わるだくみ
「オンディーナに張り付かせていた〈虫〉が破壊されたみたいだ」
〈道化師〉は、空中に見えない椅子でも浮かんでいるかのように腰掛けながら、薄らと微笑んだ。
「〈聖樹の大門〉のひとつが力を取り戻し、あの周辺領域の転移網が復活した。速やかにオークたちはあそこから撤退させた方がいい」
「あァ? ザけてんのカ〈道化師〉テメェ……」
黒き鋼鉄の具足が荒々しく地面を踏み砕いた。
見上げるような巨躯の悪鬼が、巨大な顎を軋らせる。
全身の負傷はぞんざいに布が巻かれ、ひとまず出血は止まっていた。斬り落とされた左腕は――驚くべきことにきちんとくっついている。
だが、違和感があった。
左腕の緑色が、他の部分の緑色と比べて、やや明るいのだ。それに、健在な右腕に比べるといささか小さく思えた。
「……その腕どしたの? 斬り落とされた左腕は回収しなかったよね? さっきの今で生えたりするの?」
「そのへんの舎弟の腕ぶった切ってくっつけタんだヨ。んなこタどうでもイイだロ〈道化師〉テメェ、撤退だァ? 脳みそ湧いてんのかヨ。お断りだナ」
「やれやれ、それはいちオークとしての意見かい? それとも神統器所有者としての意見かい?」
斬り込むような指摘に、ヴォルダガッダ・ヴァズダガメスは不快げな唸りを上げて黙る。
舎弟から奪ってくっつけたという左腕が、ぎりりと音を立てて握り締められた。驚くべきことに、すでに神経が繋がって自在に動くのだ。
「これまでと同じ轍を踏みたくないのなら、撤退が妥当だろうな」
第三者の声がした。
低く、深く、そしてどこか枯れ果てた声だった。
「軍事力は、戦闘力と機動力の積で求められる。オンディーナ周辺の〈聖樹の門〉が復活した以上、エルフ騎士たちの機動力はもはや翼が生えた以上のものとなった。勝ち目などないぞ。貴様の民を無駄死にさせるつもりか」
「チッ、気に入らねエ……」
負の瘴気を身に纏い、不浄なる幽鬼王が歩み寄ってきた。
「やあ〈鉄仮面〉。加勢してくれて助かるよ。まったく僕らの緑の友人は負けん気が強すぎて困る」
仮面のバイザーから覗く熾火のような眼光が、冷たい威厳を湛えて〈道化師〉を貫いた。
「……釈明を聞こうか、〈道化師〉」
「おっと、ご機嫌斜めだね」
「当然だろう。エルフたちの転移網を封ずる手段があるからこそ貴様の話に乗ったのだ。〈虫〉、と言ったか? 帝国の新兵器とやらも存外に見かけ倒しだったようだな」
「いやいや、悪かったよ。今回ばかりは僕の見込みが甘かった。まさかあれが撃破されるなんてね。わりと真面目にこの世の力では破壊不可能なはずなんだけど」
「ハッ、じゃアなにか? この世のものじゃねえチカラが現れタってか?」
ヴォルダガッダの揶揄に、〈道化師〉は自らの顎を掴んで思案する。
「……そう、だと考えるしかないかな、これは」
「はァ?」
フードの奥から覗く、大きな瞳が、強い光を湛えてヴォルダガッダと〈鉄仮面〉を見やる。
「二人とも。こことは異なる世界が存在する、と言ったら、信じるかい?」
「何言ってんだテメー?」
「……それは神々の領域のことか?」
「違う違う。そういうのじゃなくて、生きてる人間が暮らしている、こことは違うどこかの話だよ。ただし、別の大陸とかじゃない。この世界を船でどこまで旅したところで、そこには辿り着かない。そういう場所のことさ」
しばし、沈黙。二人とも、〈道化師〉の言葉の意味をいまひとつ飲み込めていないようだった。
「……話が見えてこないのだが」
「オブスキュア第三王女、シャーリィ・ジュード・オブスキュア殿下が、異世界の英雄を召喚し、協力を取り付けた。恐らくは、三人以上来ている。〈虫〉は、それら異界の英雄の誰かに撃破されたと考えられる――これはそういう話だよ」
〈道化師〉は口の端を釣り上げた。
「なんだ、それは。荒唐無稽にもほどがある」
「ところがどっこい、僕はこの目で見たんだよ。ヴォルダガッダ、君は見たどころか一戦交えただろう?」
「あァ?」
「黒い服着た、ヒョロヒョロだけどめちゃくちゃ速くて妙に強い人のことだよ」
ばぎり、と生木が砕ける音がした。
見ると、ヴォルダガッダはそばに立っている樹木を握り潰し、樹皮と中身を掌の中に握り込んでいた。
「……ヤビソーが? なンだって?」
「彼こそが異界よりオブスキュアを救うために来たる英雄の一人さ。ほら、〈鉄仮面〉。こんな人だよ」
〈道化師〉が掌を差し出すと、その上で蛍光色の蔦が絡み合って収縮し、眉目秀麗な青年の姿となった。
「……確かに妙な格好をしているが」
「そう。そして完全に未知の武器と戦技を振るい、さらに帝国魔導八芒大系のいずれにも該当しない火炎魔法を使いこなした」
青年の像は、不意に無数の蝶となって〈道化師〉の手の上を飛び回った。
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