菩提樹の修羅
ヴォルダガッダは歓喜していた。
――強ぇ! こいつ!
悪夢のように強い。地獄のように強い。
オークとしては規格外に長い二十年という生を通じて、目に付いたすべてをブチ殺してきた。
だがその中のいかなる存在よりも圧倒的に絶対的に強い。
心臓が力強く脈打ち、全身に熱いほどの生命力が充溢する。
心が浮き立つ。これまでずっと己を取り巻いてきた、見えざる縛鎖が、この瞬間は消えているのを感じた。
――そうだ、こうでなきゃいけなかったのだ。
なぜ今までこうじゃなかったのか不思議なほどだ。
ヴォルダガッダは他者と真に向き合えたことがない。周囲の舎弟どもは、どいつもこいつも鼻息ひとつで消し飛ぶような虫けら以下の存在ばかりであり、対等の立場でぶつかり合い、凌ぎ合い、殺しあえたことなどなかった。すべてのオークが抱く欲求を、自分だけはずっと満たすことができなかった。
妬ましかった。自分よりも遥かに低い次元で争い、血を滾らせ、渾身の凱歌を吠えたてることができる他の奴らが。
眩かった。なぜ自分は、ああではないのかと。
だが。
今。
「オレはッッ!!!」
焼け焦げた皮がボロボロと剥がれ落ち、赤黒い肉が露出した。全身の細胞が蠢き、刻まれ焼かれた臓腑を修復しにかかる。
大地を踏みしめ、大戦鎌を掌の中で回転させながら右に左に振るう。
駆ける。地面を蹴り砕く。快い風圧。
「今、ようやく、生きていルッッ!!!! 生きていルぞォォォォォッッ!!!!」
「――そしてこれから死ぬ。」
酷薄な目でこちらを見やる黒影が、視界の中心で待ち受けている。
光り輝く道が、ヴォルダガッダには見えていた。
オレと、ヤツを、殺意で繋ぐ道。
負の感情はなかった。ただ、歓喜と、感謝だけがあった。
隻腕に乗る得物の重みが心地よい。これをあのヒョロくさい顔面に叩き込めると思っただけで天にも昇るようだ。
ヴォルダガッダは、これまでずっと自らの心身を灼いていた憎悪と苛立ちを、ひととき忘れた。
破壊も、殺戮も、他者が存在しなければ成立しない行いだ。ゆえに、他者を憎むことの愚かしさを、ヴォルダガッダは今ようやく理解した。
むしろ感謝こそすべきだったのだ。
殺されてくれてありがとう。血反吐を吐き散らしてくれてありがとう。恐怖に慄きながら命乞いをしてくれてありがとう。臓物をこぼして苦痛と絶望に喘いでくれてありがとう。
オレと会うまで生きていてくれて、ありがとう。
この世に産まれてきてくれて、ありがとう。
腹の底から咆哮が溢れ出る。かつてない力が漲る。桁違いの濃度で廻る殺意が、周囲の精霊力と反応を起こし、ヴォルダガッダの上背から紅蓮の闇を立ち上らせた。生きるとはかくも素晴らしい。
距離が縮まる/殺意が高まる/視線が交錯する――
「ルァァァッッ!!!!」
音を立てて収縮する筋肉が、爆発的な出力を生む。大戦鎌が応えるようにヴン、と唸りを上げ、紅い光が強まった。
これより放つ一撃は、間違いなく竜の首とて斬り飛ばすであろう究極の威力を持つだろう。
弓を引き絞るように振りかぶり――
――解き、放つ。
その直前。
「――あぁ、ダメだよご両人。それはさすがに目に余る」
忽然と。
そして悠然と。
急速に間合いを詰める二者の中心に、人影が現れていた。
●
鵺火総十郎は、全身が見えない真綿に包み込まれているかのような錯覚に襲われた。
――うむ?
今まさに緑の悪鬼の息の根を止めてくれようと刀を繰り出した姿勢のまま、身じろぎひとつできない。
「行者、今搦めの綱を解き、ほと/\三途の道に放ち道ぎり。」
反射的に金縛りを解く祝詞を唱えるが、効果はない。
「ああ、違う違う。僕のこれはそういうのじゃないから」
かすかな笑みを含んだ声。男とも女とも判じがたい、しかし大海の深みを思わせる声。
その、人影。
白いローブを身にまとい、フードによって顔を隠した人影。
わずかに覗く口元は秀麗であった。あるかなしかの笑みを含んでいた。
右腕は、総十郎の刀に。
左腕は、悪鬼の戦鎌に。
それぞれ差し伸ばし、人差し指で刃に軽く触れている。
ただそれだけの動きで、白い人物は両者の激突を止めたのだ。
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