包囲網
そこへ、シャーリィがぽてぽてと歩み寄る。
フィンの手を引いたまま、まるで物怖じすることのない足取りだった。
ギデオンは後ずさる。
「よせ、シャーリィ! 私は瘴気を完全には抑えられない。それ以上近づいてはいけない!」
再び、フィンに耳打ち。
「……『近寄らないと、父上を抱きしめられない』……と言っているであります」
「何を、馬鹿な! 愚かなことはやめなさい!」
狼狽えている。あのギデオン・ダーバーヴィルズが。
霊体化すれば済む話であるにもかかわらず、一歩二歩と後退している。
総十郎は、何かの「機」を感じた。
「……ソーチャンさま」
そこへ、もう一人の姫君が小さく囁きかけてきた。
「シャイファ殿下……」
「ごめんなさい。ソーチャンさまには、一言謝っておきたくて」
「殿下、それは。」
「心配してくれているのはわかっているし、その、とても感謝してるの。でも、無理。あれを見て、ただ見てるだけなんてダメ、できない」
「お待ちあれ殿下。」
シャイファは断固として首を振った。翡翠色のツインテールがしなやかにうねった。
「娘として、姉として、王太女として――そして何よりも、オブスキュアに生きる一人の女として。あたし、行くわ」
「ケリオスどの!」
「……ソーチャンどの。お気持ちは重々承知しておりますし、至極ごもっともにござる。なれど、拙者、賭けてみたく思います。ギデオンは……あ奴は他者の痛みを我がことのように感受する少年でござった。そのせいで、ずいぶん苦しんでいたものです。生きて、妻子と再び幸福を取り戻すことは叶わぬとしても、せめて何かの救いがあってほしいと、拙者はそう思わずにはいられない。シャイファ殿下は必ずお守りいたす。どうか見守っていてほしい」
「な……!」
背を向け、歩みだす主従を、しかし総十郎は止めることができなかった。
止める言葉を、持たなかった。フィンの復讐のために抹殺を試みた自分などよりも、二人はよほど強く、美しく思えたから。
「父上!」
澄んだ声で、シャイファは呼びかける。
びくりとギデオンが反応した。
「今から、そっちに行くわ。近づかないと、父上を抱きしめられないもの」
「何を考えているシャイファ! 死にたいのか!」
「シャーリィが向かっているのに、お姉ちゃんのあたしが指をくわえて見ていられるわけないでしょ!」
「くっ……」
身を引く動きを見せたギデオンに、総十郎は素早く言い放った。
「ギデオンどの、霊体化はされぬほうが良い。非物質領域には、いまだに浄化の霊威が残留しておる。さしもの御身も消滅は免れぬよ。」
「き、貴様……ッ!」
無論、嘘である。すでに不動明王氏の霊力は胡散霧消している。だが彼にこちらの呪術の知識などあろうはずもない。
「お願い、逃げないで、父上」
シャーリィはフィンを従え、シャイファはケリオスを伴い、少しずつ距離を縮めてゆく。
銀髪の少年が、いつの間にか幽鬼王のすぐ傍らに立っていた。
「ギデオン。これはあなたにとって最後のチャンスだ。今、このあたり一帯はすべて架空浸蝕で満たされている。あなたに染みついた補正は、完全に力を失っている。今だけは、あなたは愛する者を抱きしめられる。今、この瞬間だけは、あなたは救われうる」
「何を言っている! 私の救いはシャロンの死に意味を与えることだ! それには森を滅ぼすしかない!」
皆が、ギデオンを見ていた。ギデオンも、二人の愛娘に気を取られていた。
この場の誰もが、何かに注目し、周囲の警戒を忘れた。
――ゆえに、総十郎は、動いた。
無為にして、無想。無拍子の境地のさらに深奥、意に先んずるどころか、そもそも意を発さぬ動き。
神籟孤影流斬魔剣、雀式肆伝――〈星〉。
誰に目にも、総十郎の姿は映っている。だが、誰一人として総十郎が動いていることに気づかない。見えていながら、認識できない。
剣士として最高峰の力量を備えたギデオン・ダーバーヴィルズの不意を突くには、これしかあるまい。シャーリィとシャイファに気を取られている今こそが絶好の勝機。
総十郎は冷徹に目を細めた。成すべきことを成す。断固として。
二方向から迫りくる愛娘たちに等しく注意を振り向けながら、ギデオンは狼狽えている。正常な判断力を失っている。
その背後に音もなく回り込み――腕を一閃。
致命的な速度で、それはギデオンに向かって突き進んでいった。
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