魔王第四柱
――おや。
目を丸くして見つめている姫君に、フィンは屈託なく笑って何かを話しかけている。彼らの目線は初めて対等の高さになっていた。
すると、シャーリィの顔が見る見るうちに紅潮してゆく。
リーネの後ろに駆け込んで、隠れてしまった。
――やれやれ。本当にまったくやれやれだぞ。
肩をすくめるトウマ。
すると、フィンの背丈がするすると縮んでいった。天使化はあまり長いこと持たないようだった。見る間に小さくなってゆくフィンを前に、シャーリィの表情に余裕が戻ってきた。へにゃりと笑いながら、リーネの陰から出てきて少年の頬をぽむぽむする。
苦笑する。
その、瞬間。
視界に、よくわからないものが写っていた。何かひどく巨大なものが、クラゲのように触腕を揺らめかせつつ、空中に浮遊していた。
「え……?」
瞬間、ギデオンから発せられるものより桁違いに濃厚な瘴気が、まるで土石流のごとく押し寄せてきた。
もはや生物を死体に変えるという前準備すら必要とせず、触れた者を直接不死者へと作り変えてしまうほどの超絶的な密度をもった、闇の魔力の奔流であった。
●
――魔王、と呼ばれる存在がいる。
立場、地位、種族に関係なく、「世界を滅ぼし尽くせる力と、その意志を持つ者」に対してつけられる尊称であり蔑称だ。
史上、七柱の魔王が確認されている。
一柱は〈螺旋律の魔竜〉。
一柱は〈世界の終わりの一人〉。
一柱は〈始源者〉。
一柱は〈零より生ぜし夢〉。
一柱は〈屍毒の継嗣〉。
一柱は〈円環系の皇帝〉。
一柱は〈 〉。
だが、現在では七柱すべてが「滅ぼされるか、封印されるか、まだ誕生すらしていないか」、そのいずれかの状態にあった。
――ギアラドゥナ・ガリュンルガプという男についてわかっていることは少ない。
かつては叡智によって死を克服した人族の魔導士だったとも、神々が最後に創造した摂理の執行者であったとも言われている存在。
歪律領域覚醒者。
魔名は〈屍毒の継嗣〉。
この世にアンデッドという概念をもたらした元凶。
抱いた願いは「死後概念の否定」。啓いた悟りは「諸人、不滅たれ」。
〈螺旋律の魔竜〉がもたらした〈暁闇の時代〉のさなか、暴虐と混迷に喘ぐ世界を「全人類のアンデッド化」という手段によって救済しようと画策し、魔王第四柱の認定を受ける。生死流転の摂理を解脱したる者。
オブスキュア王家の始祖、アウラリス・ジュード・オブスキュアは、光の勇者が率いる数人の仲間たちと共に各地を転戦し、同時に顕れたる三柱の魔王を次々と討伐。しかし真なる不死者たる〈屍毒の継嗣〉ギアラドゥナ・ガリュンルガプだけは滅すること能わず、世界有数の霊地であった場所に封ずるより他になかった。
すなわち、オブスキュア王国の中心部へと。
当時そこには王都など存在せず、ただ位置的に森の中央だったというだけの場所であった。そもそも〈聖樹の門〉によって瞬時の移動が可能となるオブスキュア王国にとって、政治的中枢地など必要ない。
ゆえに、王都シュペールヴァルクは最初から封印機構としての役割を第一に考えて建立された都市だった。ギアラドゥナを湖の底に封じ、その上から死後概念そのものである幽骨構造で覆うことにより、「死後概念の否定」を根拠とする歪律領域の漏出を完全に遮断。
かくして魔王第四柱〈屍毒の継嗣〉ギアラドゥナ・ガリュンルガプは、その野望を断たれたのであった。
そのはずであった。
●
――総十郎は。
即座にこの存在の正体を看破した。オブスキュアの史書は、すでに目を通していたから。
だが、想像とはあまりに異なる異形に、いささか眉をひそめる。
それを見せられて、これは何かと問われても、ほとんどの人間は満足に答えられないだろう。
強いてそれを言い表すならば――「骨でできたシャンデリア」とでも言うしかない。
とにかく、何かの骨格が宙に浮いているのだ。
だが、どんな動物の、どの部位の骨のなのかと聞かれると、これがまったくわからない。
中央に、蟹の胴体を裏返したような形状の骨塊があり、間接部分とおぼしき球状のへこみが九つほど、本体を囲むような位置で口を開けていた。
その周囲には、骨でできた花のようなものがあった。その数、九輪。それぞれまったく異なる形をしており、半円形の板がたくさん集まってまるで薔薇のような構造を形作っているものもあれば、湾曲した鉤爪が取り囲む肉食生物の腕のようなものもあった。
それらの花々は、L字型に曲げられた上腕骨のような骨に支えられ、蟹を思わせる形の骨塊の周りに浮遊していた。
端から端までの長さは十五メートル以上ある。かなりの巨大生物だ。
上腕骨同士の合間から、細長い触腕が無数に伸びている。脊髄を思わせる蛇腹構造で、しなやかにうねりながら魔法陣めいたものを描き出していた。
そして――その中央。
骨塊の下側に、ぽっかりと孔が開いていた。その内側は死斑の浮き出た腐肉で覆い尽くされており、粘液にまみれた内部には即身仏めいた人影がひとつ。
全体的には、皮膚のない人間のような姿をしている。病的な瘧が、肉色のしゃれこうべじみた姿を包み込んでいた。
腐肉の中に下半身を埋めながら、変異して昆虫のように割れた顎を神経質に痙攣させている。
その眼は、鬼火が宿っていた。
「――余の心は、晴れやかである」
毒液が煮え立つような声が、滴ってきた。耳孔から腐液を流し込まれるような。
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