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『シュジュギア -帝都神韻機鋼譚-』 #4

  目次

「ち、父上――!?」

 異様な姿に、声が裏返る。

〈あゝ、見えてゐるのか。〉

 抱えられた生首がこちらを見、鷹揚に口を開いた。

 腰のあたりに頭があるため、ピナハは生まれてはじめて父と対等の目線で顔を合わせることとなる。

 その顔には――何か、父には相応しからぬ表情が浮かんでゐた。

 困惑。果たしてどうしたものかと、言葉を探している様子。

「そ、その御姿は……?」

〈うむ、これか。〉

 困惑の色が深くなる。

〈まぁ、業腹な話であるが、そこな青瓢箪に刎ね落とされたのよ。まったく、数多の魔人どもから畏怖される統括首領ヰンペレヰタアたるこの身が、情けないことだ。我が生涯で最初の敗北だな。〉

 ピナハは唖然とする。欧州で父の敗北の報を聞いた時にはそんなことはあり得ぬと思い、この島国に渡った。そしてどうも父の死は事実らしいことが明らかになると、きっと卑劣な奸計に嵌められたのだと思い直し、鵺火総十郎への復讐を誓った。

 だが――当の本人が敗北を認めてしまってゐる。

 ピナハにとってこれは天地がひっくり返るにも等しい衝撃であった。何者よりも強く、誇り高く、至高の輝きをもって〈黄昏熾示録盟約団〉に君臨してきたリュングヴィという男には、まったくもって似つかわしくない態度である。

〈だが、ふん、私のこの魂も捨てたものではなかったらしい。斬首され、肉体のくびきから解き放たれたことがきっかけで、私は霊的に相転移し、神霊としての属性を帯びるに至った。〉

 人としての極限に至った英雄が、死後神格化される現象は、世界各地で普遍的に起こっている。それと同様のことが父にも起きたのだ。

〈だが――それ自体がこの青年の罠であったようだ。神州大和には『黄泉竃食ヨモツヘグヰ』なる儀式があってな、死者に食物を与えることで黄泉がえりを防ぐ呪術よ。相転移中の隙にこれを成されてしまい、私は現世に顕現することが不可能になってしまった。〉

 総十郎をじろりと睨む。

 肩をすくめ、小声で「早馳風の神、取り次ぎたまへ。」と死者の安息を嘆願する祝詞を唱える青年。

「では、今顕現できてゐるのは……?」

〈この場所よ。格の高い霊場は、黄泉平坂ヨモツヒラサカ――つまりはこの世とあの世の境界だな。そこと接続しうる。ゆえにこの神社の境内に限り、私は顕現し、力を振るうことができるのだ。〉

「そ、そう、でしたか……」

 あまりに信じがたい言葉の連続で、放心するピナハ。

〈まぁ、それはともかく――〉

 ずい、と父の生首が差し出される。

 思わずのけぞるピナハ。

〈よく来たな、不肖の娘よ。おおかた鵺火総十郎に復讐戦を挑んだはいゝが、まったく相手にならなかったばかりか手加減されて命永らえた揚句、連れられるまゝにこゝへ来たのであろう。〉

「うぐっ。も、もうしわけ……」

〈私はこの国に来るまで敗けたことがないので、敗北感の処理の仕方など教えられようはずもないが――何故、今、貴様は血涙を流し、唇を噛み千切るほど悔しがってゐないのだ? まさか、この父が破れた相手だから敗けるのも致し方なしなどと思ってゐるのではあるまいな?〉

「うぅぅっ……」

〈凡俗の思考だなそれは。ガリギュラヰザアの名折れである。恥を知れ。私は今でも腸が煮えくり返るほどに悔しい。今すぐにあのうらなり顔に我が剣を叩き込んでやりたいほどに。〉

「おゝ、恐ろしい話である。すぐにあの鳥居から逃げねばなるまい。」

 おどける総十郎。

〈あのような具合でな。私をこゝに封じ込めて以降、まったく勝負に応じようとせん。口惜しい限りだが、どうにもならぬ。〉

「当然である。小生にはもう命を懸けて御身と死合う理由がない。」

〈そこで、だ。〉

 さらにずい、とリュングヴィの生首が近づいてくる。さらにのけぞるピナハ。

〈ガリギュラヰザアの家長として命ず。不肖の娘よ、お前が鵺火総十郎を討ち取れ。何年かかっても構わん。この社から動けぬ父に代わり、ガリギュラヰザアの威信を取り戻せ。〉

 ピナハは一歩下がって居住まいを正し、スカアトの両端をつまんで一礼した。

「謹んで、拝命いたします。」

〈よろしい。では今後も一層、修練に励むこと。魔道の極みに至るのだ。〉

「は、はいっ。」

「ふむ、話がまとまったようで何より。」

 総十郎が父と娘の傍に立った。

「では、硬い話はそのあたりにして――リュングヴィどのよ、久方ぶりに娘と再会したのだ。なにかこう、あるであろう、父親としての態度と言うものが。」

〈何の話だ。〉

「御身の訃報に慌てて駆けつけてきた、たったひとりの娘御ではないか。慣れない異国で必死に御身を探したこの健気な姫君に対して、労いの言葉とともに頭を撫でてやるくらいのことはしてやっても良いのではないかな?」

「なっ、ばっばっばっばっ、」

 ピナハは頬に熱が集まるのを感じた。

「ピナハ嬢、貴女は父親から誉められたことはあるかな? 抱き上げられたり、頭を撫でられたことは?」

「そ、そのような柔弱なこと、我らはしないっ!」

「いかんぞ、それはいかん。特に理由はないがそれは駄目だ。ぜん/\なっておらん。魔導貴族が聞いて呆れるな。」

「愚弄するかっ!」

「おゝ、そうだ、ピナハ嬢の挑戦をいつでも受けると約束しよう。その代わり、リュングヴィどのには今この場でピナハ嬢に父親として然るべき態度を取ることを要求させてもらおう。もし聞いてもらえないのならば、小生へそを曲げてピナハ嬢の相手をしなくなるやもしれぬ。」

「な……っ!」

 強制されてしまった。

 思わず、想像する。あの長く逞しい腕に抱え上げられ、優しい声で誉めてもらえたら。

 そんなこと、望んだこともなかった。父は常に高みで輝くばかりの存在であり、目を向けてもらえるだけでも光栄だと思うしかなかったから。

 でも、もし、そうしてもらえるのなら。

 ピナハは両頬を押さえながら、恐る恐る父の方に視線を向けた。

 リュングヴィは、生首の眉間をもみほぐしてゐるところだった。深いため息をつく。どうでもいゝが、口と肺が繋がってゐないのにどうやって溜息など出してゐるのだろう。謎である。

〈不肖の娘よ。〉

「ひゃ、ひゃいっ!」

 思わず声が裏返る。

 父の腕が、ゆっくりとこちらに伸びてくる。

「駄目だ。撫でるだけでは済まさぬ。抱き上げよ。」

〈……注文の多い男だな。〉

「小生、愛の伝道師を自認するが故、妥協はせぬ。しかし……ふむ、首を抱えたままでは具合が悪いな。預かろう。」

 総十郎の腕が雲耀の速度で動き、リュングヴィの首級をかすめ取った。

〈き、貴様……〉

「ほれ、両腕が空いたぞ。早くいたせ。」

 ピナハの心臓は、もはや外に響かんばかりに高鳴ってゐた。

 潤んだ目で父を見上げようとして、しかし体と首のどっちを見れば良いのかという実にどうでもいゝ葛藤に見舞われる。

 やがて父の両腕がピナハの両脇に差し込まれた。

 びくりと緊張のあまり身を固くするピナハ。

 そのまま持ち上げられ、胸の前に抱え込まれる。

「よし、ピナハ嬢、胸板に頬を寄せるのだ。密着したまえ。」

「うぅっ。」

 羞恥と混乱で脳が煮立ってゐる。

 おず/\と頬を父の胸に寄せると、強壮なる星気の流れがうねる、男性として完璧な肉体造形が衣越しに伝わってきた。

「素晴らしい。ではリュングヴィどの、娘御の頭を撫でるのだ! 愛を込めて!」

〈まったく……〉

 神々しい星気の立ち上る手が伸びてきた。思わずピナハはぎゅっと目をつむる。

 そして、美しい肌触りが頭に触れ、柔らかい髪を梳りながら戯れていった。

 想像よりずっと優しい力加減に、ピナハの胸は切なくときめいた。

 恋など知らず、普通の子供なら小学校に入るか入らないかという年頃の令嬢は、ゆえに父への仄かな憧れを抱き、それは唐突に満たされた。

 閉ざした瞼の中で、じわりと幸福な涙が満ちるのを感じた。

「さぁ、そこで何か一言。」

〈文言は貴様が考えよ。〉

「駄目だ。御身自身の言葉でなければならぬ。」

〈……ええい。〉

 高い密度の気配が顔に近づいてくるのを感じ、ピナハは眼を開けた。熱い雫が零れる。

 すぐ目の前に父の顔があった。総十郎の掌に乗っかっている。

〈……何故泣く。〉

「え、あ、いえ、その……」

〈まあよい。あゝ、その、なんだ。〉

 父の困り顔を、初めて見た。

 まったく不遜なことに、少し可愛らしい、と思ってしまった。

〈お前のことは、軽く考えたことは一度もない。ガリギュラヰザアの家名を継ぐものでもあるしな。だが、まあ、考えてみればお前はまだまったくの子供であったな。そのことを鑑みれば、今までの接し方はやゝ適切ではなかったと認めるにやぶさかではない。〉

「は、はあ……」

〈それでだ。正直に言って私はこの身の上になってから暇で暇でしょうがない。ゆえに、これは特別だ。私自ら魔道の薫陶を垂れてやっても良い。そしてなにか成果が上がれば、〉

 再び、撫でられる。

「ひゃっ。」

〈こうしてまた撫でてやっても良い。〉

「ほ、本当ですかっ!?」

〈それくらいは言わんと後ろのいけ好かない男が納得せんであろう。〉

「やれ/\、今はそのあたりが限界であるか。まぁ、ぎり/\で及第点と言って良かろう。」

〈何様だまったく。〉

「ふゝ、リュングヴィどのはお疲れ様である。急に慣れぬことをさせてすまなかった。」

 そう言うと、ピナハの膝に首を置いた。

「御首級みしるしはお返しする。」

〈ふん。〉

 頭をぞんざいに掴み取ると、ピナハは地面におろされた。

「あ……」

 夢のような時間は終わり、寂寥が胸に満ちる。

〈また来い。私は少々疲れた。〉

 そう言うと、父はこちらに背を向け、社の中へと歩み去って行った。

 ピナハは、胸の前で小さなこぶしを握りしめながら、それを見送った。

 父の姿が見えなくなるまで、じっと見つめてゐた。

【続く】

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