窮地
だが、とにかく受け止めなくては。
咄嗟に斬伐霊光を放射して銀の網を形成し、意識なき総十郎の体を受け止めた。
「――ほう、足場を作ってくれたか。ありがたいことだ」
その絶望的な声とともに、ギデオン・ダーバーヴィルズが滅紫の幻炎とともに実体化した。網の上で陰鬱な佇まいを見せる
自らの足元で白目を剥き、断続的に痙攣する総十郎を冷酷な目で見下すと、闇色の魔剣を逆手に持ち、切っ先の照準を青年の心臓にぴたりと合わせた。
「ッ!」
フィンにできたのは、斬伐霊光の網を分解して足場を消すことだけだった。黒き剣尖が総十郎の心臓を貫くまでのわずかな時間に凶行を確実に止めるには、それ以外なかった。
再び落下。
視界から消えた総十郎に、フィンは呻きとも悲鳴ともつかぬ声を漏らしながら穴のふちに駆け寄った。
ぞっとする。穴は王城を縦に貫き、真下の大暗渠にまで至っていた。彼方で小さく水しぶきが上がり、意識のない青年が暗い水面に沈んでいったことを知らせる。
「あ……ぁ……」
おかしい。こんなことはありえない。何かの間違いだ。どうして。なんで。うそだ。うそだうそだうそだ。
「あぁ、哀しいね、フィンくん。でも現実ってのはこういうことさ。特に何の意味もなく人は死ぬんだよ。大して無残でも、厳かでも、劇的でもない」
隣で誰かが何かを言っている。
「きっと僕は君に嫌われてしまうな。君の屈託のない笑顔が好きだったけれど、もう僕には向けてくれないのだろうね。哀しいけれど、仕方がない。君の怒りは正当なものだ。だけどねフィンくん、これだけは言っておくよ。たとえ君に憎まれようと、僕は君を救うつもりだ」
「……あなたは、ソーチャンどのが、キライだったのでありますか……?」
「いいや? 思いやりが深くて、ユーモアがあって、聡明な人だ。こんな出会い方でなければ、友達になりたかったな」
自分が眠るまで、じっと手を握っていてくれた、あの温もりが胸を去来する。
彼の優しい目と、繊細な思いやりを。
フィンの世界に赴いて、共に戦うとまで言ってくれた。
自分が元の世界に戻る機会を失ってしまうかもしれないのに。
「そんなの……おかしいでありますよ……! 誰も誰かを憎んでなんかいないのに……悪い人なんていないのに……なんで……なんで……!」
「甘ったれるなよ、少年」
底冷えのする声が、すぐ近くで漂った。
「悪人がいなければ争いが起こらないとでも? お前はどれほど甘っちょろい世界から来たのだ? 実に羨ましいことだな」
「……っ……」
「待って、ギデオン。彼に当たるのはやめてくれ」
〈道化師〉の制止を振り切り、フィンは振り返った。
「ギデオン・ダーバーヴィルズどの……あなたは、誰かを憎んで、今回のことを起こしたのでありますか……?」
「憎んでいないとは言わない。だが復讐など無益だ。私は必要なことを成すためにここにいる。そういうお前は何なのだ? この国の存亡などお前にはどうでも良いことのはずだ」
「軍人として、牙持たぬ人々への狼藉は看過できないであります……」
「何だ、それは。ふざけているのか。お前はそんな理由で私の前に立ったのか――!」
虚空からいきなり腕が生えてきた。フィンは胸ぐらを掴まれ、ギデオンの属する非物質領域へと引きずり込まれた。
強制的に、霊体化させられた。
思わずもがく。感覚としては水中に没したかのようだったが、それよりも遥かに底冷えのする感覚だった。手足を見ると、ほの白い炎のようなものに置き換わっている。フィンは人型の炎となって虚空にあった。何もかもが曖昧で、ぼやけた世界。
目の前に、黝い霊魂の塊がある。冷たい怒りの色彩だった。
だが殺意はない。ここでは加害行為そのものが発生しえない世界のようだった。
胸ぐらを掴む手を通じて、互いの記憶や感情が流れ込んできた。
ギデオン・ダーバーヴィルズという男の想いが、愛が、憎しみが、哀しみが、絶望が。
余さずフィンの魂を打ちのめした。
同時に、ギデオンも、また。
〈――何だと?〉
遠い反響のような声がした。愕然とした響きだった。
〈お前――〉
それの声はやがて、氷柱のように鋭く、冷たく、ゆっくりと心臓に伸びてきた。
〈……我が娘から……シャーリィから……魔力を奪ったのか……? 出産権を奪ったのか……?〉
〈あ……〉
〈エルフの女たちが夢にまで見る生涯の幸福を、奪ったのか……?〉
〈そ……れ、は……〉
〈シャロンと、同じ境遇にしたのか……?〉
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