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降りやまぬ、レクイエム

  目次

 鵺火総十郎は、敗北したことが一度もない。
 帝都で〈神韻探偵〉と呼ばれはじめて以降、数知れず魔術と銃弾と刃金の飛び交うただなかを駆け抜けてきたが、引き分けやお流れはあっても敗北はない。
 とはいえ、何らかの攻撃で自らの意識が失われる可能性を想定しないわけはない。
 懐に忍ばせていた霊符の中で、武御雷の加護を授かったそれが、所有者の生命活動の低下に反応して励起。
 適切なアンペア速度ボルトの電流が総十郎の心肺を貫き、不整細動をリセット。
 カッと目を見開く。口から水泡が零れる。
 即座に水を蹴り、湖面に顔を出した。

「……ガはッ」

 懸命に咳き込み、肺から水を吐き出す。
 しばらく息を吸いたい欲求と水を吐き出したい欲求の狭間で悶え、えずき、嘔吐した。
 肉体の反射で、涙がこぼれた。

「ぐ……ぅ……」

 ようやく水を吐き出し終え、呼吸も落ち着きはじめる。
 そして――愕然とする。

「なんたる……無様」

 ひそやかな誇りを木っ端微塵に粉砕される醜態であった。
 この自分が、溺れかけ、反吐を吐き、涙を流すとは。
 自らの肉体がそんな反応をすること自体に恐慌した。
 こんなことはありえない。自分は決してこんな目には遭わないはずだ
 何の根拠もなく、そう信じ込んできた。それは絶対の前提であった。
 優雅な笑みとともに、人々の笑顔のために戦う〈神韻探偵〉。そう求められてきたし、自らに課してきた。それが崩れたことなど一度もない。
 だが――冷静に考えておかしな話である。
 神ならざるこの身で、常に無敵であり続けることなど不可能なはず。なぜそんなことを今まで無批判に受け入れてきたのか。
 頭脳明晰をもって鳴る鵺火総十郎にはあり得ない思考停止ぶりである。

「何か……あるのか? この身は、八百万の神々による加護とはまったく次元を異にする、何らかの作用が働いてゐた……?」

 それが、〈道化師〉との戦いではなくなっていた?
 自分は今まで、何か意図的かつ不条理なものに守られて在った?
 異様な寒気。
 だが、かぶりを振る。今はそんなことより上がどうなったかだ。
 シャラウ陛下をはじめとするエルフの面々は、ギデオンが王都上空にいることが分かった時点で避難させている。これは問題ない。
 問題なのは、ギデオンと〈道化師〉は王城に何をしに現れたのかということだ。
 そして何よりも――

「ッ! フィンくんッ!」

 彼をたった一人、敵の前に取り残してきてしまった。猛烈な危機感。
 懐から札を投げ打って空間に張り付けると、起風の呪を発動して飛び乗った。
 急いで上に戻らねば。ことは一刻を争う。
 その時。
 王城の側面、やや離れた位置を、真っ逆さまに落下してくる人影があった。
 思わず声を上げる。まさに心配していた少年その人であったから。
 即座に両腕を鞭のようにしならせ、札を多数投擲。瞬時に形成された足場を、迅雷の速度で駆け抜ける。
 フィンの落下先に跳躍し、空中で抱き留める。そのまま下方に呪風を解き放ちながら、札の上に着地した。

「フィンくんッ! 無事かね!」

 腕の中で、稚い少年は目を閉ざしていた。
 四肢をぐったりと弛緩させ、しかし顔は奇妙に震えていた。
 目を閉ざし、口を引き結び、そして頬には。
 涙。
 目を見開く。彼が決して泣かぬつもりであることは、この一か月の間に察していた。
 軍人としての規範か。あるいは亡父との誓いか。
 そんなフィン少年が、泣いている。
 彼が涙を流したことは本来、好ましい変化であるはずだった。今まで一度とて子供らしく我がままを言ったり泣き言を言ったりすることのなかったフィンの有様を、内心痛ましく思っていたから。
 だが――

「……っ……ぅ……」

 これは……良いのか・・・・
 十歳の少年が流してよい涙か?
 死の間際の人間が、自らの成してきたことの無意味さを突き付けられ、打ちのめされながらこと切れた際に、閉ざした眼の端から零れるたぐいの涙ではないのか?
 ぞっとするほど冷たく、魂が溶け込んで流れ出しているような、絶望の涙。

「フィン……くん……?」

 愕然とする。彼にこんな顔をさせないために、自分は戦うと決意したのではなかったか?
 これまで一度だって、自分が関わった子供にこんな顔をさせてしまったことはない。彼ら彼女らはよく泣いたが、しかし最後には笑顔を見せてくれた。それは総十郎の誇りであった。子供たちの笑顔のためならば、何を敵に回そうが欠片も恐ろしくなどなかった。
 だが、今。
 総十郎は、その生涯で初めて胸を埋め尽くす感情に愕然とした。
 無力感。
 もう、どうしようもないのではないか。手の施しようがないのではないか。生真面目で、寂しがりで、照れ屋なフィン・インペトゥスは、もう戻っては来ないのではないか。あの無垢で純粋な笑顔を見ることは、二度とないのではないか。

【続く】


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