
「思い上がった考えである。世界に正解や間違いなどない。「あるべき姿」など、存在しないのだ。」
「ならば変えても別にいいよね? あなたが言っているのはそういうことさ。虚無主義なんて無力だよ。――ところでギデオン? 僕がこうして時間稼ぎをしているのはあなたの助太刀を期待しているからなんだけど? さっさと斬り捨てちゃってよ。今なら殺せるから」
「む……」
ギデオンとて、できるものならとっくにそうしている。
だが、〈道化師〉と違って、幽鬼王に浮遊静止する能力などない。空中に実体化することはできるが、その瞬間に落下が始まる。
ならば青年の真上に実体化して〈黒き宿命の吟じ手〉を下に突き出せば良いのだが――
青白い光を帯びた紙人形が、ヤビソーの頭上で円環状の陣形を組んでいた。詳細は分からないが、非常に剣呑なものを感じる。
「ふむ、物質を媒介にした呪術ならば、この領域でも効果を発揮するわけか。あくまで空間そのものに何らかの意図を付与する力のみが消去対象、と。」
青年は艶やかな笑みを浮かべる。
「詰んだな、お主ら。時間切れである。」
「ソーチャンどのーっ!」
幼く真っ直ぐとしたその声が、〈道化師〉の顔から余裕を完全に剥奪した。
●
総十郎との間で、〈道化師〉の力の正体を徹底的に議論し、仮説のすり合わせを行っていたフィンにとって、彼はもはや対処可能な敵であった。
――あれは魔法でも超能力でもない。極めて広範かつ精密かつ強力な電磁場制御能力だ。
蛍光色の幻影は、何らかの手段で大気を半導体化し、エレクトロルミネセンス反応を励起させた結果である。
拘束術式は、人体の神経網の電位差に干渉し、脳からの命令を体が受信できなくなることによって引き起こされる。
空中浮遊能力は、単純にクーロン斥力の緻密な調整によるものであろう。
すべて歴然たる物理現象。〈道化師〉を名乗る少年は、フィンの世界の基準からしても驚嘆すべきテクノロジーの使い手なのだ。
だが――限定的ながらも、フィンはその能力に対抗する手段を備えていた。
「特殊支援分隊、ソーチャンどのを救出するでありますっ!」
命令のもと、即座に戦術妖精たちが飛び出す。総十郎を取り囲んで、翅から電場を展開。電磁的縛鎖を破壊する。
「――シィッ!」
鋭い呼気とともに神韻軍刀が鞘走り、柄頭が〈道化師〉の顎を打ち抜く。芯を捉えず、かすめるように命中したため、反動で脳が揺さぶられ、意識が弾き飛ばされた。
「他愛なし。」
ぐったりとした〈道化師〉を抱き留めながら、総十郎は足場となる霊符を空間に張り付かせ、軽やかに着地。
「……あぁ、本当にね」
いきなり目を開いて、青年の顔面に手を伸ばす〈道化師〉。完全なる不意討ちだったが、反射速度は明らかに総十郎が上だった。ギリギリのところでその手首を掴みとる。
「君は……」
さすがに瞠目する総十郎。
「なるほど。僕がどういう存在かについて完全に理解されているわけじゃないんだね。脳みそを気絶させただけじゃあ僕は止まらないよ。そしてもう一つ良いことを教えてあげよう。この領域ではあなたは無敵じゃない」
瞬間、総十郎の肉体が大きく痙攣した。
「あ……がッ……」
不随意運動。白目を剥き、やがてぐったりと手足が垂れ下がる。
フィンは愕然と目を見開いた。
電磁場制御能力。極めて広範な。それはつまり、肌で触れ合っただけで強力な電流を流し込めるということなのでは?
「正直なところ、あなたを真っ先に排除できてとてもほっとしているよ。さようなら、鵺火総十郎。あなたは断じて僕より強かったよ。ただ、この歪律領域での戦闘について知識が足りなさすぎたね」
自らの手首を掴む手を外し――いとも無造作に、総十郎の体を放り捨てた。
幽骨の床にぽっかりと空いた大穴へと落下してゆく青年。
「ソーチャンどのーッ!!」
フィンは、自分の見ているものが信じられなかった。
あの人は負けない。
あの人は、絶対に誰にも負けるはずがないのだ。
それは絶対の前提として、フィンの中に刻まれていた事実だった。
その絶対にありえないことが目の前で起きた時、フィンは一瞬何をすればいいのかわからなくなった。
こちらもオススメ!
いいなと思ったら応援しよう!
小説が面白ければフォロー頂けるとウレシイです。