〈それ〉が来る
「ギデオン。彼らが動いたよ。いよいよ終幕といったところだね。シャイファ殿下もついてきている。説得でもさせるつもりなのかな?」
「……」
「どうするの? 煉獄滅理って制御とかできないわけ? 大人しく彼らを待ってるってのも芸がないと思うけど」
「……」
「ギデオン?」
「……何か、来る」
「いや、だから、異界の英雄たちが、」
「そうではない。ごくゆっくりと、浮上してきている」
「何の話?」
この感覚をどう説明すればいいのか、ギデオンにはわからなかった。
だが、確かだ。何かとても良くないものが、王都直下の暗渠の底より浮上してきていた。
徐々に。嗜虐的なまでの低速で。
――思えば。
ギデオンが幽鬼王になった瞬間のことは、記憶に残っていない。暗渠に発生した渦に呑まれ、意識が途絶えたことまでしか覚えていない。
次に覚醒した時、彼はアンデッドとなっていた。
よって、昏き湖の底に何があるのか、ギデオン自身も確かなことはわからない。
と、言うよりも――
王都直下の闇色の暗渠には、名前がつけられていない。
あれほど特徴的な湖であるにもかかわらず、エルフたちは誰もこれについて言及することはなく、ここで水浴びをする者も釣り糸を垂らす者もいなかった。
禁域として指定されているわけでもないのに、近寄らず、口の端にも乗せず、名前すらつけず、そしてその異常さに誰一人として気づかなかった。
まるで、本能より以前のレベルで恐れているかのように。
ギデオンは、すでに存在しない毛穴が開くような感覚を味わっていた。
そもそも――この王都シュペールヴァルクも意味不明である。そこまで恐れられる湖の、よりにもよって真上に建立するなど。
幽骨の建材としての優秀さを加味したとしても、力学的に不自然極まりない様相である。
明らかに何かの意図をもってこのような形になったのだ。
誰が? 何のために?
何かを、封ずるために?
「私は……何をした……?」
煉獄滅理の法を浸蝕させることによって、何が起きる? 封印はどうなる?
「ギデオン? いったいどうしたのさ」
〈道化師〉の声で我に返る。
そして頭を振る。
そうだ。選択の余地などなかった。次の一万年、エルフという種族が尊厳をもって生存するには、森の機構を破壊するより他にないのだ。これより人族たちが切り開いてゆく未来において、森の加護など枷でしかない。
ゆえに、森の意志を殺した結果何が起ころうと、それは甘受すべきリスクである。
異界の英雄どもを斬り殺した後、王都直下に封印されていた何者かも斬り殺す。それだけのことだ。
心胆の置き所が、定まった。
「……まずは、英雄どもだ。迎え撃つぞ」
「あ、あぁ。それなら王城から出て王都の開けたところで待ち伏せするとしようか」
王城は純幽骨製であるため、〈道化師〉が持ち込んできた架空浸蝕の理を顕現させると床に大穴が開いてしまう。これではまともに戦えない。
いっぽう、王都の基幹は通常の樹木が絡まり合って形成されたものだ。そこでなら骨色の短剣もノーリスクで行使できるだろう。
●
総十郎、烈火、リーネ、シャイファ、ケリオスが、王都シュペールヴァルクを形成する巨樹のひとつを上りきると、異形化した街並みが一望できた。
「……うわぁ……」
ドン引き混じりの感嘆を吐く烈火。
三人のエルフに至っては、言葉もない。
穏やかで幽妖な光を宿していた王都は、今や赤黒い剣山の集合体と化していた。まるで来るものすべてを切り裂こうと言うように、街路はすべて刺々しい刃の森で満たされている。
「これでは進めませんね。気は重いですが破壊しますか」
「ふむ、それしかあるまい。」
総十郎は神韻軍刀を抜き、その鎬を幽骨の棘のひとつに軽く打ち付けた。
殷々とした音色が広がるのに耳を傾け、そこからこの変異幽骨の固有振動数を算出。精妙な手付きで刀身の切っ先近くを爪弾いた。
瞬間。
ピ、キ。
と、どこかから音がした。総十郎が唸る軍刀を掲げたまま歩み寄ると、幽骨刃群はひび割れはじめ、次々と砕け散った。
刃と化して突き出ている部分のみが共鳴し、破砕されているのだ。あっという間に周囲一帯の物理的な危険は排除された。
「参ろうか。」
一同は頷いた。
しばらく進むと、祭事や宴会に使われていたと思しき広場に出た。
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